快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

AND SO IT GOES――  『人生なんて、そんなものさ カート・ヴォネガットの生涯』(チャールズ・J・シールズ 金原瑞人ほか訳)

 カート・ヴォネガットの伝記『人生なんて、そんなものさ カート・ヴォネガットの生涯』を読んだ。 

人生なんて、そんなものさ―カート・ヴォネガットの生涯

人生なんて、そんなものさ―カート・ヴォネガットの生涯

 

  『タイタンの妖女』『猫のゆりかご』『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』などの小説で愛と親切を高らかに謳い、『スローターハウス5』では、ドレスデンでの空爆を体験した元軍人として戦争のおそろしさを訴え、1970年代以降、アメリカの若者たちから絶大な支持を得たヴォネガットだが、私生活では短気で気難しく、身近な人に冷酷な仕打ちをすることもあった……

 と暴いたことにより、遺族から抗議され、ヴォネガットを神聖視する読者たちに衝撃を与えたというこの自伝だけど、まあでも、そりゃヴォネガットも人間だし、作家が複雑で気難しいのも当然だろうなという感じで(ほんとうにローズウォーターさんみたいな人格なら小説は書けまい)、最初から最後までおもしろく読んだけれど、とくに衝撃は感じなかった。
 一番意外だったのは、断固とした反戦主義者であり、また自らを社会主義者と称していたヴォネガットが、

カートは金を生み出すには資本主義が最善の方法だと信じていて、自らかなりの額の投資をしていた。カート・ヴォネガットが、露天掘りをしている企業やショッピングセンターの開発業者やナパーム弾の製造会社に投資していたことを知ったら、読者は衝撃を受けただろう。 

 というところだが、この投資に関しては、息子のマークが否定しているらしい。


 身近な人にとって付き合いにくい面があったとしても、小説がなかなか売れず三人の子供を抱えて困窮した生活のなか、病気と事故で相次いで亡くなった姉夫婦の子供四人を引き取ったという事実が、ヴォネガットが信念を曲げずに生きた証のように感じた。(最終的に、そのうち一番下の子は別の家にもらわれたが)

 そのエピソードは『スラップスティック』にも書かれていて、それを読んだ当時は、子供六人って結構たいへんじゃないのかな~とぼんやり思った程度だったが、この自伝によると、やはり尋常じゃなくたいへんだったようだ。この自伝の第七章は『子ども、子ども、子ども』と題されているが、「一九五八から五九年の冬、子どもが七人になって初めての冬で、カートは気がおかしくなりそうだった」と書かれている。この時期のヴォネガット家は

床は汚れていて、冷蔵庫のなかではいつもなにかがにおっていた。犬のサンディの目のまわりには、血を吸ってぱんぱんになったダニが何匹もくっついていたし、二匹のシャム猫はミャーミャー鳴きながらみんなの足元を走りまわっていた。 

とのこと。あまりお宅訪問したくない家ですね。

 しかし、引き取ることを決めたヴォネガットもえらいけど、それに異を唱えなかった妻のジェインもすごい。そう、この本で一番興味深い点は、この最初の妻ジェインとの結婚生活(が破綻するまで)と、二番目の妻ジルとの「地獄のような結婚生活」である。

 ジェインは、結婚してから長い間、ヴォネガットの小説がいっこうに売れず、貧しい生活が続いても、夫の才能をひたすら信じ、子供たちの面倒に明け暮れていた。というと、すごくしっかりした女性のように思えるが、この本からは、しっかり系ではなく、天然というか、少々浮世離れしている系のように思えた。だから、貧乏生活にも耐えることができたのかな、と。ヴォネガットの得意な皮肉などは通じなさそうな印象を受けた。ゆえにヴォネガットは物足りなくなったのか、あるいは、混沌とした家庭生活から脱出したかったからか、愛人をつくるようになり、結婚生活は破綻に向かう。

 けど、これだけ力をあわせて困難を乗り越えてきたのに、作家として成功した頃には結婚生活は破綻していたとは、人生ってなかなか苦いものだ。ヴォネガットもひどい男だな~と思う一方、純粋過ぎるせいか、当時流行っていたニューエイジ思想や瞑想に次々にのめりこむジェインに、無宗教者であるヴォネガットが我慢できなかったというのもわかる気もする。(けど、奥さんがこういうのにのめりこむって、夫が家庭をかえりみないことが原因だとも思うけど……現代の日本でも、”自然派ママ”っていうのか、オカルトチックなオーガニックにはまる主婦が多いようですし)


 そして、ヴォネガットは五十を前にして、写真家であるジル・クレメンツと出会い、ジェインとの離婚を成立させて再婚する。が、このジルとの結婚生活がまさに試練であった。
 若く美しいジルは野心家のタフな女性で、文学少女がそのまま大人になったようなジェインとはまったく違うタイプであるところに魅かれたようだ。女一人でサイゴンベトナム戦争の写真を撮りに行くなどしていたジルは、有名人のトロフィー・ワイフになっただけでは満足せず、自己主張が激しく、ヴォネガットを完全に支配しようとした。

 はたから見れば地獄のような結婚生活だが、この自伝はジルからは協力を拒まれ、おもに前妻ジェインの関係者と子供たちからの証言をもとにしているので、公平なものではないかもしれない。とくに、前の結婚生活からの愛人ロリー(『スローターハウス5』のモンタナのモデルらしい)が家に遊びに行って、ジルに冷たい仕打ちを受けたという証言があるのだが、そりゃ愛人に親切にする妻はいないだろう。

 まあ、ヴォネガットも何度も家を出たり、何度も離婚協議したりと、波乱にみちた結婚生活であったのはたしかなようだが、結局ヴォネガットは、「自分にとってジルは『持病』のようなものらしい」と言って、ジルのところに戻るのだった。
 想像ですが、ジルも写真集や子供向けの本を出したりと、自分の名前で仕事をしたいと考えていた女性のようだったけど、「ヴォネガット夫人」としてしか見られず、結局ヴォネガットの秘書的な存在におさまってしまったことに鬱屈があったのかもしれない。

 ……と、二度の結婚生活の感想で長くなってしまったが、それ以前のヴォネガットの家庭環境も非常に興味深かった。とくに、ヴォネガットの人格形成にもっとも強い影響を与えたと思われる、自殺した母への思いと、優秀な兄へのコンプレックスが。かなりぶ厚い本ですが、翻訳はとても読みやすくすらすら読めるので、一冊でもヴォネガットの小説を読んだことのある人や、これから読みたいと思っている人にはぜひともオススメします。