快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

2020年心に残った本(『ボッティチェリ 疫病の時代の寓話』『ワイルドサイドをほっつき歩け』『ディスタンクシオン』)

 先日、翻訳ミステリー読書会のスピンオフとして雑談会を開き、「今年心に残った本」について語り合いました。いつものように思いつきでテーマを発表してから、なんやろ~と考えてみたのですが、案外迷うことなくすんなりと下の3冊に決まりました。

 1:バリー・ユアグローボッティチェリ 疫病の時代の寓話』(柴田元幸訳)   

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今年を象徴するものというと、認めたくないけれどやはりあれしかない。名前は口にしたくないけれど、そいつのせいで私たちは日常生活を営むことすら困難になり、愛する人たちの姿を見ることもかなわなくなった。 

禍々しい突発事態によって、予期せざる期間わがささやかな住まいに閉じ込められたいま、閉じこもりの停滞と不安を打破しようと、この四つの壁の内部の旅行記兼回想録を書こうと私は思い立つ。

  禍々しい突発事態が起きてしまった。世界でもっとも大きな被害を受けた都市のひとつ、ニューヨークに住むバリー・ユアグローは、「書く」――引用した掌編のタイトルでもあるが――ことによって正気を保とうとした。

 この小さな冊子に収められた掌編はどれも現実と非現実の狭間を漂っている。
 現実が非現実に近づきつつあるさなか、非現実を描くことによって現実を取り戻そうとした試みと言えるのかもしれない。また一方、作者は以前から奇想あふれる非現実を描いてきたが、現実が非現実に近づいたことによって、作者の描く非現実が現実そのものの感触を得るに至ったようにも思える。
 つまりは、現実と非現実が渾然一体となったこの掌編集は、とてつもない想像力に満ちあふれていて、とてつもなくリアルに感じられた。

 この掌編集は今年の4月から5月に書かれたもので、日付順で収められている。
 4月初めに書かれた冒頭の「ボッティチェリ」では病によって美しくなるという倒錯が綴られたり、「鯨」では鯨が救急車の代わりをしたりと、切羽詰まった状況ながらも微かな情緒や遊び心がほの見える。

 しかし5月に書かれた「夢」では、自分の夢にアクセスできなくなった主人公が、「毎日毎日、生活のなかのもっとも陳腐な行為を営むだけでも、心を蝕む不安がまた新たにもたらされているんです」と怒りをたぎらせ、最後の「書く」も、闖入者によって「書く」ことができなくなった物語であり、日が進むにつれて不穏さが増していくのがわかる。私たちも3月くらいの頃は、1か月も自粛したらきっと落ち着くにちがいないと思っていた……なんて振り返ってしまう。

 4月26日付の「影」では、影をなくした女の子にマスクを付けた「私」が声をかける。この一年、世界中のだれもが心の底から求めた言葉――「私」もまったく確信は抱いていないのだけれど。 

「大丈夫だよ、きっと」と私は何度も、マスク越しに彼女に向かって呟く。「心配しなくていいよ、大丈夫だよ、きっと」

 2:『ワイルドサイドをほっつき歩け』(ブレイディみかこ)  

  また、今年はBLMやアメリカ大統領選が注目を集め、赤と青で塗り分けられたアメリカの地図が象徴していたように、「社会の分断」が一層あらわになった印象がある。(コロナが加速させた側面もあるが……って名前を書いてしまった)
 「社会の分断」が表面化してきた兆候のひとつに、イギリスがEU脱退を決めた2016年の国民投票を挙げることができるのではないだろうか。

 『ワイルドサイドをほっつき歩け』は、ブレグジットをめぐって一組のカップルに亀裂が入るエピソードから始まっている。 

英国なんかだと、とくに「けしからん」存在と見なされているのは、労働者階級のおっさんたちである。時代遅れで、排外的で、いまではPCに引っかかりまくりの問題発言を平気でし、EUが大嫌いな右翼っぽい愛国者たちということになっている。

