快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

完璧な書き出しではじまる完璧な心理サスペンス『ロウフィールド家の惨劇』(ルース・レンデル著 小尾 芙佐訳)

ユーニス・バーチマンがカヴァデイル一家を殺したのは、読み書きができなかったためである。

  英国女性ミステリーの女王と呼ばれたルース・レンデルが1977年に発表した、『ロウフィールド家の惨劇』の冒頭である。

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 この小説の謎は、〈だれが殺人を犯したのか〉ということではなく、〈どのように殺人に至ったのか〉ということだ。この文に続いて、ユーニス・バーチマンにはそれ以上の動機もなく、正気を失っていたわけでもないと語られる。
 ただ文盲であるがゆえに、一家を惨殺した。いったいどういう経緯なのか? 

  なぜ文盲だったかというと、特別な理由があるわけではない。
 小学校に入ってまもないうちに第二次世界大戦が勃発し、田舎に疎開したりロンドンに戻ったりと転々として学校にろくに通えず、読み書きができないまま大きくなってしまったのだ。そんなユーニスを放置していたことからもわかるように、両親は物事を深く考える性分ではなく、娘が家事を手伝い、自分たちの面倒をみてくれたらそれでよしとしていた。

 ユーニスは大好きなチョコレートを食べて、掃除や縫いものをして日々を過ごすことに満足していた。しかし、時折暗い衝動に突き動かされ、たまたま知った周囲の人々の秘密をネタにして金をせびるのだった。ゆすりや恐喝という言葉も知らない彼女にとって、それは「独創的」な遊びだった。そして両親が相次いで死に、ユーニスは四十を過ぎてから働くようになった。

 

 ユーニスは常軌を逸しているわけではなく、先にも書いたように、いたって正気である。だからこそ、文字が読めないことを最大の恥と考え、だれにも悟られまいとあの手この手で危機を乗り越える。具体的には、仕事探しの際には手紙の代筆を頼み、仕事中に何かを読む必要が生じたら極端に目が悪いふりをする。
 しかし、どれだけ手を尽くしても、文字というものから逃げることはできない。文字のある空間は――つまり、ほぼすべての世界であるが――ユーニスに恐怖を与える。 

彼女は印刷された文字が恐ろしかった。彼女にとっては特別の脅威だった。それに近づかぬこと、避けること、それを彼女に見せようとする人間から遠ざかること。それを忌避する習慣が深くしみこんでいた。

  だが皮肉なことに、ユーニスが働くことになったカヴァデイル家は良識ある知識人の家庭の典型であり、いたるところに文字があふれていた。
 しかも、あふれていたのは文字だけではない。善意もあり余っていた。 

カヴァデイル家の人たちはお節介やきだった。彼らは最高の善意、すなわち他人を幸せにしてあげようという善意にもとづいてお節介をやいた。

  妻のジャクリーンは見栄っぱりでスノビッシュであるが、夫のジョージは礼儀正しく親切な紳士であった。
 大学に通う娘のミリンダは、家族のだれよりも善意にあふれ、自由奔放で素直な心の持ち主だった。カヴァデイル家がカラーテレビを購入するので、古い白黒テレビはお手伝いに使わせるという計画を耳にすると、「なんてケチ!」「すっごく非民主的でファシスト的」と、怒りをあらわにするほどだった。
 血がつながらない弟のジャイルズは、ミリンダに憧れつつも内向的な性格のためどうすることもできず、壁に貼ったサミュエル・バトラーなどの格言を見つめて日々を過ごしていた。

 カヴァデイル家のあちこちに置かれていた書物も、ジャイルズの部屋に貼られた“紙きれ”も、ユーニスにとっては恐ろしかった。こんな高い教養とあふれる善意を持つカヴァデイル家の面々に、読み書きができないことを知られてしまった日には…… 

 そもそも、どうして読み書きができないことが恥なのか? そんなの恥かしいことでもなんでもないじゃないか。できないものはできないと正直に告白して、いまからでも勉強すればいい。

 そう思う人もいるかもしれない。きっとミリンダのように愛されてすくすく育ち、ひけめやコンプレックスを心の底から感じたことがないのだろう。純粋な善意と純粋な悪意、より恐ろしいのはどちらだろうか?

 傍から見ると、世の中や他人にほとんど興味がないのに、恥の概念だけはふんだんに持ちあわしているユーニスが奇異に思えるかもしれないが、だれにも肯定されないまま狭い世界で生きていると、自分の凝り固まった価値観から外れているものは恥となる。

 恥というのは、他人の秘密をネタにして恐喝することを楽しんできたユーニスにとって、禁断の甘い果実でもあった。
 ところが、このカヴァデイル家の面々と出会い、開放的な心と善意をあわせ持つミリンダによって恥の概念をひっくり返され、ユーニスの世界は崩壊する。

 しかしそれだけなら、ユーニスがカヴァデイル家を去るだけで終わったかもしれない。常軌を逸した事件が起きる背景には、常軌を逸した要素があった。ユーニスの親友となったジョーン・スミスだ。

