英国魂でしぶとくタフに生き延びよう 『花の命はノー・フューチャー』『This is JAPAN』(ブレイディみかこ 著)
みなさんご存知のとおり、ここ最近、地震や大雨、そして台風のくり返しで、訃報も相次ぎました。(樹木希林も『万引き家族』見たところなのでおどろいたが、やはり子どもの頃から読んでいた、さくらももこの衝撃が大きかった……)
ほんと人生いつなにが起きるかわからない、こうやって好きな本を読んだり、好きな音楽を聞いたり、好きなライブに行ったりというのも、いつまで続けられるんだろう?
なんて、思いを馳せたりしていましたが、連休中にポール・マッカートニー御年76歳の新曲を聞いたら、これがまた素敵だったので、やはりできるだけ長生きして、好きなものをしつこく追いかけなあかん、 と誓いを新たにしました。
しかし、御大の新曲のどこがいいかというと(いや、氏の音楽の才能については、世界中が周知しているのは承知していますが)
Did you come on to me, will I come on to you?
If you come on to me, will I come on to you?
僕を誘ってるの? 僕から誘っちゃおうかな?
君から口説いてくるなら、僕だって口説いちゃうよ
と、あんな大御所なのに、こんなに軽く楽しく歌いあげるところが偉大ですね。
ほんとうに偉いひとや才能のあるひとは、絶対に仰々しく深刻ぶったりしないというのは、ふだんの仕事でもよく思うことなのだけど、あらためて感じ入りました。
そういえば、こないだ読んだブレイディみかこの『花の命はノー・フューチャー』(いいタイトルですね)では、筆者が深い愛をこめて綴るジョン・ライドン(元セックス・ピストルズのジョニー・ロットン)の生きざまが心に残った。
花の命はノー・フューチャー: DELUXE EDITION (ちくま文庫)
- 作者: ブレイディみかこ
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2017/06/06
- メディア: 文庫
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「ピストルズの栄光をドブに捨てるのか」みたいなことを散々言われながら、B級リアリティ番組に出て、芸人顔負けのリアクションを披露するジョン・ライドン。
たしかに、ピストルズの栄光をひたすら守って生涯を過ごすより、笑いにする方がずっとパンクだ。それにしても、イギリス人独特のタフさ、サバイバルの仕方は興味深い。
この『花の命はノー・フューチャー』は、ブレイディみかこのデビュー作(の復刻版)であり、これが書かれた2005年当時は、イギリスのワーキングクラスが住む地域で、連れ合いとふたりで気ままな暮らしを楽しんでいた(少なくとも書かれている限りでは)筆者だが、そこから子どもを産み、しかもイギリスの保育士の免許まで取って働きはじめる。
それに伴って、書いている内容も身のまわりの話から、階級問題やイギリスのEU離脱問題にまで広がり、社会時評に近くなっていくが、もともとの「ワーキングクラス」からの視点はけっして失っていない。そこで満を持して、日本の社会を取材して書いたのがこの『This is JAPAN』だ。
ブレイディみかこはイギリスと同様に、日本でも「地べた」からワーキングクラスの現場を観察する。筆者が日本を離れた1980年代とちがい、いまの日本では貧困ははっきりと可視化されている。
しかし、それでもやはりイギリスのワーキングクラスとは大きな隔たりがある。
イギリスでは、労働者であっても、あるいは子どもですら、自分の人権はなにより大事なものだと確信している。一方日本では、生活困窮者を支援する「もやい」でボランティア活動を志願するような意識の高い大学生でも、「人権ってなんですか?」と質問する。不思議に思った筆者は、小学校で教える人権教育について調べる。
わたしは大きな項目が含まれていないことに気づいた。
「貧困」である。「貧困問題」が人権課題に入っていないのだ。
そう、日本の学校で習う人権教育とは、「女性を差別してはいけない」(女性のところには、ほかにも障害者、同和問題、外国人、アイヌの人々……などが入る)という差別問題ばかりで、「そもそも、著しい貧困は人の尊厳を損なうものであり、そのことを社会が放置することの人権的な問題は教えられていない」のである。
日本の社会運動が「原発」「反戦」「差別」のイシューに向かいがちで経済問題をスルーするのと同じように、人権教育からも貧困問題が抜け落ちているのではないだろうか。まるでヒューマン・ライツという崇高な概念と汚らしい金の話を混ぜるなと言わんばかりである。が、人権は神棚において拝むものではない。もっと野太いものだ。
自分たちの人権の大切さを教わることなく、自己責任論がしみついた日本の若者たちの姿は、この本の最初の章で書かれている、歌舞伎町で不当な労働問題について訴えるキャバクラユニオンの面々を、おそらく同様に夜の世界で酷使されている黒服たちが「つべこべ言わずに働け!」と罵る場面によく表れている。
それから筆者は、「もやい」に相談に来ている貧困の当事者を実際に見て、たとえ貧困に陥っても、「自分たちは新自由主義の犠牲者だ!」と立ちあがるイギリスやスペインの若者たちとのあまりの落差に愕然とする。
とにかく、相談者たちは覇気がないのだ。自分のことなのにまるで他人事のようで、カウンセラーのアドバイスにもただ頷くだけで、そうするともしないとも言わない。だれかに決めてもらうのを待っているのだ。なんか想像つくなあ…という気もするが。そして、筆者は以下のように考える。
日本の貧困者があんな風に、もはや一人前の人間ではなくなったかのように力なくぽっきりと折れてしまうのは、日本人の尊厳が、つまるところ「アフォードできること(支払い能力があること)」だからではないか。
つまり、人権という概念が根づいていない日本では、支払えなくなった自分は人間失格だと思ってしまうというわけだ。日本では、「義務」(支払い)を果たせない人間は、「権利」を守ってもらうに値しないという考えがしみついてしまっている。
と、この本を読んで考えていると、ちょうど下記のような記事があがっていた。
客観的に見ると、べつに年寄りでもないし、学歴もあるし、知人もいるようだし、なんとかなる状況だったのでは? と、どうしても思ってしまうのだけど、もうそんなことも考えられないほど、疲れきって追いつめられてしまったのだろう。
この本では、貧困問題のほかに、筆者の専門である保育園を視察したルポもあるのだが、それも読みごたえがあった。牛乳パックを駆使した ”Austerity measure” には、あるある!(日本の保育園には)と、膝を打ちそうになった。
念のためにつけ加えておくと、筆者は「イギリスはすばらしい! それにくらべて日本の惨憺たるありさまといったら……」と書き連ねているわけでは全くない。もともと階級社会であり、1970年代から不況に陥ったイギリスは、貧困問題については日本よりタチの悪い側面もたくさんある。
しかし、労働者階級のパワーは、(良くも悪くも)日本をはるかに凌駕しているというのは、まちがいない事実のようだ。
彼らはけっしてひるまない。ブロークン・ブリテン上等と言わんばかりのやけくそのパワーで突き進むので、この先どんなに大変なことになっても、とりあえずこの人たちは死なないだろうと思わされてしまう
やはり私たちも、ポール・マッカートニー御大やジョン・ライドンのように、しぶとくタフに生き残るためには、英国魂の注入が必要なのでないかと思ったりする初秋の夕べなのでした。とりあえず、もう地震も台風も来ませんように!