べつの言葉によって自らを変容させていく試み 『べつの言葉で』(ジュンパ・ラヒリ著 中嶋浩郎 訳)
人は誰かに恋をすると、永遠に生きたいと思う。自分の味わう感動や歓喜が長続きすることを切望する。イタリア語で読んでいるとき、わたしには同じような思いがわき起こる。わたしは死にたくない。死ぬことは言葉の発見の終わりを意味するわけだから。
『停電の夜に』『その名にちなんで』など、日本でも高い人気を誇るインド系アメリカ人作家ジュンパ・ラヒリは、イタリア語を愛するあまりに「イタリア語と結びつくために」、40歳を過ぎてアメリカから家族とともにイタリアに移住する。イタリア語の本だけを読むというのはアメリカにいたときからすでにはじめていたが、移住してからはイタリア語だけで生活し、ついには作品すらもイタリア語で書きはじめる。
冒頭の引用では、イタリア語との関係を恋になぞらえているが、たしかにラヒリのイタリア語へののめりこみぶりは、恋愛に耽溺するのによく似ているように感じられる。この『べつの言葉で』の前半部分では、そのあまりの傾倒ぶりに当惑すら覚えてしまうが、読み進めていくうちに、ラヒリがイタリア語を求めた理由があきらかになっていく。
インド人の両親を持つラヒリが最初に身につけた言葉は、両親が話していたベンガル語であった。しかし本を読みはじめ、学校にも通うようになると、ラヒリの中でベンガル語は後退し、かわりに英語と一体化していった。英語はアメリカで生きていくうえで欠かせない言葉でもあった。
けれども、両親は娘が英語を使うことを快く思っていなかった。一方、娘は友達の前でベンガル語を話すのが恥ずかしかった。アメリカの店では、訛りのある英語を話す両親を無視して、自分に問いかけてくる店員に腹が立った。そしてまた、間違った英語を話す両親にもいらいらした。
わたしのこの二つの言語は仲が悪かった。相容れない敵同士でどちらも相手のことががまんできないようだった。その二つが共有しているものはわたし以外に何もないと思ったから、わたし自身も名辞矛盾なのだと感じていた。
イタリア語を勉強するのは、わたしの人生における英語とベンガル語の長い対立から逃れることだと思う。母も継母も拒否すること。自立した道だ。
こうして、ジュンパ・ラヒリは第三の言語としてイタリア語を学びはじめ、ついにはイタリア語で生きていくことを選択した。しかし、イタリアに行ったからといって、アメリカで感じた呪縛から完全に逃れることができたわけではない。
イタリアの店に行くと、店員はラヒリに「どこからおいでですか?」と尋ねる。しかし、自分よりずっとイタリア語が下手な夫には何も聞かない。顔かたちと名前(アルベルト)のせいで、「ご主人はイタリア人でしょう」と決めつけられる。さらには、「イタリア語はご主人から習ったのか」とまで言われる。そんなときは打ちのめされた気持ちになる。
(話は逸れるが、「主人」という言葉をめぐる問題があるけれど、こういう台詞を吐く人が使う言葉は「夫」ではなく、絶対に「ご主人」なのだろうなとつくづく思う)
アメリカのボストンに居た頃、町ですれちがった男に「くそったれ、英語が話せねえのか」と怒鳴られたことや、あるいは、両親の故郷であるインドのコルカタでは、アメリカ育ちだからベンガル語なんてわかるわけないと決めつけられ、英語で話しかけられた思い出が蘇る。どこへ行っても自分の言葉を話すと驚かれる。どこへ行っても所属できない気持ち。
生まれ育った国で「外国人」とみなされる親を持つ子どもは、どこにも所属できない気持ち、余所者であるかのような一種の疎外感を抱えてしまうのかもしれない。
ブレイディみかこの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』というタイトルは、息子のちょっとした落書きがもとになっていて、タイトルからもその心情がうまくあらわれている。
イギリス人である夫と日本人である作者を親に持つ息子は、イギリスの労働者階級の町にある中学校ではたったひとりの東洋系として人目をひき、日本に来ると「ガイジン」としてじろじろ見られる。ときには「日本語話せないのか」とおっさんにからまれたりもする。息子はこうつぶやく。
「日本に行けば『ガイジン』って言われるし、こっちでは『チンク』とか言われるから、僕はどっちにも属さない。だから、僕のほうでもどこかに属している気持ちになれない」
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の最終章で、息子はギターを手にしてロックを鳴らすことで、「ブルー」を変えていこうとする。
『べつの言葉で』のラヒリはイタリアで暮らし、いまだ確固とした隔たりを感じる不完全なイタリア語で作品を書くことによって、自らを変化させて自由になろうと試みる。
別の人間になりたいと願う翻訳家の女がいた。はっきりした理由があってのことではない。ずっとそうだったのだ。
というのが、ラヒリがイタリア語で書いた最初の掌編小説「取り違え」の冒頭である。べつの言葉によって別の人間になりたいと願う女。オウィディウスの『変身物語』を愛するラヒリの強い思いが投影されている。
「ずっとそうだったのだ」と書いているように、この願いはイタリア語に傾倒するようになってから芽生えたわけではない。
英語で書かれたラヒリの作品を翻訳してきた小川高義による『翻訳の秘密』を読むと、初期作品から一貫してラヒリは「わからないこと」に身を浸し、それを「解釈」することで自らを「変容」させてきたことに気づかされる。
ラヒリのデビュー短編集『停電の夜に』の原題は、 短編のタイトル ”Interpreter of Maladies” が採用されており、interpretは単なる「通訳」という意味ではなく、異なるものやわからないものを解釈しようとする試みだ、と小川さんは考察している。
さらに、ラヒリがネット上で発表したエッセイの結びの言葉 ”I translate, therefore I am” に焦点をあて、translationは「翻訳」というより「変容」のニュアンスが強く、ときには「場所の移動」を含むことさえあると指摘し、「わからないものを解釈しようとして、みずからの変化も生じる」ことが、まさに「ラヒリのテーマそのもの」としている。2007年の文章だが、まさに現在のラヒリを予言した読解だと思った。深く読むことによって、作者が進んでいく方向も見えてくるようになるのだろう。
先の掌編小説「取り違え」は、翻訳家の女が黒いセーターを取り違えられる物語である。彼女は自分のセーターを取り戻すことができたのか? 別の人間になることができたのだろうか?