  と、「はじめに」に述べられているように、イギリスでもアメリカでも、いわゆる「白人の労働者階級」は黒人などのマイノリティや移民を排斥しようと旗を振り、EU離脱やトランプ再選に票を投じる「意識の低い」人たちだと見做される傾向がある。
 しかし、作者が「おっさんたちだって一枚岩ではない」と書くように、労働者階級の人たちにもさまざまなタイプがいて、EU離脱に票を投じたのにもさまざまな理由や事情がある。

 一見、作者の身辺雑記のようにも読めるこの本が、ユーモラスで淡々とした筆致でありながら強く印象に残るのは、白人の労働者階級に属する人たちを「意識が低い」と批判するのではなく、逆に労働者階級の本音こそ正義だ!と美化するわけでもない、フラットな視点で書かれているからだと思う。

 周囲の労働者階級の人たちのなかには、NHS(国民保健サービス)を守ろうと奮闘し、レイシズムと戦う人たちもいる。
 その一方で、ベトナムからやってきた妻に対して、金目当てじゃないのかと冷たい視線を向ける人たちもいる。作者自身もイギリス人男性と結婚したとき、「永住権を取得するために利用されるとか、就労ビザ欲しさの結婚だ」とか、夫の仲間たちが裏で言っていたのを覚えている。

 けれども、そういう人たちを断罪するのではなく、「おっさんだって生きている」を合言葉として、さまざまな面を持つ人間そのものを受け入れる姿勢が、激しい主張が飛び交うこの時代において新鮮だった。ベストセラーとなった『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が綺麗事のように感じられた人には、こちらを読んでもらいたい。 


3:ブルデューディスタンクシオン』NHK 100分 de 名著(岸政彦)  

  人間はさまざまな面を持ち、その行動の裏にもさまざまな事情がある。ということが、この本では「他者の合理性」という言葉で表されている。 

すべての人の行為や判断には、たとえ私たちにとって簡単に理解できないもの、あるいはまったく受け入れられないようなものでさえ、そこにはその人なりの理由や動機や根拠がある。

  作者は沖縄の生活史を専門とする社会学者であり、自身の考えとしては「沖縄に米軍基地を押しつけることに反対」であり、「沖縄の民衆的抵抗を信じている」と述べている。その一方で、「民衆」に幻想を抱いては駄目だと論じ、米軍基地に「反対しない人を愚かだとは決して言いません」と綴っている。

 米軍基地と共存して生きることを選択する(あるいは選択せざるを得ない)人たちにとっては、その選択の合理性が必ず存在するので、それを理解しようとしないかぎりは何ひとつ前進しないというのがその理由だ。
 どんな問題であっても、自分の正しさを主張するよりも、相手を理解するように努める方が問題解決に近づく、もしくはたとえ解決しなくとも、先へ進めるのだろうと感じた。

 とはいえ、他者に対してけっして幻想を抱かずに、ただ理解しようとするというのは、かなり困難な作業だと思う。愛情や思い入れは、家族間でも友人間でも言えることだけれど、どうしても幻想とセットになってしまうし、けれども愛情や思い入れがなければ、相手のことを理解したいとは思わない。
 来年、いや生きているうちに、この境地に達することができるのだろうか……

 この『ディスタンクシオン』のメインテーマは階級であり、私たちが自らの選択で選び取っているつもりの趣味や嗜好も、実は深く階級と結びついていると語られている。『ワイルドサイドをほっつき歩け』でも、英国の世代と階級についての解説が巻末に書かれていた。

 こういった階級論を読むと、「でも日本はヨーロッパほど階級社会じゃないし……」と思いたくなるが、「東大生の親の約六割が年収950万円以上」(全世帯のうち、所得が1000万以上はわずか12%)というニュースを聞くと、気づいていないだけで、日本もしっかり階級社会になっているのかもしれないと考えさせられる。
 この二冊が参考として挙げている『ハマータウンの野郎ども』を読んで、勉強すべきなのかもしれない。 

ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)
 

  またも自分の感想で長くなってしまいましたが、参加者のみなさんが雑談会で挙げてくれた本も貼っておきます。 

 

 

 

 

 

 

  さて、そんなこんなで2020年もあと半日。いろいろあったけれど、
♪どうか元気で~お気をつけて~と、みなさん無事に新しい年を迎えましょう。来年こそは……!