『暗い鏡の中に』 ヘレン・マクロイ
私はまったくミステリーに詳しいわけではないので、ミステリーの一般的な評価や判断の基準などはよくわからないけれど、私が思う「理想的に完成されたミステリー」だった。
女子校に勤務する教師フォスティーナは、内気で真面目な若い女性で、仕事上も私生活でもトラブルなど皆無なのにもかかわらず、突然解雇されてしまう。校長に理由を聞いても教えてくれない。実は、彼女の身辺には怪奇現象が続発しており、前の学校もそれが原因で辞めさせられたのだった。フォスティーナの同僚の恋人である精神科医ベイジル博士が、そんな怪奇現象などあるはずがないと真相を調べはじめるが、ついに殺人がおきてしまう……
というストーリーなのだが、ミステリー初心者の私が読んでまず印象に残ったのは、人物の容姿や服装などをはじめとした描写がたいへんていねいであるということだった。そして謎解きまで読むと、それらがうまく伏線になっていることがわかって感心した。
描写にしても、ミステリーの根幹となる怪奇現象にしても、伏線や謎を放ったままにせず、きちんと回収しているところが、最初に書いた「理想的に完成されたミステリー」と思った一番のポイントだった。
くわえて、強引な理由付けや、謎解きに近づいてから次々と新事実が判明するとかでもなく(たまにそういうミステリーありますよね……いきなり戦争中とか大昔の因縁が出てきたりとか。いや、ストーリーとしておもしろければ、小説としてありだとは思うのですが、謎解きについていけなくなるので)、物語に見合った範疇で整合性のある解決がなされているのが、最後まで読んでおおいに満足した点だった。
と言っても、整合性のある説明で怪奇現象終了~となるのではなく、いや、それでもやはり……という余白を残しているところも名人技だった。
しかしやはり今、さっと読み返してみても、やはり人物、とくに服装にたいする描写の細やかさにうっとりする。女子校の校長にたいする描写でも
顔はぽっちゃりとして無表情で、下唇が不機嫌そうに突きだし、白っぽいまつげに縁取られた明るく丸い目は……
とはじまり、こう続く。
服装はいつも地味な色柄と決めてある。……三十年代は“モグラ色”、四十年代は“ウナギ色”と呼ばれた、伝統的な“くすんだ色”のことだ。生地は粗いツイード、高価なベルネットや厚手のシルク……
と、中年女性、いわゆる“おばさん”の描写でもこれだけ微に入り細にわたっており、ベイジル博士が婚約者のギゼルと会うところでは
彼女は必ず黒を着てくるとベイジルにはわかっていた。……流れ落ちるようなたっぷりとしたスカートの裾が、黒いストッキングにきゃしゃなハイヒールのサンダルを履いた、細く美しいふくらはぎのまわりで揺れている……
と、えんえん続き、三人称ではあるが、これがすべてベイジルの視点だとしたら、ねめつけるような視線で女をじろじろ眺める男のように思えてならない。
物語の最初の方で、美術教師であるフォスティーナが、同僚たちとギリシャ劇の衣装について話しあうシーンがとても印象深いが、解説に引用されている小泉喜美子の文によると、作者マクロイ自身も美術評論家だったそうで、服装などに強いこだわりと美意識があったのだろう。
美しい描写に、きれいに完結された幻想的なミステリー。波乱万丈の怒涛のストーリー展開が好きだという人には、こぢんまりし過ぎていて物足りないかもしれないけれど、女子的世界に興味がある人には、そんなにミステリーに興味がなくてもオススメできます。