快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

自分で自分の人生を選び取ることは可能なのか? 『ジャンプ』(佐藤正午 著)

 あのときああしてさえいれば、ちがう人生になっていたかも――
 あのときああしてさえいれば、ちがうひとと寄り添っていたのかも――
 
 なんて思ったりすることはあるでしょうか? 
 いや、「やれたかも委員会」の話ではなく、佐藤正午の『鳩の撃退法』を読むまえに、まずは旧作の『ジャンプ』を読んでみたところ、まさに上に書いたようなことがテーマになっているので、こんなことが頭をよぎりました。 

ジャンプ (光文社文庫)

ジャンプ (光文社文庫)

 

  ごく普通の会社員である主人公「僕」(三谷)には、半年前からつきあいはじめたガールフレンド南雲みはるがいる。
 三谷は出張の前日、羽田空港の近くに住むみはるのマンションに泊めてもらうことにするが、みはるの行きつけのバーで飲み過ぎて泥酔してしまう。そんな三谷を介抱しつつ、家まで連れてきたみはるは、「コンビニでりんご買ってくる」といって、そのまま姿を消す……
 
 と、ミステリーの定番ネタともいえる失踪を扱った小説である。
 といっても、それから殺人や誘拐などの事件がおきるわけではなく、三谷はみはるの姉と協力して探しはじめ、まずは警察にむかうが、警察は自発的な失踪者の捜索には消極的だ。なので、自分たちで聞きこみを行って、コンビニにむかってからのみはるの足取りをたどる。

 みはるを追っていくうちに、中退した大学での友人たちや、生き別れになっていた父親にまで行きつく。みはるのことをなんにも知らなかったことを、三谷は痛感する。
それでも、いったいどこに行ったのか、どうして姿を消したのかはわからないまま、時間が過ぎる。
 
 三谷は悩む。翌朝、酔いがさめて目を覚まし、みはるが部屋にいないことに気づいたときに、そのまま出張へむかうのではなく、出張を遅らせてでも、いっそキャンセルしてでもすぐに探していたら、みはるは僕のもとを去らなかったのではないか? と。
 しかし、時すでに遅く、気づいたときには、みはるの勤務先には休職届が出されており、三谷はみはるを失う。いったいなにが運命の歯車を狂わせたのか? 

一杯のカクテルがときには人の運命を変えることもある。
しかも皮肉なことに、カクテルを飲んだ本人ではなく、そばにいる人のほうの運命を大きく変えてしまう。
これは『格言』ではなく、個人的な教訓だ。
あるいはもっと控え目に、僕自身のいまの正直な思いだと言い替えてもいい。

 この小説は、「自分で自分の人生を選び取る」「女性の意志」を描いたというキャッチコピーがつけられているが、まさにそのとおりだ。

 先にも書いたように、みはるが姿を消したというだけで、ほかに事件らしいものはおきない。それなのに、主人公三谷の語りで長編をぐいぐいひっぱり、その語りに謎を――みはるが失踪したヒント――うまく潜ませ、最後の最後で「女性の意志」がなんだったのか判明するという仕掛けになっている。

 ミステリーでは「信用できない語り手」という手法がよく使われるが、三谷が「信用できない男」だというのは読み進めるとすぐにわかるのだが、それがみはるの失踪とどう結びつくのかが肝となっている。
 
 「自分で自分の人生を選び取る」ということは、どこまで可能なのだろうか? 
 主人公三谷は、最後の最後で、運命の歯車がくいちがっていたことに気づき愕然とするが、そもそも自分の意志だと思っていたことは、ほんとうに自分の意志なのだろうか? 自分で選択したと思っていたことは、ほんとうに自分で選択したのだろうか? そんなことを考えさせられる小説である。 
 
 気がついたときには女に去られていく男――という意味では、村上春樹の『女のいない男たち』に通じるものがあるのかもしれない。結局相手のことを、いや、自分のこともわかっていなかったゆえに、大切な(つもりだった)相手に去られてしまう男たち。 

女のいない男たち (文春文庫 む 5-14)

女のいない男たち (文春文庫 む 5-14)

 

 この文庫では、山本文緒北上次郎の書評を引用しつつ解説を書いていて、それもまた読みごたえがある。 

この物語を読んで、多くの男性読者が身につまされたり、反発を覚えたりしたようだ。
笑い事にしてはいけないが、やはりにんまりと笑いが漏れる。
平凡で優柔不断で鈍感な男を書いたら、今、佐藤正午が日本一ではないかと私は思っている。

  「平凡で優柔不断で鈍感な」主人公三谷には共感できない、という読者も多いようだが、山本文緒は「自分で自分の人生を選び取った実感」をしっかり抱いているにもかかわらず、三谷にはつい共感してしまうと書いている。
 
 というのも、自分の身のまわりにも失踪者がいるからだと、さらっと驚きの事実をあかしている。しかも、遠い知りあいなどではなく、前の夫らしい。前の夫は、山本文緒をはじめ、それまでの人生の知りあいと一切の連絡を絶って姿を消したとのこと。そんなことってあるんですね……
 
 で、山本文緒の小説も昔から好きだったので、ひさびさに近作の『なぎさ』を読んでみたところ、これがまたおもしろかった――ってまた長くなりそうなので、『なぎさ』については次回に書きます。