快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

戦後日本の空虚を描き、全米図書賞を受賞した話題作――柳美里『JR上野駅公園口』

先月の書評講座の課題書は、柳美里『JR上野駅公園口』でした。

全米図書賞を受賞した話題作です。私の提出した書評は以下のとおりです。


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(題)虚ろな生が映し出す戦後日本の空虚

 

『JR上野駅公園口』は、昭和8年に福島県相馬郡で生まれ、長年郷里を離れて出稼ぎを続けた末に、最後は上野恩賜公園で暮らすホームレス「カズさん」となった男の一生を描いている。


男のまわりには常に音が響いている。
スピーカーから絶え間なく流れるアナウンス、すれちがう人たちの会話、ホームレス同士のやりとり、ラジオのニュース。相馬で息子の浩一が生まれたとき、親王誕生のニュースがラジオから流れる。
それから約50年後、上野のコヤのラジオから流れるのは、東日本大震災後の国会中継のニュースである。


しかし、これほど多くの音が流れているにもかかわらず、どれもほとんど雑音に近いものかアナウンスばかりで、対話はきわめて少ない。

この小説で男が言葉を発するのは、「シゲちゃん」に誘われてコヤに入ったときの「おじゃまします」に「いただきます」、弘前のキャバレーでホステスの純子に向けてわざと訛ってみせたくだり、節子から腕時計をもらったときの照れくささを隠す台詞、麻里の愛犬コタロウへの呼びかけだけだ。もっとも交流が深かった「シゲちゃん」との会話も、「シゲちゃん」が一方的に話すばかりで、対話とは言い難い。


男は、ひたすら働き続けてきた。「疲れていない時はなかった」

七人の弟妹のため、結婚してからは妻とふたりの子どものために。これまでの人生において、誰かとじっくり言葉を交わす余裕なんてなかった。妻や息子の声をちゃんと聴く時間もなかった。「はっきりと生きることなく、ただ生きていた気がする」


どうして男はホームレスになったのか? 家や生活費を失ったわけではないのに。

自らの生の虚ろさに耐えられなくなったのではないだろうか。幽霊のような虚ろな生を生きた男は、上野駅でほんものの幽霊となる。上野駅上野恩賜公園は生と死のあわいの空間である。

男の生の虚ろさは、戦後の日本の歩みと重なり合う。親王と同じ日に生まれた浩一の生の儚さは、天皇制の虚ろさを「象徴」している。
「山狩り」によって一時的に美化された公園を通る天皇を見た男は何か言おうとするが、「声は、空っぽ」だった。頭の中では、親王誕生と東京オリンピックのニュースが虚ろに響いていた。


そして男は自らの生に終止符を打つ。男が実体を失ったあと、この世界は東日本大震災によって破壊される。しかしその後も、国会中継のニュースが虚ろに流れる光景は、結局何も変わっていないことを示唆している。

(ここまで)----------------------------------------------------------------

作者が上野近辺のホームレスに丹念に取材して書いたと聞いていたので、ホームレスや貧困といった現代の社会問題を取り扱った小説かと思っていたが、実際に読んでみると、もっと普遍的な主題――人生の不確かさや生の虚ろさが印象に残った。


書評でも指摘したように、主人公の男は仕事や家を失って、やむなくホームレスになったわけではなく、面倒をみてくれる孫娘の麻里を置いて自ら家を出る。
戦後の日本の歩みに翻弄されながら、家族のためにひたすら働き続けた主人公の心に巣食った空虚さに突き動かされたように感じられた。

最後(物語の枠としては、最初と最後)、世界は地震に襲われる。
東北と東日本大震災を描いた小説としては、いとうせいこう『想像ラジオ』もある。

しかし『想像ラジオ』は、DJアークが高い木のてっぺんから呼びかける声を聞く物語であったのに対して、この『JR上野駅公園口』の男の世界には「対話」がほとんど存在しない。どれも一方的なアナウンスやモノローグであり、周囲の人たちの会話もBGMのようにただ流れていく。

どちらも生と死の狭間を描いた小説であるが、自分の命を奪われて、必死に妻と息子に呼びかけるDJアークと、理不尽に妻と息子の命を奪われ、世界を閉ざした男の姿は対照的である。

彼らが僕のことをどんな風に悲しんでいるか。今となっては知っても仕方ないけど、僕にして欲しかったことはなんなのか。それを僕はやっぱり知りたい。知って悔しい思いを一緒にしたい。歯がみしたい。(『想像ラジオ』)

また、『JR上野駅公園口』は全米図書賞受賞ということで、大きな話題を呼んだが、英訳本の冒頭をkindleのサンプルで読んでみたところ、

There’s that sound again――
That sound――
I hear it.
But I don’t know if it’s in my ears or in my mind.
I don’t know if it’s inside me or outside.
I don’t know when it was or who it was either.
Is that important?
Was it?
Who was it?

と、詩のように美しい英文で綴られていて、受賞したのも納得した。

空虚な象徴である「天皇」(と書評で記したのは、大昔に聞きかじったロラン・バルトが念頭にあったのもしれない……)を物語で描き、相馬流れ山の唄や阿弥陀経など日本特有のものを物語の中に組みこんでいるところも、海外からの高い評価につながったのだと思われる(このあたりもどう英訳されているのか気になりますが)。

作者は海外で紹介されることを前提として書いたわけではないと思うので、現代の日本人への意匠として書いたくだりが、海外から注目されたのだろう。ローカルなものを描いた小説がグローバルになるというのも、興味深いポイントだった。