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快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

結婚にまつわる洞察が綴られる――現代の『高慢と偏見』? 橋本治 『結婚』

 橋本治の『結婚』は、28歳の主人公倫子が、同僚の27歳の花蓮に「卵子劣化」の話を切り出すところからはじまる。 

結婚

結婚

 

  いや、ここ最近政府があれこれ言い出した「卵子劣化」とは、橋本治にしてはベタな話題を取りあげてるな~と思ったのですが(話はそれますが、そういった「妊娠しやすい年齢」とか「妊活」にまつわる問題については、翻訳者の高橋さきのさんがシノドスのサイトに寄稿されてます)、

synodos.jp


倫子は「恋愛が苦手」であり、卵子劣化という恐ろしげな言葉を聞いても、現実の結婚についてはピンとこない。

倫子には、差し迫って「母になりたい、子供を産みたい」という願望がない。それを言うなら、「結婚したい」という切迫した願望もない。  

一年前なら、若いカップルが子供を抱えて歩いていても、なんとも思わなかった。「そういう人もいるな」と思っていただけだったのに、今の倫子は若い子連れのカップルを見るとドキッとしてしまう。以前はそんな風に思わなかったが、「この人達は結婚をしているんだ――」と思ってしまう。そして、「どうしたら結婚が出来るんだろう?」と思ってしまう。 

  と、こんな感じで、倫子のぐるぐる回る思考がそのまま綴られていて、橋本治の多くの作品と同様に、この小説も「物語」というより、結婚だけにとどまらない現代社会への洞察が綴られているのですが、やはり賢いな―、よくわかってるな、と考えさせられるところが多かった。なので、この小説について語ろうとすると、ストーリーや登場人物の心情がどうのというより、この洞察を共有してほしいので、どうしても引用多めになりますが……

 たとえば、倫子の兄の娘の名前が「芙鈴亜」(フレアと読む)ということについては、

倫子には理解しがたい「なにかの間違い」があって、それで兄の娘は「芙鈴亜」になったのだろう。……車に乗ってやって来た息子夫婦を迎えに出た母親が、軽自動車の窓をノックして「フレちゃーん」と言っているのを見て、「現実というのはこういうもんなんだ」と思った。
当事者というのは、なにもめんどくさいことを考えない。めんどくさいことを考えるのは、その当事者の輪からはずれて、玄関口に立って外を眺めている倫子のような部外者だけだ。 

 花蓮が美魔女に憧れる母親(53歳)について語るセリフでは、

「お母さんはさ、”自分が気に入るような相手と早く結婚して、私を安心させろ。私のことを考えろ、私のために働け”って、そう思ってるのよ」 

  ちなみに、”母親”というもののおぞましさについては、橋本治は前からエッセイなどでもよく指摘していますが、この小説を読んだあと、「橋本治 結婚」でネットで検索したら、

なんで近頃の若いもんが結婚したがらないのかというご不満意見を読んで、娘が思い通りにならないとご不満の母親に「それはあなたが娘さんにとっての『生きた絶望』だからだ」と答えた橋本治先生の人生相談を思い出した。

が、山のようにあがってきた。そう、これが現代社会の――とくに女にとっての――真理なのですね。


 もちろん、「結婚」が、女だけのプライベートな問題として描かれているわけではない。言うまでもなく、「結婚」も「出産」も女ひとりではできないし、「仕事」もおおいに関係する。旅行代理店の窓口営業という倫子の仕事が

競争原理でツアー客を獲得すれば、それによって給料は上がる。その額は僅かではあるけれど、競争原理の恐ろしさは、それが存在するとつい乗っかってしまうところにある。人は、うっかりすれば他人より上位に立ちたがるから、「君の成績次第で――」と言われると、つい頑張ってしまう。……恐ろしいことに、競争原理は癖になる。慣れてしまえば、その勤勉の中にいるのが当然のように思えて、ついつい頑張ってしまう。 

 と説明されていて、真綿で首をしめられるような、現代の職場の実態をよくあらわしているな~と感心した。

 また、倫子がかつて付き合った男たち――同僚の漆部(「傷ついた女をやさしくもてなしている自分が一番好きな男だった」)や、出世のために職場の後輩女性と結婚し、すぐにその結婚生活が破綻した大学の先輩白戸の人となりと、倫子との関係も容赦なく描かれている。いろいろ納得した。

倫子は、女が陥りがちな誤った結婚観に片足を突っ込んでいた。それは、「私なら彼が理解出来る。彼を支えられる」という過信である。 

痛いなー。なんでこんなによくわかっているんだろう。

 けど、こうやって、神の視点から「女が陥りがちな誤った結婚観」って言ってしまうって、まさに『高慢と偏見』のようですね。そういえば、なぜかいままた『ブリジット・ジョーンズ』も新作ができているようだし、どれが一番現代社会を反映しているか、対比してみてもおもしろいかもしれない。

女が望む結婚相手は、「自分になんでもさせてくれるような、なにもしない男」か、「自分がなんにもしないですむ、なんでもしてくれる男」の両極端になってしまうが、倫子は後者を選ぶほど幼児性が強くはない。……
だから倫子は、漆部のような「なんでもしてくれる男」が苦手で、高校時代の田島や白戸のような、根本のところでなにもしてくれない非情さを持ち合わせている男に馴染んでしまう。 

 そして、最後に倫子が選んだ結末は……これがなかなか意表をつかれた。いや、納得できないわけでもないのですが、この先いったいどうなるんだろう??っていう。ぜひ続編も書いてほしい。