『私のいた場所』 リュドミラ・ペトルシェフスカヤ
以前『恋しくて』を読んだときに気になった作家、リュドミラ・ペテルシェフスカヤの作品集を図書館で見つけたのでさっそく読んでみた。
表題作「私のいた場所」は、家から脱出したいと思った主婦ユーリャが、いつでもあたたかく迎えてくれるアーリャおばさんのところに行ったところ、いつものやさしいおばさんではなく、とっとと帰れと追い出されそうになる。そしておばさんは「生きることは生きること」「死ぬことは死ぬこと」とつぶやき、「私は埋葬されたの。おしまいなんだ」と言う……
「噴水のある家」という話は「これは、ある女の子が死んでから生き返った話」とはじまり、「奇跡」という話は「ある女の息子が首を吊った」とはじまり、「アンナとマリヤ」では、「だれでも助けたがる男」が魔女の手によって魔法使いにしてもらうが、死の淵に瀕した愛する妻だけは助けられない……
奇想短編集は、最近の翻訳小説のなかではブームとも言えるくらいたくさん出版されているが、これは奇想中の奇想というか、死んだ人は平気で生き返るし、そもそもだれが生きていて、だれが死んでいるのか、自分が生きているのかも判別できなくなる。
しかし、生きてるんだか死んでいるんだか、いったいなにが現実なのかわからない世界でも愛は存在し、そして憎しみもたしかに存在する。
「家にだれかがいる」では、家のなかにいる正体不明の「あいつ」のせいで、家が崩壊していく(比喩ではなく文字通りに)話だが、母親に練習を強制されたピアノも犠牲になる。その“母さん娘”は「母親に復讐するために、まったく取るに足らない人間に、娘も母も双方が認めるつまらない人間になってやった」。
タイトルもそのものずばりの「復讐」は、「ある女が、共同アパートの隣に住む子持ちのシングルマザーを憎んでいた」とはじまり、その子供を殺す準備を開始するという、この本の中ではわかりやすい話である。
まあ殺されそうになる子供も気の毒であるが、「新開発地区」という話では、妊娠6ヶ月で産み落とされた赤ちゃんが保育器の中に入れられ、「なんということか、二千五百グラムのカッテージチーズのかたまりのようになって」死んでしまう。カッテージチーズって。
作者は1938年モスクワ生まれで、長年ソ連当局から目の敵にされ、ペレストロイカがはじまるまでは「禁じられた作家」とされていたらしい。と言っても、いわゆる“社会派作家”ではなく、わかりやすく政権や社会を批判している小説などはない。解説では、むごたらしい日常や、人々の孤独や切望、不幸に苦しむ女たちの喘ぎ、そして精神の荒廃を容赦なく描いているから禁じられたのだろう、と書かれていて、当局がそこまで汲みとるとは、さすがドストエフスキーなど名だたる作家を輩出した国だなと、ある意味感心した。
しかしなにより驚いたのは、作者がモスクワのクラブで「ペテルシェフスカ・キャバレー」を開いて、歌ったりCDまで出しているということであった。