いま、ヴォネガットが生きていたらー 『国のない男』 (カート・ヴォネガット 金原瑞人訳)
いま、この時代に、ヴォネガットが生きていたらなんと言うだろう?
というのは、日本だけでなく、きっとアメリカでも多くの人が感じていることでしょうが、ちょうど『国のない男』を読み返していて、あらためてそう思った。
- 作者: カートヴォネガット,Kurt Vonnegut,金原瑞人
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2007/07/25
- メディア: ハードカバー
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2005年時点で書かれたこの本で、ヴォネガットは、インチキ選挙で選ばれたうえにイラクを侵攻したジョージ・W・ブッシュ政権に激しく憤っている。
(ヴォネガットは12歳からタバコを吸い始めたとのこと)もう何年もの長きにわたって、ブラウン&ウィリアムソン・タバコ・カンパニーはパッケージに書いて、わたしを殺してくれると約束してきた。
ところが、わたしはもう八十二歳だ。この嘘つきどもめ! いま、この地球上でもっとも大きな権力を持っているのは、ブッシュ、ディック(ディック・チェイニー)、コロン(コリン・パウェル)の三人だ。何がいやだといって、こんな世界で生きるほどいやなことはない。
アルベルト・アインシュタインとマーク・トゥエインはその晩年、人類を見限った。トゥエインの場合は、第一次世界大戦を見てもいないのに。(略)
わが尊敬すべきアインシュタインとトゥエインにならって、わたしも人類を見限ることにした。
そしていま、悪い冗談かとだれもが思っていたトランプが大統領候補になるこの時代。
この本でも、自らを社会主義者だというヴォネガットは、一部の人間だけが富を肥やし、ほとんどの人々は搾取されて苦しくなるグローバル資本主義を辛辣に批判しているが、結果として、苦しくなった人々の多くは差別や憎しみを増幅させ、そしてそれをうまくかきたてるトランプのような煽動者を支持し、いや、支持しているだけならまだマシで、通りすがりの人や、自分より弱い者を狙う大量殺人といったヘイトクライムも後を絶たない現状。
しかし、ヴォネガットはそんな現在もまるで見越しているような書きぶりだ。
われわれが大切に守るべき合衆国憲法には、ひとつ、悲しむべき構造的欠陥があるらしい。どうすればその欠陥を直せるのか、わたしにはわからない。欠陥とはつまり、頭のイカレた人間しか大統領になろうとしないということだ。これはハイスクールにもあてはまる。クラス委員に立候補するのは、どう見ても頭のおかしい連中ばかりだ。
とくに、シュプレヒコールのように書き綴るこの箇所では、ヴォネガットの皮肉が炸裂している。いくつか例をあげると
公衆衛生に何百万ドルもつぎこむとインフレを誘発する
その通りだ。
武器に何十億ドルもつぎこめばインフレの抑止になる。
その通りだ。
右寄りの独裁制は、左寄りの独裁制よりもはるかに、アメリカの理想に近い。
その通りだ。
産業廃棄物、とくに核廃棄物は、人体にほとんど害はないので、そういう問題に関してはみんな口をつぐむべきだ。
その通りだ。
貧乏人はどこかで間違いを犯している。そうでなければ、貧乏になるはずがない。したがって、貧乏人の子どもはそのつけを払わなくてはならない。
その通りだ。
アメリカ合衆国は国民の面倒をみる必要はない。
その通りだ。
自由競争がそれをやってくれる。
その通りだ。
自由競争に任せておけば、すべては必然的に正しい方向に進む。
その通りだ。
もちろん最後にヴォネガットは、「すべて冗談だ」と書いているが、冗談でも皮肉でも偽悪でもなんでもなく、こういったことを本気で思っている人が、アメリカでも日本でも増えている、というか、なんなら主流になっているような気すらする。
いや、アメリカはなんだかんだいって、日本よりマシなのかもしれない。賛否はあるものの一応リベラルといえるヒラリーや、社会主義者と自称するサンダースがある程度の人気や影響力を持っているのにくらべて、日本のリベラルの壊滅状態といったら……
先日起こった、恐ろしいヘイトクライムについては、小田島隆さんのこのコラムが非常によかった。そう、この事件は、わたしたちのなかに根ざしているある種の考え(効率主義や優生思想というような)を反映しているようで、単に頭がおかしくなった人の異常な犯罪として片付けられないのが恐ろしい。
人類を見限ったというヴォネガットだが、ユージン・デブス(ヴォネガットと同じインディアナポリス出身の社会主義政治家)やイグナーツ・ゼンメルヴァイス(ハンガリーの産婦人科医)といった、文字通り自らの身をなげうって、貧しい人たちや病人に尽くした人々への尊敬と讃辞はおしまない。
もし彼ら(悪しき指導者)が憎んでいるものがあるとすれば、それは賢い人間なのだ。
だから、賢い人間になろう。そしてわれわれの命を救い、みんなの命を救ってほしい。誇り高くあってほしい。