快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

オトコとオンナの宿題はいつまでたっても山積みのまま? 『降ります―さよならオンナの宿題』 中村和恵

 『あさが来た』も、終わってしまいました。けどやはり、最終的には夫婦愛が強調されることを思うと、『カーネーション』はやはり異色作だったんだなと感じる。それにしても、大森美香さんの脚本は『きみはペット』もそうだったけど、働く女性を見守る男を描くのがすごいうまい。というか、友近演じる梅はいったいいくつの設定だったのか?

 ドラマというと、先日読んだ『降ります さよならオンナの問題』には、こんなことが書かれていた。 

降ります―さよならオンナの宿題

降ります―さよならオンナの宿題

 

 

大草原の小さな家』というテレビ番組がかつてあった。まともに見たことは一度もないのだが、あれはけっこう罪作りだったんじゃないか。お父さんとお母さんがいて子供がいる幸せな閉ざされた家庭、というイメージの蔓延は、数多くの不幸を生んできた。と断ずるからといって、「大草原系核家族」があってはならん、といっているのではないのです。ああでなきゃあかん、ああでなきゃ不幸、というおもいこみが、あかんとおもうのだ。じつにあかん。 

  作者の中村和恵さんは、少し前に朝日新聞の書評欄でクッツェーの『世界文学論集』を評していたのを読んで、ご本人の著書にも興味がわいた。上記のようにたいへん読みやすい軽妙な文体で、ジェンダーや家族、フェミニズムについて、日常や旅や研究のなかで感じたことを率直に綴っていて、たいへんおもしろかった。

book.asahi.com

 

「正しい」のがフェミニズムだ、という考えが、はびこっているようにおもう。説教は人の耳にフタをする。そして女のことをとくに、話したり、も一度考え直していただいたり、ときには説教もせなあかん、反対もせなならん、という相手はまさに、そんな話聞きたないわい、というひとたちなのだ。 

  これにも同感した。フェミニズムというと、正論を主張する清く正しく美しいもので、「正しくない」相手を攻撃し、表現の規制などをがなりたてるイメージがいまだ強いように感じる。でも、「正しい男」が存在しないように、「正しい女」も「正しいフェミニズム」も存在しない。
 そう、ロクサーヌ・ゲイも『Bad Feminist』で、自分は「正しい人間ではない」と何度も強調していた。 

フェミを正しいことを説く啓蒙、反対運動、お説教と考えるのをやめて、女を軸にいろんな問題を考える。そうしたらフェミは終わるどころかまさにこれから、ものすごくおもしろい場所にということになる。性別、ジェンダーセクシュアリティ問わずみなさん楽しめる。役に立つ。以上。終わり。

というわけにはいかないところが、やっかいなんですよね。

  ほんとその通り。ネットを見ただけでも、さまざまな問題が次々と噴出しているのがわかる。自分のなかでも整理できない。最近の話題でいうと、会田誠の作品への表現規制には疑問を感じたけれど、少し前に話題になった「おっぱい募金」とやらについては、規制の必要があるかはともかく、個人的には、胸を揉んで募金するという行為がめちゃキモいと思った。


 そもそも、そういう性関連の職業についている人たちについても、だましてスカウトしたりするのは言うまでもなく犯罪だけれど、「自ら望んで」「自分で応募して」やっている人ならなにも問題はなく、オールOKと考えていいのか?という疑問も感じる。その背景には、貧困や教育などの具体的な環境の問題、あるいは性のトラウマや承認欲求などの心理的な原因があるのではないかと思えてならないので……

 

 と、自分に直接関係のない社会問題をちらっと考えただけでも答えが出ないのに、自分自身についてはもっと支離滅裂になる。たとえば、女性に理解があり家事を分担するイクメン(いまだ謎の言葉ですが)になりそうな人を好きになれば、「正しい結婚」ができるのかもしれない。

 けれど「正しい」相手を好きになるとは限らない。

 『あさが来た』でいうと、現代の独身女性は、家にいてくれる新次郎より、東京大阪を駆け回り、はては北海道開拓まで出かける五代の方を選んでしまったりするのだ。少なくとも自分に限って言うと、絶対に「正しくない」相手を選ぶという自信すらある。 


 まあこんなふうに、ジェンダーセクシャリティの問題は自分のなかでも整理できない問題が山積みなのに、価値観の違う相手に理解を求めるということは、たとえようもなく困難な作業だ。
 そもそも、主張の当否以前に、主張のある(口にする)女性が嫌い、あるいは苦手な人も少なくないように思う。
 私の思ってることを聞くのがそんなに怖いの?
 と男性に詰めよりたい気すら、しばしばする。(それが怖いんだろうけど) 

 わたし自身についていえばさ、オトコを仮想敵にしてる、どころか、むしろにっこり笑って骨を断つべき仮想敵と教えこまれてきた「オトコ」なるものおよびその幻を支えるジェンダー・ロールの妄想体系に、こんなにまじめに異を唱えてかかずらわってんのって、愛だとおもうわー。

  そう、異性やジェンダーの問題については、いつまでたっても答えの出ない堂々めぐりを続けたり、壁にぶち当たってばかりなのですが、このくだりを読んで少し納得する。そうか愛だったのか。