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快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

恋愛によって成長することは可能なのか? 『キャロル』  パトリシア・ハイスミス

今はただキャロルの声が聞きたかった。それ以外に大事なものなど何もない。キャロル以外に大事なものなんて何もない。なぜ一瞬でもそれを忘れていたのだろう。 

  さて、今年の課題図書の1冊『キャロル』を読みました。 

キャロル
 

  LGBTという言葉が市民権を得たり、同性結婚の是非が語られる現在とは大きく異なる時代を舞台にした女性同士の恋愛というところが、注目を集めているのかもしれないが、この本を読んで一番心に残ったのは、そういう「禁断の恋」といった面ではなく、主人公テレーズの爽やかな成長ぶりだった。


 この本の冒頭――キャロルに出会う前のテレーズは、ニューヨークで舞台美術の仕事がしたいという夢を抱いているが、「現場での経験はほとんどない」状態であり、「見習いとして仕事についた経験さえ、たったの二日しかない」。当然ながら生活のために働かなければいけないが、前職をあっさり解雇されたので、やむなくクリスマスシーズンのデパートでアルバイトをはじめる。
 けれど、大都会でのデパートの仕事には「苦痛」と「孤独感」がつきまとい、「不安でいっぱいだった」。その不安な心象は、先輩社員のミセス・ロビチェクの家に招待される場面にはっきりと描かれている。

これほどまでに自分を怯えさせるものの正体が絶望そのものなのだと悟っていた。持病に苦しみながら、デパートで売り子として働き続けなければならないミセス・ロビチェク。トランクいっぱいのドレス、醜悪な姿。いずれ訪れる絶望的な人生の終末。そしてテレーズ自身の、なりたいと思う人間になり、やりたいと思う仕事をするなんて、どだい無理なのではないかという絶望。 

  ミセス・ロビチェクはとても親切な老婦人(と言っても働いているのだから、めちゃめちゃ年寄りではないが)なのだが、この時点でのテレーズからは絶望と畏怖の象徴でしかない。いずれは自分もこうなるのか、という。しかし現代の働く女性たちも、職場の先輩女性たちを見て、ぞっとしたことはあるのではないでしょうか。この職場に二十年も三十年も居続けたらこうなるのか……という、もう人生が半分(以上)終わったかのような、夢も希望も跡形もなく消え去ってしまう絶望感。


 そしてテレーズは、「ひとりのときほど落ち込まないですむ」ために、リチャードと付き合う。が、「いまだにリチャードを愛せず、これからも愛せるとは思えなかった」。リチャードは絵描きになりたいと夢を語りつつ、しかしそのために努力しているわけでもなく、ただ転職をくり返してぶらぶらしているだけの男だ。自分のレベルが低いと、寄ってくる男もレベルが低いのばかりになるという、厳しい現実を思い知らされる。


 しかし、そんなテレーズの世界は、デパートで客としてやってきた裕福で幸せそうな人妻キャロルと出会って一変する。

 キャロルとの距離が縮まるにつれて、テレーズはこれまでひとりで心に抱えてきた思い――母親との軋轢、やりたい仕事につけるのだろうかという不安――を素直に見つめ、キャロルに話せるようになる。なんとか手にした劇場での仕事にも真剣に取り組むことができる。ついにはリチャードにも、「あなたが絵で食べる見込みがないのとまったく同じように、わたしがあなたの恋人になる見込みはないのよ」ときっぱり伝え、さらに「自分に画家としての見込みがないことはわかっているんでしょ。あなたはできるだけ先延ばしにしようとしている子供と同じよ」と宣告する。

 小説の冒頭の、過剰な不安と怯えのため、「先延ばしにしようとしている子供」でしかないリチャードにすがっていたテレーズは見事に消え去っている。また、キャロルとの旅行先では、かつては絶望の象徴だったミセス・ロビチェクにプレゼントを贈ったりもする。

 この現代の世の中で、恋をすることによって強くなり成長するという物語は成立するのだろうか?と、思わず考えてしまった。現実の世界においても、架空の世界でも存在し得るのだろうか? 同性同士の恋愛という、ある意味「普通ではない」恋愛だから描けるのだろうか? 男と女なら陳腐なものになってしまいそうな物語なのに、こんなに瑞々しく感じられるのは女性同士という設定が生きているのだろうか? 

 いや、もちろん小説の公式にのっとると、男女とか同性とかいう設定の問題ではなく、要は書き方の巧拙であるということはわかっているけれど、いまの時代にどうしてこんなストレートな純愛小説が成り立つのかを考察すると、つい上記のような問いを立ててしまう。

  だが、この二人の関係にも暗雲がたちこめる。キャロルは離婚調停の真っ只中で、一人娘の親権を夫と争っていたのだ。現代でも、そういう離婚調停の最中は恋愛はご法度らしいのに(もちろん経験がないので知りませんが。井上公造が語る三船美佳宮沢りえの離婚調停話によると)、同性愛は病気だと考えられていたこの時代に、同性の愛人がいるなんてことが発覚すると、親権を取り上げられるのはもちろん、どんなペナルティーを課せられるかわかったものではない。
 ここから、物語はハイスミスの真骨頂であるサスペンスの要素も混じってくる。


 で、ここまでも結構あらかた書きつくしていますが、最後の結末のネタバレを言うと――


 一般的な小説の力学でいうと、この物語の流れからは、二人は別れてそれぞれの道を歩く、キャロルはテレーズより娘を選び、テレーズはキャロルのことを想いつつも仕事に専念するというのが、きれいな終わり方だと思う。しかし、ハイスミスはこの二人に決定的な別れを与えず、明るい未来を予感させる結末を描いている。おそらく、現実において同性への恋愛に苦しむことが多かったハイスミス自身の希望も多分に含まれているのだろう。
 また、何度も書いているけれど、この時代は同性愛が禁忌だったので、こういう物語は必ず悲劇的な結末になっていたからこそ、この小説はハッピーエンドにしたいという強い思いもあったようだ。そして、読者もその結末を熱烈に支持したということが解説でも書かれている。


 ちなみに、原作者ハイスミスとこの小説の関係については、ここで町山智浩さんが解説しています。

miyearnzzlabo.com

 またこちらでは、二村ヒトシさんが映画について解説しています。私のだらだらした感想を読むより、こちらの方がずっとわかりやすいかもしれません……

www.elle.co.jp

 映画の方も見に行こうと思ってたけれど、なんだかんだしているうちに上映が終わってしまいそうだし、映画なら『ロブスター』も気になるなーと思えてきました 。