快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

空飛ぶ少女のゆくえ――『メアリと魔女の花』(メアリ―・スチュアート著 越前敏弥訳)

 ナウシカラピュタ、トトロで自分の中のジブリ映画が止まってしまっているし(紅の豚魔女の宅急便も見たはずだけど、あまり覚えていない)、『君の名は』など最近のアニメも見ていないため、、ジブリやアニメについて語る資格はないのですが、この『メアリと魔女の花』、原作を読んで映画を見に行ったところ、思っていたより楽しめました。

まったく、いやになるくらい、ありふれた名前だ。メアリ・スミスだなんて。ほんとにがっかり、とメアリは思った。なんの取り柄もなくて、十歳で、ひとりぼっちで、どんより曇った秋の日に寝室の窓から外をながめたりして、そのうえ名前がメアリ・スミスだなんて。 

  原作と映画は結構異なる点が多いが、どちらも「なんの取り柄もない」メアリ・スミスがシャーロット大おばさまの家で退屈しているところからはじまる。(ちなみに講演で聞いたところ、「メアリ・スミス」というのは、日本でいうと「山田花子」くらいありふれた名前とのこと)

 その平凡なメアリが、黒猫ティヴに導かれ、夜間飛行という不思議な”魔女の花”と出会い、魔法の力によってほうきで空を飛び、着いたところは「魔法学校」だった――というのは原作も映画も一緒である。


 映画では、やはりメアリの飛行シーンの躍動感や爽快さが強く印象に残り、たしかにこれまでのジブリのアニメの名場面をどうしても思い出してしまう。

で、ここからの感想はネタバレを含みますが――


 さっき「ナウシカラピュタ、トトロ」と書いたが、よく考えたら、少し前の『かぐや姫の物語』は映画館で見た。どうしてわざわざ映画館に行ったのかというと、こちらの雨宮まみさんの感想を読んで興味をもったからだ。

mamiamamiya.hatenablog.com

かぐや姫の物語』では、求婚者たちに辟易し、都での生活に絶望したかぐや姫が幼なじみの捨丸と再会して空を飛びまわるシーンだけが、姫が楽しそうに生き生きとした場面だった。しかし、結局捨丸とも一緒になれず(実は捨丸には妻子がいたのだった。またも最近話題のゲス不倫ですな)、求婚者たちも断って、月へ帰ってしまう――雨宮まみさんは「姫が月へと帰るのは、自殺だと私は解釈している」と書いている――哀しいお話だったけれど、このメアリも、最後は魔法を捨て、空を飛ぶ力を失ってしまう。

 ということは、『かぐや姫の物語』と同様に哀しいお話なのかというと、まったくそうではない。魔法を解いてピーターや動物たちを救ったメアリは、以前までの平凡なメアリではない。「成長物語」という言葉がまさにふさわしい。

メアリはシダの歯をぼんやり指で引っぱりながら、少しためらった。それから、まっすぐピーターを見つめた。(引っ込み思案でめったに人と打ちとけない、二日前の自分だったら、ぜったいにこんなことは言えなかっただろうと思うと、なんだか変な感じだ) 

  絶世の美女だったかぐや姫とちがい、メアリは原作の冒頭では何度も"plain"(不器量な)という単語で表され、映画ではさすがにブサイクにするわけにもいかないからか、”赤毛”がコンプレックスという設定になっていて、そんな冴えないメアリがすべての魔法を解くというのは、メタファーとしても興味深かった。

 魔法というとなんだか素敵に感じられるが、魔法学校のマダムやドクターの執着ぶりから考えると、魔法というより「呪い」のようにも感じられた。またSFのように妙にハイテクな魔法学校の描写からは、原発などの「人間の手に負えない」最新テクノロジーのメタファーとも解釈できた。

 思い出せば、「アナ雪」でも、エルサの魔力は封印されて、最終的には人畜無害なものにコントロールされていた。いいことなのかどうかはわからないけれど、いまは「魔法」が歓迎される世の中ではないようだ。


 あと、原作と大きく異なっていた点のひとつは、メアリの家族とシャーロット大おばさまだ。原作では、メアリにはふつうに父と母、双子の兄と姉がいて、たまたま大おばさまのところに預けられているという設定だが、映画ではメアリの家族については触れられず、孤児のような雰囲気を漂わせている。

赤毛のアン』や『あしながおじさん』など、孤児というのは児童文学やアニメの定番であり、主人公の少女の淋しさやよるべなさが際立つ。映画では、魔法学校での冒険のすえに、シャーロット大おばさまの過去と邂逅するというストーリーなのだが、ここでは孤児アンナが主人公の『思い出のマーニー』が頭に浮かんだ。 

新訳 思い出のマーニー (角川文庫)

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  そう考えると、これまでの児童文学やアニメが築きあげたものをきちんと継承している映画なのだなとあらためて感じる。

 原作は映画にくらべるとシンプルなストーリーですが、イギリスの田園風景の美しさやティヴの愛らしさが目に浮かぶように描かれているので、映画を観た人は読んでみてもいいのではないでしょうか。

ふとんの上を歩きまわって、ゴロゴロ喉を鳴らしているティヴはとても満足そうで、とても眠そうな――たぶん、ほんとうに眠いんだろう――ごくふつうのネコだった。もう二度と魔女の使い魔になろうとはしないにちがいない。