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快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

女と女は化かしあい? それとも――『荊の城』(サラ・ウォーターズ 中村有希訳)/ 映画『お嬢さん』(パク・チャヌク監督)

モードは何よりも華奢だった。母ちゃんとは違う。母ちゃんとは全然違う。子供のようだ。まだ少し震えているモードがまばたきすると、睫毛が羽のようにあたしの咽喉をなでる。しばらくすると、震えは止まり、もう一度、睫毛が咽喉をこすって、静かになった。モードは重たく、温かくなった。
「いい子だね」そっと囁いた。起こさないように。

 いい子だね、ってどうしても岩合さんを思い出してしまうのですが、それはともかく、サラ・ウォーターズの『荊の城』を読み、映画『お嬢さん』を見てきました。
 いや、原作を読んでいったので、どういう話か心づもりをしていたのですが、それにしても映画の予想をはるかに上回る変態ぶりに度肝ぬかれました。 

荊[いばら]の城 上 (創元推理文庫)

荊[いばら]の城 上 (創元推理文庫)

 

  小説『荊の城』は、ヴィクトリア朝のイギリスが舞台であり、ディケンズの小説に出てくるようなスラム街の浮浪児「あたし」は(冒頭から『オリヴァー・トゥイスト』が出てきたりと、作者もかなりディケンズを意識しているようです)、育ての親である「母ちゃん」と泥棒仲間と一緒に暮らしていたが、ある日詐欺師の「紳士」があらわれて、お金持ちのお嬢さまを騙す計画への協力を持ちかけてくる。

 その計画とは、伯父に幽閉されている世間知らずのお嬢さんと駆け落ちして結婚し、まんまと財産を奪ったら、お嬢さんを精神病院にぶちこむというものだ。「あたし」はそのお嬢さんの侍女となって身辺を警護し、「紳士」との結婚をそそのかす役目である。「母ちゃん」の了承のもと、「あたし」はその邸宅に向かい、世間知らずのお嬢さまであるモードと知りあうが…

 
 かなりいろいろ仕掛けのある小説(映画も)なので、これ以上なにを言ってもネタバレにつながりそうなので、ここから先はネタバレOKの人だけ進んでください。
 
 この小説は、「このミス」の一位にも輝いたが、殺人事件が発生するわけではなく、ふたりの女性の数奇な運命の交錯が謎となっているので、ケイト・モートンの『秘密』を思い出した。 

秘密 上

秘密 上

 

  その最大の仕掛けがあらわになる一部の終わりのどんでん返しが、最高にスリリングであり、二部で語られるその真実の姿の答え合わせがおもしろかった。
 上下巻あるこの小説の下巻、第三部以降は、精神病院の描写などはかなりキレキレで読み応えがあるが、さらなる謎が待ち受けているわけではないので、いや、ミステリの公式として、この一連の事件の犯人(黒幕)が解き明かされるのですが、それは読んでいて想像のつく結果なので、少しテンションが落ちるように感じたが、映画ではなんとここでガラッと話を変えていて、これがまたおもしろかった。

 
 そう、映画の方は、日本統治時代の韓国(朝鮮)が舞台になっていて、基本的な設定は原作と同じで、日本人のお嬢さんである秀子のもとに、詐欺師にそそのかされた韓国人侍女スッキがやって来るという話である。

 伯父がド変態なのも基本的に原作と同じだが、映画ではその変態ぶりの描写が半端なく、完全に笑えるレベルでした。いや、すべてにおいて、原作ではそこまであからさまに描写していないところも、映画はこれでもかと見せつけていて、エロいというより、ある意味爽快でした。

 原作の方は、ストーリー全体として女の戦いというか、女と女の化かしあいといった要素が強く、本編とは関係のない精神病院の看護婦たちの描写でも女の恐ろしさみたいなものを感じたけれど、映画は、女と女が手を取りあって男と戦う物語になっており、原作者のサラ・ウォーターズは女で、映画監督のパク・チャヌクは男だからかな、なんてつい考えてしまった。けれどそれは浅はかな考えだろう。そうすると、サラ・ウォーターズレズビアンであることも考慮しないといけなくなるし(ゆえにこういう物語を書いたのだと、つい言いたくなるが)、やはり作品と作者は切り離して考えよう。

 あと、ジェンダーは原作と映画に共通するテーマだが、この映画で強く打ち出されているテーマは、支配と抑圧である。

 先に書いたように、日本統治時代の朝鮮が舞台であり、秀子の伯父は日本人になろうとする韓国(朝鮮)人であり、詐欺師もほんとうは済州島出身なのに、藤原伯爵という日本人をかたる。この映画の表向きの会話の多くは日本語で交わされ、その裏で内面を打ち明ける会話は韓国語で交わされる。(しかし、主要キャストは韓国人俳優なので、こんなに日本語のセリフが多いとたいへんだったのではなかろうか)

www.gizmodo.jp


 ↑の監督のインタビューでも「抑圧された状況で戦う女性たちを描きたい」と語っているが、秀子とスッキは伯父や詐欺師といった男たちから抑圧されているが、伯父や詐欺師たちといった男たち、いや当時の韓国(朝鮮)全体が、日本に抑圧されているのである。抑圧されたまま生きているのは死んでいるのと同じである。スッキと出会う前の秀子がそうだったように。

 ここで最後の最後のネタバレをすると

 秀子とスッキは韓国(朝鮮)から逃げ、男たちと戦い、そして日本からも脱出する。嘘っぱちの日本語で話すこともやめて、自分たちの言葉でほんとうの気持ちを伝える。支配から解放されて堂々と愛しあう。たとえ現代が舞台だとしても、ここまでの解放はなかなか見られない。エロい夢物語のようでしたが、解放とはなにか、ほんとうの自分として生きるとはなにか、考えさせられました。、