快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

大人になるってむずかしい② 優しくて誠実な小説だと感じた『火花』(又吉直樹著)

そういえば綾部はどうしているんだろう……?? 

火花 (文春文庫)

火花 (文春文庫)

 

  前回書いた「なりたいボーイ」の映画のときに、ちょうど最近読んだ(いまさらですが)『火花』の映画の予告編を見た。
 菅田将暉と桐谷健太、どちらも大阪出身のせいか関西弁に違和感もなく(関西人にとっては関西弁が下手だと、どんなにいい映画でも興ざめしてしまうので…)、小説のイメージに合っていたので期待できそう。

 前号のTVブロスの「なりたいボーイ」特集で、大根仁監督が原作者の渋谷直角に、「前作の『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』も面白かったけど、この作品は自分のパンツを脱いでいる感がしたのでよかった」
という趣旨の発言をしていたけれど、この『火花』も、芸人である作者が、自分のパンツを脱いで書いた感があるので、文学として高く評価されたのだろう。


 作者はもともと読書家としても有名なので、あえて芸人を主人公にしなくても、サラリーマンとか市井の人を観察して、よくできたコントのような短編を書いたり、あるいはもっと抽象的でシュールな作品を書くこともできたのではないかと思うけれど(念のため、そういう作品が悪いと言っているのではありません)、そうではなく、自分の立場から一番正直に書ける題材を選んだところに、誠実さを感じた。

 そしてその誠実さが、そのまま主人公「僕」と、「僕」が崇拝する「神谷さん」につながっているように思えた。

 『火花』の筋については、ご存じの方が多いでしょうが、念のため説明すると、一応漫才師ではあるけれど、めったにテレビにも出れず営業の仕事をこなしている「僕」が、他事務所の先輩漫才師「神谷さん」と地方の花火大会の営業で出会い、信条や佇まいすべてに惚れこみ、ともに漫才道を歩む――というストーリー。

「漫才師である以上、面白い漫才をすることが絶対的な使命であることは当然であって、あらゆる日常の行動は統べて漫才のためにあんねん。だからお前の行動のすべては既に漫才の一部やねん」 

 正直、小説からは「神谷さん」の芸がそれだけすごいのかはよくわからなかったけれど、とにかく純真で漫才のことしか考えていない「神谷さん」の魅力はよく伝わってきた。
 破天荒なキャラだけど、ひと昔前の芸人像のように自分勝手な乱暴者ではなく、あくまで心優しいところが、いまの時代を映しているように思えた。

でも僕達は世間を完全に無視することは出来ないんです。世間を無視することは、人に優しくないことなんです。それはほとんど面白くないことと同義なんです。 

  これは主人公「僕」のセリフだけれど、ここから読み取れる優しさと、いまの時代をきちんと読み取る賢さ、そして最初に書いた誠実さがこの小説の要であり、そしてこれらの要素は、小説だけではなく、お笑いやすべての芸に通じることのように感じられた。


 また、「神谷さん」が、漫才は自分たちだけで成立するものではない、コンテストで優勝する芸人だけがお笑いシーンを作っているのではない、落とされる芸人も必要な存在なのだと語るところも、やはりすべての芸能に共通しているのではないだろうか。
 小説でいうと、ドストエフスキー夏目漱石だけあればいい、というわけではないですからね。


 そして、ネタバレになりますが最後は――


 「僕」は一瞬テレビのチャンスをつかんだものの、それも束の間に終わり、結局漫才を辞めて就職する。一方「神谷さん」はそんなチャンスとすら無縁で、行方をくらませたかと思うと、とんでもない姿で戻ってくる。

 夢を叶えるという観点で考えると、どちらも惨めなラストだけれど、最後まで作者の視点に愛があって優しいため、切なさとともにユーモアを感じる。
 前回の「なりたいボーイ」と同様に、憧れていたものになるのはほんと難しい。いや、憧れるということ自体「別物」である証明なので、憧れているものにはなれるわけがないのだろう。


 芸人本というと、ずっと昔に小林信彦の『天才伝説 横山やすし』を読んだけれど、 

天才伝説 横山やすし (文春文庫)

天才伝説 横山やすし (文春文庫)

 

 もうその頃とは時代が変わったなと思う一方(いまならやっさんみたいな芸人、テレビで使えないでしょう)、芸のことしか考えられない人間は最終的に破滅するという結末は、時代が変わっても同じだなとしみじみした。

 ちなみに、この『天才伝説 横山やすし』で一番印象に残っているのは、実際のエピソードだったかどうか忘れたけれど、交差点で横断歩道にはみだして止まっている車のボンネットの上をやっさんが歩く場面だった。いまでも、横断歩道の上で止まっている車に遭遇するたびに、ボンネットの上を歩いてやりたくなる。


 あと、芸人本では、オードリー若林の『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』もすごく共感できたし、オアシズのふたりが書いた(まだ大久保さんがブレイクする前に)『不細工な友情』も読みごたえがあった。
 いまの芸人って、自分や周囲を客観視する能力が欠かせないから、本を書いてもおもしろいのかな。
 いや、春日のように、客観視を超越した芸人もいるか……『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』の春日の項は、ほんと感心したのでおすすめです。 

 

不細工な友情 (幻冬舎文庫)