快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

『女のいない男たち』 村上春樹 (おまけの感想)

 前回の追加というか、『女のいない男たち』を読んで思った、よしなしごとをメモしておきます。
まず、この本には村上作品には珍しくまえがきがあり、


長編小説にせよ短編小説集にせよ、自分の作品にまえがきやあとがきをつけるのがあまり好きではなく(偉そうになるか、言い訳がましくなるか、そのどちらかの可能性が大きい)


と書かれてあり、それでいままであとがきや解説をつけていなかったのか、と納得した。
(解説については、だれかに解説を書いてもらったら、今度は自分が書かないといけなくなるしがらみが生じる、ともどこかに書いていたような気がする)

 偉そうになるか、言い訳がましくなるか……言われてみればそんな気もする。
 岡崎京子とか、漫画家のあとがき(あるいはあとがきまんが)は楽しめたり、感動がより大きくなったりすることが多いと思うのですが、小説のあとがきは、たしかに蛇足と感じることが多いかもしれない……いや、例外もありますが。


楽しんで生きないのは、罪なことだ。(略)

楽しく生きるためにはエネルギーがいる。
戦いである。
わたしはその戦いを今も続けている。
退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう。


 これは村上龍の『69』のあとがきですが、十代くらいの若い頃、小説とあわせて読んで感銘を受けた人は多いのではないでしょうか。私もそのひとりです。
「退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦い」はいまでも続けていますか?  

69 sixty nine (文春文庫)

69 sixty nine (文春文庫)

 

  あと、『ドライブ・マイ・カー』で


世の中には大きく分けて二種類の酒飲みがいる。ひとつは自分に何かをつけ加えるために酒を飲まなくてはならない人々であり、もうひとつは自分から何かを取り去るために酒を飲まなくてはならない人々だ。


と書かれてあり、そうなのか!と目が開かれる思いがした。私の周囲も酒好きな人、結構いるのですが、どちらなんだろう?? 有名な話ですが、村上春樹もバーを経営していたし、これまで翻訳などで深くコミットしてきた作家も、カーバーにチャンドラーと(いまごろ気づいたが、どちらもレイモンドだ)、深刻なお酒の問題を抱えていた作家が多いので、酒の飲み方、付き合い方には思うところがあるのでしょう。


 けれど、この短編集を読むと、ありきたりな言葉だけど、ひとを愛することの困難さをあらためて感じる。適切な相手を正しいやりかたで愛すること――これがいかに難しいことなのか。


彼女の心が動けば、私の心もそれにつれて引っ張られます。ロープで繋がった二艘のボートのように。綱を切ろうと思っても、それを切れるだけの刃物がどこにもないのです。


と言った渡会医師は、間違ったボートにつながれていた。
 私たちはしばしば間違った相手に深く結びついたり、適切な相手を間違ったやりかたで愛したりする。あるいは、間違った相手を間違ったやりかたで愛することもある。あとになって、ほかの人に目を向けるべきだったと気づく。もっと違うやりかたがあったんじゃないかと後悔する。


 けど、この小説とあわせて話題にするのも、村上春樹に悪い気もするが、最近読んだこの記事、ほんとうに「女のいない男たち」というか、なんというか……

youshofanclub.com


 アメリカは、『アナ雪』といったディズニー映画や『マッドマックス』など、超エンタテイメントの世界ですらフェミニズムの価値観が描かれていて、やはり日本とは違うなーと感心していたが、ミソジニーで凝り固まっている人たちもまだまだいるんですね。女のいない男問題はなかなか根深いものがあります。