はじめての海外文学ビギナー篇~まずは猫よりはじめよ~『猫語のノート』(ポール・ギャリコ 灰島かり訳)
前回も書いた「はじめての海外文学」ですが、猫好きへのビギナー篇として外せないのは、これでしょう。
- 作者: ポールギャリコ,Paul Gallico,灰島かり
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1998/12
- メディア: 文庫
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ポール・ギャリコの家の聡明なメス猫が、「いかにして居心地のいい家に入りこむか。飼い主を思いのままにしつけるか」について、後輩猫たちに教える体裁のこの本。
ではまず簡単に、私自身がある一家をどうやって乗っ取ったかをお話ししましょう。……
私たち猫が人間の家に入りこむとき使うのに、これほどぴったりの言葉がほかにあるかしら。だってたった一晩で、何もかもが変わっちゃうんですもの。その家も、それまでの習慣も、もはや人間の自由ではなくなり、以後人間は、猫のために生きるのです。
まさにその通り。乗っ取られた身としてつくづく思う。
どうやらうちの猫は、パソコン用の椅子を気に入ったらしく、どっかと座っているので、いま私は猫のじゃまにならないよう、おしりを半分くらい乗せてこれを書いているのだけど、まさに、「人間の家を占領したら、すぐに気に入った椅子を選んで猫専用にすべし」という項もある。
猫専用にするためには、まず手始めに、その椅子の上でたっぷり時間を過ごすこと。丸まって眠りこんだり、眠っていないときでも眠ったふりをしたりして、猫がそこにいるのを家族の目に慣れさせます。だんだんわかってくると思うけど、人間は習慣の動物で、しかもたいへんな怠け者。だから洗脳すればどんなことでも信じこむし、ある状況を運命として受け入れさせるには、目を慣らしてやりさせすればいいんです。目を慣らすというのは、たとえば毎日毎日その椅子の上で猫を見ているうちに、やがてその椅子は猫のもので人間のものではないと、納得がいくようになることです。
と、こんな感じで、人間の心理を深く知りつくした猫による、人間の飼いならし方がびっしりと書かれている。
そして、この文庫のあとがきでの大島弓子のマンガでは、この本を読みながら愛猫サバの死を乗り越えたことが描かれていて、ほんの短いマンガなのだけれど、涙が出てくる。思えば昔、大島弓子のサバシリーズのマンガを読むたびに、猫との「誰も触れない 二人だけの国」(スピッツ)のような生活にあこがれた。そしていま、それが叶った。そしていま、これを書いているあいだも、何度も何度もキーボードの上に乗られたりと激しくじゃまされています。
この『猫語の教科書』で、作者である聡明な猫は、実利的なアドバイスにとどまらず、人間との生活で派生する、猫と人との間の愛についても言及している。
私にいえるのは、人の心に愛があると、その人の腕に抱かれたり、ひざの上でやさしくなでられたりしたとき、その愛があなたに向かって流れてきて、あなたはそれをただ感じるということ。人の心に愛がなければ、あなたは何も感じない。たとえどんなに機嫌をとってくれようと、どんなにじょうずになでてくれようと、愛は感じられないのです。
それにしても、ポール・ギャリコはほんと猫好きだったようで、この本の姉妹編である、猫をテーマにした詩と写真で構成されている『猫語のノート』でも、まえがきで猫二十七匹(!)との生活を語り、巻末エッセイ「高貴な猫と、高貴とは言えない人間について」で猫への愛を綴っている。
が、この『猫語のノート』の灰島かりさんによる訳者あとがきによると
彼(ポール・ギャリコ)は四度結婚し、そのうちの二人の元妻からは、後に訴訟を起こされています。どうも女性との関係は、猫とほど、うまくいかなかったようです。
と。そうか……。しかし、猫二十七匹に妻四人って、基本なんでも量多めである。
あと、「はじめての海外文学」のフリーペーパーでは、『通い猫アルフィーの奇跡』が紹介されていて、すごく読みたくなった。
飼い主が亡くなり、孤児になったアルフィーが奮闘する物語らしい。推薦者の山本やよいさんによると、「幸せになって!」と応援したくなるとのこと。わかります。人間については、あまりそんな風に思ったりしないけれど、猫については、すべての猫が幸せになりますようにって、心から願う。
↓ひとしきりあばれたら、膝でゴロゴロ。ちゃんと愛を感じてるのだろうか…