 ジョーンは裕福な家に生まれ、愛され、慈しまれて育ってきたにもかかわらず、これという理由もなく出奔して身を持ち崩し、放蕩生活のはてに信仰に目覚める。田舎の雑貨店店主の奥さんにおさまるが、何にも興味を持たないユーニスと対照的に、ありとあらゆることに尋常ならざる好奇心を燃やし、カヴァデイル家の新しい家政婦となったユーニスに接近する。
 育ちも性格もまったく異なるふたりだが、互いの暗い衝動がひきつけ合ったのか、急速に親交を深めていく。ジョーンの理由なき狂気が悲劇の推進力となる。

 それにしても、これだけインパクトのある書き出しならば、芸人用語でいう「出オチ」になってしまい、以降の展開は尻すぼみになってしまうのではないかと思うが、この小説は結末がわかっているにもかかわらず、読者の興味を最後まで持続させることに成功している。
 やはり、それが前回で取りあげたミネット・ウォルターズや、ジャネット・ウィンターソンなどの人気作家がリスペクトを表明するルース・レンデルの力量なのだろう。 


 小説の書き出しは、「これからいったい何が起きるんだろう?」と読者の興味をかきたてるものでなければならない。後知恵かもしれないが、すぐれた小説は書き出しからすぐれているように思う。手もとにある本をいくつか見てみると――

 日本で一番有名な書き出し「吾輩は猫である。名前はまだ無い」は、無名の猫が語り手であることを宣言している。世界で一番有名なのはカフカの「変身」かもしれないが、これも書き出しで虫になったことを宣言している。

 舞台設定を示す書き出しも多い。「こいさん、頼むわ」は、関西の良家が舞台となっていることがわかる(念のため、『細雪』の冒頭です)。では、この書き出しは? 

悦子はその日、阪急百貨店で半毛の靴下を二足買った。

  こちらは三島由紀夫の『愛の渇き』である。そもそも、どうして三島が豊中市の岡町を舞台にしたのか謎だったが、Wikipediaによると叔母の嫁ぎ先だったらしい。(しかし谷崎と異なり、関西弁はほとんど目につかない)
 悦子という女の「幸福の欲求」について書かれていて(新潮文庫吉田健一の解説によると)、ミステリーではないが、ルース・レンデルのような心理サスペンスが好きな人には楽しめる小説だと思う。 

愛の渇き (新潮文庫)

愛の渇き (新潮文庫)

 

  買いものパターンには、こんなものもある。 

父さんが熊を買ったその夏、ぼくたちはまだ誰も生まれていなかった――種さえも宿されていなかった。

  熊と家族の物語というと、そう、ジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』だ。やはり冒頭には物語の要となるものを持ってくることが多いように思える。 

 ある夏の夜、庭に面した窓をすべて開け放った大きな部屋で、彼らは屎尿溜めについて話していた。

  屎尿溜め……いま読んでいるヴァージニア・ウルフ『幕間』の冒頭である。1939年を舞台にした小説で、この「屎尿溜め」は、「戦時体制のもと、生活インフラが後回しにされていることの象徴」と、訳者解説で説明されている。

幕間 (平凡社ライブラリー)

幕間 (平凡社ライブラリー)

 

  嗅覚や五感に訴えるパターンというと、こういうものもある。 

匂いって何だろう? 

私は近ごろ人の話をきいていても、言葉を鼻で嗅ぐようになった。

  なんだか可愛らしい書き出しだ。ファンタジーのような……と思いきや、坂口安吾「青鬼の褌を洗う女」である。ある意味、ファンタジーかもしれないが。これも戦争が背景になっているので、戦時というのは五感が研ぎ澄まされるのかもしれない。 

白痴 青鬼の褌を洗う女 (講談社文芸文庫)

白痴 青鬼の褌を洗う女 (講談社文芸文庫)

 

  さて、現代作家によるもっともインパクトのある書き出しといえば、やはりこれではないだろうか。 

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

  デビュー作の書き出しでこんなものを持ってくるとは、さすがというか……「出オチ」にもハッタリにもならずに現在に至っているのは、あらためて言うまでもありません。 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 

  自分もインパクトのある書き出しを思いついた! 書き出しだけだけど、という方には、デイリーポータルのサイト「書き出し小説大賞」をオススメします。よくこれだけ思いつくものだと、つくづく感心する。

dailyportalz.jp

 

 『ロウフィールド館の惨劇』に戻ると、この物語は「完璧な絶望」にかぎりなく近く、あたたかい愛情に包まれていた〈ロウフィールド館〉は、「破壊、絶望、狂気……」を象徴する〈荒涼館〉(小説内でもディケンズが引用されている)となる。
 最後にユーニスを待ち受けていた罰とは? ぜひ読んでたしかめてください。

 

※さて、私が世話人を務めている大阪翻訳ミステリー読書会(オンライン第2回)を、11月8日(日)15時~に開催します。課題書は『フランケンシュタイン』(どの訳書でも可)です。
 ご興味がある方は、osakamystery@gmail.com にご連絡ください。
   あるいは、私のツイッター経由でもなんでも結構です。怪物はいかに生み出されたのか……? 楽しく語り合いましょう!