快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

神は雑多に宿る――『村上春樹 雑文集』

 アマゾンで『騎士団長殺し』を検索したら、いま超話題の『夫の……が入らない』が出てきておどろいた。いや、『騎士団長殺し』を買っている人は、その商品も「ご覧になっている」そうです。


 で、ひさしぶりに『雑文集』を読み返してみた。 

村上春樹 雑文集 (新潮文庫)

村上春樹 雑文集 (新潮文庫)

 

  これはいろんなところから依頼されて書いた雑文――文庫の解説、文学賞の受賞コメント、翻訳のあとがき――などをまとめたもので、タイトル通り、雑多な寄せ集めであるが、ひとつひとつに書かれていることは深く、「村上春樹印のエッセイ」として書かれていないボーナス・トラックだけに、思いもよらぬ鋭いことがさらっと書かれていたりもする。

 たとえば、スティーヴン・キングについてのエッセイでは、怪奇小説というものについて

問題はそれがどれだけ読者を不安 (uneasy) にさせられるかというところにある。uneasyでありながら、uncomfortable(不快)ではないというのが良質の怪奇小説の条件である。これはなかなかむずかしい条件だ。
そのような条件をみたすためには、作家は「自分にとっての恐怖とは何か?」ということをしっかりと把握しておかねばならない。 

とあり、ホラーとか怪奇小説にまったく詳しくないので、へえそういうものか~と思ったが、uneasy と uncomfortable の関係は、他ジャンルの創作物はもちろん、なんなら人間関係にも援用できるような気もする。

 また、カズオ・イシグロについては

イシグロという作家はある種のヴィジョンをもって、意図的に何かを総合しているのだ。いくつもの物語を結合させることによって、より大きな総合的な物語を構築しようとしているのだ。僕にはそう感じられる。

 
 なるほど。正直なところ、最新作の『忘れられた巨人』は、わかるようなわからないような話だったのだけど、もっと俯瞰で読むことが必要だったのかもしれない。(ちなみに、このエッセイは2008年に初掲載されたものですが)
 
 あと、森達也監督の『A2』についての文章も興味深い。『A2』は、前作の『A』と同様に、例の事件を起こしたあとのオウム真理教を追ったドキュメンタリー映画であり、もう事件を起こす気配はないと言えども、信仰を捨てるつもりもなく、事件について反省の念があるのかどうかもわからない信者たちと、信者たちの行く先々で排斥運動を続ける周囲の人間たちとの「不条理なすれ違」いを描いた映画である。 

 教団側も表面的には、そういった相手(共生しようとする周囲の住民)から差しのべられる手をにこやかに受け入れようとしているかに見える。でも果たしてそうなのだろうか? 信者たちの側には、自分たちを取り巻く社会と共生していこうという意志は本当にあるのだろうか?
 そのあたりの認識の――場合によっては不条理なまでの――すれ違いかたこそが、この『A2』という映像作品が我々に提示している重大なテーマではあるまいかと、映画館の観客席に座りながらふと考えてしまう。 

  しかしこういったくだりを読み直すと、『1Q84』では、宗教団体について、もっと深く掘り下げてくれるかと期待していたのだが……なんて思ってしまう。なんかあっさりと幕がひかれましたよね。そういえば、ちょうどいまも、巨大芸能プロVS巨大宗教団体の戦い?が勃発しているようで、まさにエンタテインメント小説のような事態だ。しかし、新作は騎士団とかいってるんだから、やはりなんらかの信仰や、そういう団体は出てくるのだろうか?


 そして、「ジャック・ロンドンと入れ歯」というエッセイでは、まずタイトルにある、ジャック・ロンドンの入れ歯をめぐるエピソードが書かれていて、これだけでもじゅうぶんおもしろいのだが、それに続く作者自身のエピソードも強烈。まあ、こういうことあるだろうな、って気はするが。短編『沈黙』や『多崎つくる』につながるものがある。

 ほかにもエッセイ巧者ぶりを堪能できるものとしては、冒頭の「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」も必読。「本当の自分とは何か?」という、ソクラテスプラトンもみんな悩んだ(野坂昭如リスペクト、って超古いですね。私も元ネタを覚えている世代ではありませんが)問題について、小説家としての視点から、「仮説=猫」を積みあげて書かれている……って、なんのことだかわからないと思いますが、ぜひ読んでみてください。いや、「仮説」をぐっすり眠る猫になぞらえるとはすごい。

 後半は、以前読者からのメールにアドバイスしていた、原稿用紙四枚以内で、「本当の自分」について書くというお題について、牡蠣フライを通して実践してみえる。だれにも真似できないですね。、
 
 あと、いまこの本を読み返すと、ちょくちょく顔を出す安西水丸さんが切ない。「安西水丸はあなたを見ている」「安西水丸は褒めるしかない」……でも、和田誠さんも言ってますが、水丸さんによるあの似顔絵、ほんとうに簡単なんだけど、似てるんですよね。
 村上春樹の小説によく出てくるワタナベノボルが、水丸さんの本名であることはご存じの方も多いでしょうが、その由来は、水丸さんのお父さんが江戸時代の画家渡辺崋山のファンで、その通称であったノボルから採ったというのは、この本ではじめて知りました。


安西 いつか春樹君と三人で、寿司屋で貝をつまみにお酒を飲んで、カラオケ歌って打ち上げしましょうか(笑)
(注:村上春樹はカラオケは大嫌いで、貝も食べられないらしい。)

 あとがき代わりの水丸さんと和田誠さんの対談より。やはり淋しいな。