快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

『このつまらない仕事を辞めたら、僕の人生は変わるのだろうか?』 ポー・ブロンソン 

 

このつまらない仕事を辞めたら、僕の人生は変わるのだろうか?

このつまらない仕事を辞めたら、僕の人生は変わるのだろうか?

 

  紀伊國屋書店では無料のPR誌として、「scripta」がある。
 ご存知の方も多いでしょうが、斉藤美奈子森まゆみ木皿泉……など豪華なメンバーが連載しており、今号(春号)からは、それまでコラムを連載していた都築響一さんによる日記がはじまり、あの膨大な取材量はこんな風に日本中を飛び回っているからなのか、と深く納得したりと、無料の薄い冊子なのに、たいへん読みごたえがある。で、その中の荻原魚雷さんの連載「中年の本棚」でこの本が取り上げられていて、おもしろそうだったので読んでみた。

 感想としては、その「中年の本棚」でじゅうぶん書き尽くされているが、まず本を手にとって、思っていたよりボリュームがあるのに驚いた。よくある自己啓発本のような感じかと思っていたら、そうではなく、二段組で500ページ近くあり、自己啓発本というより、完全に働く人たちに密着して取材したノンフィクションだった。
 出てくる人たちは大半が高学歴で優秀で、弁護士や大学の研究者だったり、世界各国で働いたり、起業の経験があったり、政府関係の仕事をしているような人が多い。でもみんな、なにかを諦めきれず、あるいは現状に満足できず、仕事を転々としていて、自らを“学習中毒”と称する変身の達人だったり、“バランスの取れた人生”は凡庸だという固定観念を持っていたりする。

 作者ポー・ロビンソンは、自分の経歴――コンサルタント会社、証券会社などさまざまな仕事を渡り歩き(コンサルタント会社での仕事は、テンキーを使って表計算ソフトが “丸め誤差” を発生させていないか、ひたすら確かめるだけだったが、恐るべきことに、多くの同僚たちは “丸め誤差” はエボラウィルスくらい危険だ!とすっかり洗脳されて、表計算ソフトチェックの最速の座を争っていたという話が、いわゆる“社蓄”になるシステムについて考えさせられて興味深かった)、でも書く仕事への夢を諦められず、大学の創作課で勉強して小説を出版するようになる――を率直に語りつつ、そういう取材対象者の話をとことんまで聞いて理解を示し、よくある陳腐な説教(今あるものに満足して目の前の仕事に集中しろ、というような。それができたら、みんな悩まないのでしょう)をたれることもないところが、単なるノンフィクション風味の自己啓発本とは一線を画している。

 荻原さんの書評でも書かれているが、“優等生の怠け者”という言い回しが印象に残った。非常に優秀だが、自分の価値観で考えることをせず、ひたすら承認欲求(この本の中では、この言葉が使われてはいないが)に突き動かされて、名門大学(院)、一流企業などを渡り歩く人たちを言う。日本にもいっぱいいますね。そして作者は、「足場を見失わない方法」として「誰であれ、他人に認められるために生きないこと」と言う。

  ところで、この原題は「What Should I Do with My Life?」とわりと普通のものなのに、「このつまらない仕事を辞めたら」って、えらくキャッチーな題にしたのはすごいですね。会社員でこのタイトルに目を留めない人はいないでしょう。訳者あとがきがないので、経緯がわからなかった。ちなみに、訳者楡井浩一氏は、実は先日亡くなった翻訳家東江一紀氏のノンフィクション用の別名義らしいですが、ほんとうにすごい仕事量だなとあらためて思いました。