10/21 岸本佐知子&津村記久子トークショーと『あなたを選んでくれるもの』(ミランダ・ジュライ 著 岸本佐知子 訳)
先週の日曜、スタンダードブックストア心斎橋で行われた、翻訳家の岸本佐知子さんと作家の津村記久子さんのトークショーに参加してきました。
おもな内容は、ミランダ・ジュライの新作『最初の悪い男』にまつわるもので、まだ読んでいないため(この日に買いました)、トークの詳細については感想を書けないけれど(でも、かなりぶっ飛んだ小説であるらしく、期待が最高潮に高まった)、トークショー自体は津村さんのキャラもあって、めちゃめちゃ笑えるものになった。
津村さんの本は以前『ダメをみがく “女子"の呪いを解く方法』を読み、おもしろかったけれどダウナーなひとなのかと思っていたが、まったくそうではなく、テンポよくテンションの高い大阪弁トークにひきこまれた。
ダメをみがく“女子"の呪いを解く方法 “女子"の呪いを解く方法 (集英社文庫)
- 作者: 津村記久子,深澤真紀
- 出版社/メーカー: 集英社
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しかし、大阪はみんな笑いに厳しい「修羅の国」だと語っていたけれど、いやいや、結構おもんないひと多いで~とも思ったが。(たしかに、「自分は笑いのレベルが高い」「自分は笑いをわかってる」と思いこんでいるひとは、他地域より高いかもしれんけど)ちなみに、そんな津村さんのいま一番お気に入りの芸人は、ミキらしい。「総合力で」とのこと。わかる気がする。
で、トークショーの前にミランダ・ジュライの『あなたを選んでくれるもの』を読み返した。
これは、映画『ザ・フューチャー』の脚本執筆に煮詰まった作者が(「書くお膳立てをすっかり整えておきながら、書くかわりにネットでいろいろなものを見ていただけだ」……いや、映画の脚本を書いたことはないが、気持ちわかりますね)、
毎週届く冊子『ペニーセイバー』(メルカリの雑誌版のようなものらしい)に、「革のジャケットを売ります」「インドの衣装を売ります」、はては「オタマジャクシを売ります」などの広告を出しているひとたちに興味を抱き、脚本執筆を中断してインタビューをはじめるという本だ。
なので、小説ではなく、といってもエッセイともちがう……ノンフィクションとしか言いようのない作品なのだけれど、なにより印象深いのは、この本の主役であるインタビューに応じたひとたちは、何の作為もなく偶然選ばれてインタビューを了承しただけなのに、ミランダ・ジュライの小説や映画の登場人物とまったく同じたたずまいをしているように感じられた点だった。
単純にミランダ・ジュライが書いているからかもしれないし、このネット時代にあえて紙の雑誌に広告を出すひとたち(つまり、世間の流れと外れている)だからかもしれない。
なんにせよ、出てくるひとたちは、年齢も性別もバックグラウンドも様々なのだけれど、みんなどことなく奇妙で孤独であり、でもその奇妙と孤独さは独特でありつつも、一方でどんなひとにも通じるような普遍性も持ち合わせていた。
また、この本のもっとも刺激的なところは、こういったひとたちをただルポしているだけではなく(ルポ自体もじゅうぶん興味深いが)、それが『ザ・フューチャー』にも反映されていく過程だ。
『ザ・フューチャー』に取りかかりながら三十代後半を迎えたミランダは、子どもを持つタイムリミットを意識しつつも、子どもを持つとこれまでのような創作活動はできないのではないかと追いつめられ、「時間」が人生の主役のように感じるようになっていた。
かくして、わたしの時間は時間を計算することで明け暮れていった。見知らぬ人々の言葉に耳を傾け、未知なるものの力を信じようと努力しながら、心のどこかでは、いつまでこれが続くんだろう、子供をもつことに比べて、これにどれほどの意味があるんだろう、と考えている自分がいた。
私もミランダと同年代だけれど(ミランダの方が少し上ですが)、結婚していないせいか子どもについて真剣に考えたことはないが、たしかに、歳を取るにつれ愛情の種類が変化しつつあるのを、いままさに実感している。
この男と死ぬまでずっといっしょにいることを神に誓って以来、わたしは死についてもよく考えるようになった。彼と結婚したときに、避けがたく訪れる自分の死とも結婚したような気がした。
そう、十代、二十代のころとちがって、いまは愛する猫を抱いていても、どちらが先になるんだろう……いや、この子が死ぬのは想像を絶するくらい悲しいが、でも絶対においてはいけない! と死に関することが頭から離れなくなったりする。人間に対しても同様で、愛情の種類が「一緒にいたい」「結婚したい」「このひとの子どもが欲しい」などではなく、もはや「看取りたい」に変質しつつある。
そんな思いを抱えつつ、映画の構想がまったく実を結ばないままインタビューを続けていたミランダは、「クリスマスカードの表紙部分のみ」を売る81歳のジョーに出会う。
結婚して今年で62年と語り、そのあいだ面倒をみてきたたくさんの犬や猫の写真を家中に貼っている。近所の動けないひとたちを助け、愛する妻に卑猥な詩を捧げたりもする。ミランダは「強迫観念に取りつかれた天使のように、がむしゃらに善をなそうとしていた」と初対面のジョーの印象を記している。
にもかかわらず、このインタビューには死が充満していた。比喩ではない、本物の死。犬や猫たちの墓、彼が買い物を代行している未亡人たち、それに彼が何度も口にした彼自身の死――だがそれを彼は淡々と、まるでたくさんのことをやり終えなければならない期日か何かのように話した。
そして、ミランダは『ザ・フューチャー』につながる手ごたえをようやく感じることができ、そこからジョーとともに映画の撮影が本格的に進んでいく展開が胸をうつ。この本については、ミランダによるちょっと変わったルポタージュと最初思っていたので、こんなに感動的な内容だったとはうれしい驚きだった。
私はもともと彼女の小説を読むより先に、最初の長編映画『君とボクの虹色の世界』を映画館で見、すごく感じ入って大好きな映画になったので、この『ザ・フューチャー』が公開されたときも、おおいに期待した。
しかし、期待が大きすぎたのか、当時の正直な感想としては、『君とボクの虹色の世界』の方がよかったな……と思ってしまったのだった。おもしろいのだけれど、そこまでピンとこなかったというか……。
いや、『君とボクの虹色の世界』は「ひとりっきりの孤独」を描いており、『ザ・フューチャー』は「ふたりでいる孤独」を描いているとも言え、私は前者の方が共感できただけかもしれない。けれど、この本を読むと、『ザ・フューチャー』をもう一度じっくり観たくなった。(しかも、いま知ったが、アマゾンプライムに入ってるやん)
まあとにもかくにも、なにより次は『最初の悪い男』を読まないと!