快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

はかない夢、嘘と幻滅、そして友情――『狩りの風よ吹け』(スティーヴ・ハミルトン 越前敏弥)

わたしにとって、春が別の意味を持っている時期があった。マイナー・リーグでキャッチャーをしていた四年間。気が遠くなるほど昔だ。当時のことについては、いまはもう深く考えない。あれから多くのときが流れ、多くの出来事が起こった。デトロイトで警察官をしていた八年間。死んだ相棒と、まだ胸のなかにある銃弾。そしてここパラダイスでの十五年間。今夜のような夜をいくたびも過ごしてきた。

 『解錠師』でおなじみのスティーヴ・ハミルトンの旧作『狩りの風よ吹け』を読み直した。デビュー作『氷の闇を越えて』から続く、私立探偵アレックス・マクナイトを主人公とするシリーズの三作目である。 

狩りの風よ吹け (ハヤカワ・ミステリ文庫)

狩りの風よ吹け (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

解錠師 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

解錠師 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 上の引用にあるように、主人公のアレックスはマイナーリーグでキャッチャーをしていたが、メジャーに昇格することはなく、デトロイトの警察官となる。警察官として順調に働いていたが、ある日ひょんなことから事件に巻きこまれ、相棒フランクリンとともに銃で撃たれる。フランクリンはは死に、アレックスはかろうじて生き延びたが、そのときの銃弾は永遠に胸に残ったままだ。(比喩的な意味ではない)
 そして警官を辞め、ミシガン州の北端のパラダイスという町で小屋の管理人として暮らしていたが、友人の弁護士アトリ―に頼まれて調査員の仕事をはじめ、私立探偵の資格を得る。


 この三作目は、マイナーリーグ時代の相棒のピッチャーだったランディーが、三十年ぶりにアレックスのもとを訪ねるところからはじまる。ランディは現役時代から変わらない陽気なお調子者で、無愛想なジャッキーをはじめとする、極寒の町パラダイスの仲間たちにもすぐに溶けこむ。マイナーリーグの思い出にくわえ、どちらも離婚を経ていまは独り身という共通項もあり、話は尽きることがない。

 しかし、肝心の用事についてはなかなか話そうとしない。なんとか聞き出したところ、ランディーがメジャーのデトロイト・タイガースに昇格したときに、デトロイトでつきあっていたマリアという女を探してほしいとのことだった。ほんの束の間のつきあいだったが、いまでも彼女のことが忘れられないと言う。
 
 三十年前のあやふやな記憶にくわえ、マリアの正しい名字もわからない。どだい無理な相談だと思ったが、アレックスの相棒リーアンの協力もあり、なんとかマリアの家族の居場所を突きとめることに成功する。だが、マリアは悪い男から逃れるため、家族のもとを去っていた。ここで諦めようとしたが、ひとりでマリアを探しに動いたランディーが撃たれてしまう。そして、ランディ―には重大な秘密があったことも判明する……


 それにしても、ほんとアレックスはいいやつだなとあらためて思った。心優しく、情が深い。ぶつぶつ文句を言いながらも、ストーカーかと思うようなランディーの恋人探しにつきあい、物語がどんどんと意外な様相をあらわしても、なんだかんだ言いながらも最後までランディーを見捨てない。

 考えたら、友達思いで人情に篤く、それゆえに事件に巻きこまれて痛い目に遭うというのは、チャンドラーのフィリップ・マーロウから続くハードボイルドのお家芸なのかもしれないが、それにしてもアレックスお人好し過ぎだ。自分でも言っている。「わたしはこの星いちばんの大ばか者だ」と。嘘にまみれた登場人物たちのなかで、アレックスの清廉さがひときわ目立つ。

「いつも真実を話してくれる女を探すことだ」。いつだったかそう言っていたが、異性について忠告らしきことをされたのは、その一回きりかもしれない。「隠し事をしない女でさえ、こっちはなかなか理解できないんだ。嘘をつかれるようになったら、勝ち目はないぞ」 

というのは、アレックスが父からの忠告を思い出すシーンですが、「いつも真実を話」すというのもなかなか困難だ。嘘をつくつもりはなくても、そのときはそう思った(でも、いまはそうは思わない)ということは、頻繁に起こり得るから……とは言え、この小説に出てくるような、嘘で塗り固めた人間たちの「狐と狸の化かしあい」みたいな事態はそうそうない。


 また、『解錠師』では2つの時間軸が並行し、物語が佳境に向かうにつれて2つの時間軸が近接したように、巧妙に練られたプロットがハミルトンの小説の大きな魅力だが、この小説はそれに加えて、アレックスとランディーの掛け合いや、マリアを探す珍道中で描かれる軽妙なユーモアも見逃せない。物語が痛切な展開になっても要所要所でウィットが利かされ、アレックスがランディーの子どもたちと電話で話す場面は物哀しいユーモアを感じる。

 またまた考えたら、ウィットやユーモアはチャンドラーの作品の特色でもあるし、ハードボイルド全般に欠かせない要素なのかもしれない。これまで「ハードボイルドってようわからん」と思っていたけれど(とくに、いきなり美女が出てきて探偵を誘惑したりといったあたりが。この作品にもその要素もありますが)、ようやくその魅力がわかりかけてきたので、ハードボイルドの奥深さに触れてみたい気もした。

 といっても、このアレックス・マクナイトシリーズは、このあとの翻訳は出ていないので残念。チャンドラーを読破するか、『ストリート・キッズ』がおもしろかった、ドン・ウィンズロウのニール・ケアリーシリーズあたりをもっと読んでみようかな。