まるでリトマス試験紙のように、自分を振り返る―『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ 著 斎藤真理子 訳)
でもそのときはわからなかった――なぜ出席番号は男子から先についているのか。出席番号の一番は男子で、何でも男子から始まり、男子が先なのが当然で自然なことだと思っていた。
遅ればせながら、話題の『82年生まれ、キム・ジヨン』を読みました。
この小説はご存じの方も多いでしょうが、1982年に生まれたキム・ジヨンが、ふとしたきっかけで、あたかも他人が憑依したかのように話すようになり、心配した夫に付き添われて病院に行き、そこの精神科の医師がキム・ジヨンの半生を綴るという設定になっている。
なぜこの小説が話題になっているかというと、キム・ジヨンの半生を描くことで、韓国社会に色濃く残る男尊女卑の思想が浮き彫りになり、女性が差別されてきた長い歴史と、いまもなお差別が残る現在が告発されている。
また、全世界での #Me Too ムーブメントとも連動した、フェミニズムの盛りあがりの波(が日本で起きたのかどうかはよくわからないが)に乗ったことも原因だと言われている。
やっぱり、と私は思った。韓国は徴兵制があるせいかマッチョな男が多いと聞くし、男尊女卑もまだまだ根強いらしい。人気の韓国映画やK-POPの裏側では、日本では考えられないようなひどい女性差別も残っているにちがいない。
女は大学に行くなとか、勉強なんかせずに見た目を磨け、女に学問などいらない、女は仕事よりも結婚相手探しに励め、子どもを産まない女は女じゃない……みたいな偏見にキム・ジヨンが苦しめられて、ついには精神を病む物語なのだろう、と。
そして実際読んでみると、あれ? 予想していたのと少しちがう、と思った。そこまでひどい現実かな? と思った。
一番印象に残ったのは、さほど日本と変わらない、というか、なんなら日本よりましな面もあるのではないだろうか、ということだった。
もちろん、冒頭で引用した学校の制度や、嫌がらせをしてくる同級生の男子、就職活動の大変さなど、女であるゆえの困難は描かれているが、一方で、韓国では戸主制度(日本で言う戸籍制度かな)は両性平等の原則に違反するとして、2005年に廃止されていたり、女だから勉強や進学しなくてもいいという考えはすでに消え去っている。
姉とキム・ジヨンの進学を応援してくれた頼もしい母親に、それなりに優しく思いやりがある夫も印象深く、日本の現実より――少なくとも私の目に映る現実よりは――いいところもあるのではないか、最初に読んだときはそんな気すらした。
そこで、あらためて自分のこれまでの学校や社会での経験を振り返ると――いつも男子が先の名簿(いまはちがうらしいですが)、女子の方がテストでいい点を取ると悪口を言う男子たち、女子は家から通える学校がいいという通念、「うちの女の子」と言う職場の男性たち、電話に出ると「男を出せ」と言う客、女性をすぐに「おばさん」呼ばわりする男性たち(「(○○は)おばさんだから」「あんなおばさんになっちゃダメだよ」……)、女性の容姿をけなす男性たち(「ブス」や「(○○は)顔がマズい」……)――ぜんぶよくあることだと思い、深く考えないようにしていたことに気づかされた。
この現実を当たり前だと思っていたから、キム・ジヨンを読んでも、そこまで話題沸騰となるほど、ひどいことが描かれているのだろうか? と、一瞬不思議に感じてしまったのだ。
そういえば、去年東京医科大の入試の不正問題が発覚したときも、そりゃそうだろうなと感じ、とくに驚かなかったことも思い出した。
けれども、私が高校生だったころは、理系の女子は医学部を目指すのが好ましいとされていたのだ。いや、薬学部でも看護士でもいいから、医療系の仕事が推奨されていた。理由は、女性が企業で働き続けるのは難しいから。
いまも現実はたいして変わっていないかもしれないが、当時は女性が企業で働き続けるのは難しい、というのが当たり前の前提として受けとめられていたのだ。(念のため、平成の話です)なのに、つい最近まで、医学部を受験しても点数で差をつけられていたのだ。
この「キム・ジヨン」を読んで、自分がそんな理不尽な社会で生きていることを、あらためて突きつけられたように感じた。また、自分自身がそういう価値観を内面化していることにも気づかされた。
「そういう価値観」とは、男女差別だけではなく「自己責任論」も加わっているかもしれない。
先日なぜか知らぬ間に「人生再設計第一世代」なるものに位置づけられてしまったのだが、そのど真ん中の世代のせいか、「就職先が見つからない」「仕事を続けることができない」「生活が苦しい」のは、「自分が悪い」「自分の努力が足りなかったから」という思考回路が埋めこまれてしまっている。
「自分が悪い」のではなく、「社会が悪い」という考え方もあり得るのだと思えるようになったのは、ごく最近のことであり、同世代(「人生再設計第一世代」)の多くはそうではないだろうか。
たぶんこの思考回路は韓国にも存在していて、以前読んだパク・ミンギュの『カステラ』は、そういった価値観を内面化した若者たちが、深刻な不景気や人生の挫折に直面して、途方にくれるさまがうまく描かれていたと思う。
考えたら、韓国の現代小説は、社会の問題と個人の問題をバランスよく連携させるのがほんとうに上手だ。(そういう小説が厳選されて翻訳されている、と考えた方が正しいのかもしれないが)
さて、岡村靖幸と千原ジュニアの対談に興味があったので、連休中に『週刊文春WOMAN』を買ったところ、この『キム・ジヨン』に『カステラ』、そのほか多くの韓国の小説を翻訳している斎藤真理子さんが「韓国フェミニズム文学がわたしたちを虜にする理由」を寄稿していて、『キム・ジヨン』のヒットの理由について分析していた。
やはり、『キム・ジヨン』を読むひとはみな、私と同じようにそれまで経験してきたことを振り返るようだ。
日本でも韓国でも、まったくの他人事として受けとる女性は皆無なのだろう。逆に、自分の親や恋人はもっと理解がなかった、学校や職場はもっとひどかったと思う女性は、日本でも韓国でも少なくないのでは、と想像するが。
さらに、このなかで斎藤真理子さんが推薦している本が、前に紹介したキム・グミの『あまりにも真昼の恋愛』をはじめ、どれもおもしろそうで、いったいどれから読んだらいいのやらと、うれしい悲鳴をあげたくなるラインナップだった。
なかでもとくに気になるのは、以前紹介した『アンダー、サンダー、テンダー』もおもしろかったチョン・セランが、50人の人生を描いた群像劇『フィフティ・ピープル』。
そして、 韓国と日本の少女の交流を描いた短編などが収められた、チェ・ウニョンの『ショウコの微笑』。これは前に紹介した『殺人者の記憶法』(日本翻訳大賞受賞作ですね)を訳した吉川凪さんが監訳しています。
そして、フェミニズム小説のアンソロジー『ヒョンナムオッパへ』でしょうか。「オッパ」って、たしか「お兄ちゃん」という呼びかけであり、女性が恋人(男)に向けて使う言葉なんですよね。(一度は「オッパ」と呼ばれてみたい、という発言を聞いたことがある) どんな物語なのか……気になる。
日本翻訳大賞でもたくさん候補にあがっていたし、ほんとまだまだ韓国の小説の勢いが止まらないのはまちがいないようです。
- 作者: チョ・ナムジュ,チェ・ウニョン,キム・イソル,チェ・ジョンファ,ソン・ボミ,ク・ビョンモ,キム・ソンジュン,斎藤真理子
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2019/02/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る