快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

続・最強のブックガイド 「私が」選ぶ岩波文庫の三冊 『対訳 ディキンソン詩集』『マイケル・K』『冥途・旅順入場式』

 前回は、岩波書店のPR誌『図書』の臨時増刊「岩波文庫創刊90年記念 私の三冊」で、さまざまな人が選んだ「私の三冊」を紹介しましたが、となると、「『私の』三冊」も選んでみたくなるのが人情。で、私が選んだ三冊はというと――


まず思い浮かんだのが『対訳 ディキンソン詩集』。 

対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)

対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)

 

  隠遁生活のなかでひっそりと詩を書き綴り、いまではアメリカ文学史上最高の女性詩人と言われるエミリー・ディキンソンの詩集。
 詩というとどうしても難解なイメージがあるけれど、ここに掲載されている詩はどれも非常に読みやすく、すっと心に入ってくる。選者の亀井俊介があとがきで

幅広い階層の読者をもつ文庫の性格を考え、私はまず短いことに加えて、なるべく易しい詩を選ぶことにつとめた。しかしディキンソンの代表作や、あまり知られていないけれども彼女の神髄を示すと私の思ういくつかの詩は、難易にこだわらず収めた

と記しているとおり、ほんとうに目配りのきいた、ベタな言葉でいうと、たいへん「おトク」な詩集だと思う。いま再度ぱらぱらと読んでみても、どの詩も簡潔ながら、斬新さや清廉さに心が奪われる。

This is my letter to the World
That never wrote to Me――

これは世界にあてたわたしの手紙です
わたしに一度も手紙をくれたことのない世界への――

  次は『マイケル・K』(J. M. クッツェー著 くぼたのぞみ訳)。 

マイケル・K (岩波文庫)

マイケル・K (岩波文庫)

 

マイケル・Kは口唇裂だった。母親の体内からこの世界に送り出すのを手伝った産婆が、最初に気づいたのはそのことだった。唇が蝸牛の足のようにめくれ、左の鼻孔が大きく裂けていた。産婆はその子を母親にはすぐには見せず、小さな口を突いて開け、口蓋が無事だと知ってほっとした。

と物語がはじまり、そして大きくなったマイケル・Kが母親のアンナ・Kを手押し車に乗せて、紛争がやまない南アフリカの大地を横断する描写を最初に読んだときのインパクトは忘れがたい。ペーソスやユーモアのまじった洗練された筆致の『恥辱』や『遅い男』とはまた違う、生々しさがある。原著を読むと、クッツェーの英語は一見易しく読みやすいのだけれど、切りつめられた言葉から伝わってくるものの大きさに圧倒される。これを日本語に移し替えるのも一苦労だろう。余計な言葉を書き足してはいけないし。

 

そして最後は、私の青春の一冊、内田百閒の『冥途・旅順入場式』。 

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)

 

 といっても、べつに甘酸っぱい思い出があるとかではまったくなく(そんな本でもないし)、単に卒論で内田百閒を選んだというだけなのですが。(国文学専攻だったので)

 『件』は、簡単に言うと人面牛みたいな話なのですが、そこから百閒の「おもて」、つまり表層へのこだわりを見出し、そして『山高帽子』の帽子へとつながり……みたいなことを論じようとした記憶はおぼろげにあるけれど、具体的に何を書いたのか、さっぱり覚えていない。
 しかしまあ、あれから何年も経ってるけれど、相変わらずひとりで本を読んでうだうだしている、自分という人間の変わらなさ、成長の無さがなんだか恐ろしい、というのが、「岩波文庫の三冊」の最終的な感想になってしまった。。。