快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

あたらしい年にむけて―― 『女子をこじらせて』(雨宮まみ)

  2016年、一番おどろいたことと言えば、雨宮まみさんの訃報だった。
 
 『女子をこじらせて』が単行本で出て、話題になっていたときにさっそく読んでみて、同世代のせいか、ロッキン・オン社の出版物を(真剣に…)読んでいたとか、通ってきたものが共通していて、親近感や共感と同時に、身につまされるような痛々しさや違和感を感じた。 

女子をこじらせて (幻冬舎文庫)

女子をこじらせて (幻冬舎文庫)

 

  痛々しさや違和感というのは、この本で書かれている、「モテない」(モテなかった)とか「女として魅力がない」とか、男からどう思われるかとか、他人の視線なんてどうでもいいやん!!と、きっぱり言ってしまいたい、いや、でもほんとうは、どうでもよくないというのもわかる、という拮抗した気持ちから生まれている。

 
 と言っても、この『女子をこじらせて』で書いているのは、「モテない」「結婚できない」とか「美人じゃない」という単純な問題ではなく、ちょうど今年出版されて話題になった、ロマン優光の『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』で、「こじらせ女子」について 
 

広義にはモテ/非モテのなかで自意識をこじらせて女性としての自己評価が低い女性ということなのでしょうが、狭義としては、それに加えて、自分の中にあるフェミニズム的意識と男性に女性として認められたい気持ちの折り合いがつかない、男性優位社会やジェンダー問題に対して不快感や反発する気持ちとそういった価値観にそって男性に求められたいという気持ちの矛盾を解決できない、そういった問題のことだと私は理解しています。 

  と書かれていて、そうそう!と思った。単に異性からモテないだけの悩みだとカン違いしている人たちは、「こじらせ女子」について、「そこまでブスじゃないじゃん」「モテないって、理想が高いんじゃないの?」などと言ってきたりするので、恐ろしいほど話が噛み合わないのである。

 
 この『女子をこじらせて』の文庫に解説を書いた上野千鶴子は、この赤裸々な痛々しさに触発されたのか、めずらしく自分についてこう書いている。 

この本を読みながら、わたしは、自分が「すれっからし」だった頃のことを思い出した。 

 「すれっからし」戦略とは、男の欲望の磁場にとりかこまれて、カリカリしたり傷ついたりしないでやり過ごすために、感受性のセンサーの閾値をうんと上げて、鈍感さで自分をガードする生存戦略だった、と今では思える。男のふるまいに騒ぎ立てる女は、無知で無粋なカマトトに見えた。そうでもしなければ自分の感受性が守れなかったのだが、ツケはしっかり来た。 

  そして、これまで女性について、数々の論文や本を書いていた上野千鶴子が、おそらくこれまで書いたことのないストレートな言葉で、理論や論証なども抜きで、はっきりとメッセージを伝えている。 

わたしも若い女たちにいいたい。はした金のためにパンツを脱ぐな。好きでもない男の前で股を拡げるな。男にちやほやされて、人前でハダカになるな。人前でハダカになったくらいで人生が変わると、カン違いするな。男の評価を求めて、人前でセックスするな。手前勝手な男の欲望の対象になったことに舞い上がるな。男が与える承認に依存して生きるな。男の鈍感さに笑顔で応えるな。じぶんの感情にフタをするな。そして……じぶんをこれ以上おとしめるな。 

 人前でハダカになったり……は、私含むふつうの人にはあまり縁がないかもしれないけれど、「男の鈍感さに笑顔で応え」たり、「男のふるまいに騒ぎ立てる女」を見下したりは、職場やありとあらゆるところで起こりうることだ。男に限らず、他人からの承認に依存して生きない、じぶんの感情にフタをしない……これは2017年も、心に刻んでおこう。「じぶんをこれ以上おとしめるな」は、前回も書いた「自分が幸せになることを許可する」ともつながっている。そう、自分をほんとうに大事にするって、すごく難しいんだなとようやく気づきかけてきた今日この頃。  

 あと、この『女子をこじらせて』は、私的な男女関係だけではなく、仕事についても深く突っこんで書かれているところもおもしろい。編集プロダクションでのあわただしい日々、そこからフリーのライターとして独立するまでの心情は、すごく読みごたえがある。「私は謙遜という美徳をこの時捨てました」という一文は、仕事をしている人、とくに好きなことで働きたいと思っている人は、絶対に心がけるべきだと思った。

 フリーのライターになってからも、「女だから」トクしていると思われたり、「美人ライター」なんていう肩書をつけられて苦しんだことも正直に書いている。私的なことでも、仕事でも、なんでも正面からぶつかって悩んで傷つく作者が、「自分の中にある他者の視線」をやっと振り切り、「誰がどう思うかじゃなく、自分が本当にしたいこと」の気配を感じ 

「本当にしたいこと」「やりたいことをやる」なんて、すごい才能のある人にしか許されないことのように思っていましたが、べつに自分がやったっていいわけです。

そうしてのびのび好きなことを書いた、どちらかというと稚拙な文章は、それまで書いた中でいちばん好きな文章になりました。自分のことを心から好きになれる可能性がまだあるのだと感じました。
長い「自分探し」の旅が、この時、ようやく終わったのだと思います。

  と綴る最終章は感動する。

 いま生きている私は、とにかく前を向いて進んでいくしかないのだなと、あたらしい年を前にあらためて思う。