快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

旅する犬の物語① 『ティモレオン センチメンタル・ジャーニー』(ダン・ローズ著 金原瑞人訳)

ティモレオン・ヴィエッタは犬のなかで最高の種、雑種犬だ。

さらに、ティモレオン・ヴィエッタには際立った特徴があった。普通の犬には見られない特徴、たまたま親切な家庭に迷いこんできただけの野良犬とは一線を画する特徴が。ティモレオン・ヴィエッタは雑種犬だったが、少女の瞳のように愛らしい目をしていた。

ああもう、つらかった。とにかくそれが『ティモレオン』を読んでの感想だ。 

ティモレオン―センチメンタル・ジャーニー (中公文庫)

ティモレオン―センチメンタル・ジャーニー (中公文庫)

 

  私は猫を飼っているので一応猫派ですが、犬との暮らしも憧れる、一緒に散歩したいし、旅行もしてみたい……なんて気持ちで、この本を読んだら、とんでもなくダークな気持ちになった。

 雑種犬ティモレオンは、孤独な初老の男コウクロフトの飼い犬として、愛された人生、もとい犬生を送っていた。飼い主コウクロフトは、かつて成功した作曲家としてイギリスで暮らしていたが、とある事情でイギリスにいられなくなり、イタリアで暮らすようになった。
 同性愛者のコウクロフトはひとり暮らしで、恋人ができても長続きすることはなく、「長いこと、ティモレオン・ヴィエッタとしか話をしていなかった」。

五年間、ティモレオン・ヴィエッタは、コウクロフトに心から忠誠を尽くしてきた。人間の男は、やって来ては去る。若い者も老いた者も。やさしい者も腹黒い者も。

 そこへボスニア人の男がコウクロフトのもとに転がりこんできて、平和なティモレオンの犬生は一変する……

 どう一変するかというと、ボスニア人の男はティモレオンを憎み、そしてだれもが知っているように、犬は自分のことを嫌う人間には決して懐かない。よって、ボスニア人の男とティモレオンの仲はどんどん険悪になり、ついにティモレオンは遠くに捨てられてしまう。ここまでが第一部。


 そして第二部は、捨てられて必死で家に戻ろうとするティモレオンが遭遇する群像劇が描かれている。群像劇といっても、心温まるエピソードはない。ティモレオンのまわりで繰り広げられるのは、愛の断絶、裏切り、孤独、喪失……。そう、第一部と同じなのだ。

 あれだけティモレオンをかわいがっていたコウクロフトが、ボスニア人の男の言いなりになってティモレオンを捨ててしまうのは、あまりにも孤独ゆえにその男に捨てられるのが怖かったから。捨てられたティモレオンは、行く先々でまたもどうしようもなく孤独な人間たちとすれ違いながら、必死で家へと向かう。

ティモレン・ヴィエッタは、もうすこしで家に着くところだった。しっぽをぴんと立て、主人の家へ向かう曲がり角に通じる道を、ひりひりする足をすばやく動かして進んでいた。体は痛かったが、もうすぐ家に帰れる。主人の足もとにすわってなでてもらい、食べ物をもらうのだ。

 世の中は不条理だ。ティモレオンが目撃したように、ひとはあっさりと死に、親子の絆もすぐに失われ、あれだけ愛していた相手を捨て、あれだけ愛していたのに捨てられた相手の記憶も薄れる。そして、さんざん人間の孤独を見せつけられてきたティモレオンの宿命も例外ではなかった。


 第二部の群像劇では、お人形のように美しい娘、赤ちゃんのときに医者から「娘さんの知能は赤ん坊並みの知能以上に発達することはないでしょう」と宣告されたローザの物語がとくに印象深かった。ローザ、そして両親を待ち受けていた運命は、やはり不条理なものだったけれども、ローザのまわりには愛も善意も希望もたしかに存在した。

一度だけでいい、とふたりは言った。ローザの笑顔を見ることができたら、残りの人生をずっと幸せに生きられるのに。 

  訳者あとがきで、「読者の思いや期待にはこれっぽっちの配慮もなく」「まさにグロテスクで残酷で不快なのだが、同時にコミカルで切なく美しい作品」と書かれているのが、まさにそのとおりと感じた。正直、つらい要素があまりに多く、コミカルとまで言えるか疑問だが、スラップスティックであることはまちがいない。


 愛犬家の江國香織が解説を書いているけれど、『デューク』はいいお話だったなあ、、、としみじみ思い出した。

つめたいよるに (新潮文庫)

つめたいよるに (新潮文庫)

 

 わたしのデュークが死んでしまった。キスの上手いデュークが。泣きやむことのできないわたしの前に、男の子があらわれた……読み返すたびに泣いてしまう。

 ちなみに、うちのマークもキスが上手です。えっ? 犬や猫にキスなんかしたら不潔だって? そんなの知らなーい!!