読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

『私のなかの彼女』 角田光代

 

私のなかの彼女

私のなかの彼女

 

  田舎から上京して、都内で大学生活を送っていた本田和歌は、世の中のバブル景気とは無縁のふつうの生活を送っていたが、恋人である内村仙太郎がイラストレーターとしてデビューし、新進気鋭の「アーティスト」としてメディアにひっぱりだこになり、人生が一変する。
 大学を出て普通に就職した和歌だったが、母が「醜女」と呼んで蔑んでいた祖母が、小説家を志していたというのを知って、祖母を題材に小説を書こうと思い、みごと賞をとって小説家としてデビューを果たす。これでようやく、尊敬し愛する仙太郎と対等になれると思った和歌だったが……

 けれども二人のあいだには亀裂が走る、とは、本を読んでいなくてもじゅうぶんに推測できるでしょう。(なので、ネタバレ注意とも書いてませんが。すいません)

 角田光代のいくつかの小説がそうであるように、ものすごく痛くておそろしい話だった。さっきも書いたように、案の定、和歌が小説家としてどんどん成功していくにつれて、二人のあいだはどんどん溝が深まり傷つけあって、二人ともどんどんつらくなっていく。

 なにかの雑誌でこの本の紹介を読んだとき、仙太郎は、アーティスト志望でまともに働く気のないわかりやすいクズ男なのかと思っていたが、読んでみると全くそうではなく、若くしてメディアにちやほやされても調子にのることはなく、冷静に周囲の人たちを観察していて、デビューした和歌にも「この業界はすぐに切り捨てるから」「仕事は辞めずに自分のペースで納得のいくものをゆっくり書いていけばいい」と一見しごくまっとうなアドバイスを与え、和歌の仕事が波にのると、家事一切を(やむなく)引き受け、そして最終的な人生の選択もきちんと地に足がついている。
 だからよけいに、仙太郎の仕事が輝きを失い(この小説は完全に和歌の視点で書かれているので、仙太郎の仕事が減っていくさまは細かく描写されていないが、和歌の編集者が、仙太郎のことを和歌の恋人とは知らずに「バブルとともに消えゆく種類のもの」と語ったり、以前はシュールな絵とことば遊びのような文が売りだったのに、いつのまにか「負けと思ったとたんに負けは決まるんだ」みたいな、陳腐なメッセージのある絵を描くようになるあたりが、“あるある” 感満載だった)、和歌の人格を否定するようになるさまが痛々しい。
 
 仙太郎が、なにもかも放り投げて仕事に夢中になる和歌を攻撃する言葉――自分の時間を自分のために使うことしかできず、きちんとした生活を放棄して、ゴミ屋敷のような家でコンビニ飯ばかり食べて――に、ぎくりとする女性は多いのではないだろうか。それでなにが悪い、自分の時間を自分のためだけに使うことでなにか問題あるのか、そう言いたい。でも、なぜだかそう言えない空気がある。

 考えたら、最初のころの和歌へのアドバイス――仕事は辞めずに自分のペースで書いていけばいいとかなんとか――にしても、ほんとうに相手のことを思って言っているという体裁で、きみの実力ではこれが限界だ、これ以上は望むなと、さりげなく呪いをかける典型的な言葉だ。
 こういう呪詛は、一般的には親子間でよく見かけるが、和歌の母親は、祖母への恨みつらみと和歌への呪詛を散々たれながしたあげくに病気になり、しまいには結婚もせず仕事ばかりしている和歌のことを「あんたはおかしい」と罵倒する。こういう母親像は、角田光代の作品では頻出だが、この本では仙太郎の言葉と増幅して、いっそう手のつけようのない負のパワーを発する。

 そしてこの和歌の姿は作者本人とも重なって読める、と言っても、作者の角田さんは実際には結婚していたりとディテールが違うし、そもそも書かれたものは、たとえ私小説であってもフィクションであるのだが、それでも作者の自伝的側面があるのではと思えるくらいリアルに描写されており、つまり主人公と同一視されてもいいと作者自身が腹をくくって書いているのだろう。そういう作品は、やはり迫力があっておもしろい。(話はそれるけど、まだ読んでない又吉の「火花」も、芸人が主人公ということは、そのあたり腹をくくって書いているのだろうから期待している。)

 話を戻すと、祖母の師匠であった作家の鉄治は、結婚していながらも弟子の女性たちに次々手を出し、作家としての才能もすっかり枯れた晩年になって、女たちとの交遊録を出版するという、仙太郎とは全然違う種類の、わかりやすいゲス男だ。しかし、そんな作家を無頼とか放蕩とかとみなして勝手に崇めるファン層がいるというのも、“あるある” やな~とげんなりした。

   と、ここまで書くと、救いのない人間関係ばかり出てくるつらい話のようだが、たしかにそれはそうなのだけど、それゆえに、和歌がエジプトに行くラストは清々しかった。仙太郎の呪縛から抜けだし、祖母の人生の選択は主体的なものだったのだと納得した和歌が最後に見たものは――
 それまでの和歌の気持ちが他人事と思えなかった人にとっては、ほんとうに勇気づけられるラストが待っている。