快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

救いのない人生で見出したものとは? 『タイタンの妖女』(カート・ヴォネガット・ジュニア 著 浅倉久志 訳)

かつてウィンストン・ナイルズ・ラムフォードは、火星から二日の距離にある、星図に出ていない、ある時間等曲率漏斗(クロノ・シンクラスティック・インファンディブラム)のまっただなかへ、自家用宇宙船で飛び込んでしまったのである。彼と行をともにしたのは、一頭の愛犬だけだった。現在、ウィンストン・ナイルズ・ラムフォードとその愛犬カザックは、波動現象として存在しているーー 

 先月、カート・ヴォネガットタイタンの妖女』の読書会に参加しました。
 もともと『スローターハウス5』や『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』が好きだったけれど、『タイタンの妖女』はあまりにSF過ぎるというか、奇想天外過ぎて、きちんと読めていなかったので、この機会に原書に加えて翻訳本も買い、じっくり読んでみました。  

タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫SF)

タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫SF)

 

  ストーリーは、冒頭の引用にあるように、時間等曲率漏斗にまきこまれて波動現象となった、ラムフォードという名家の紳士が実体化するところからはじまる。
 ラムフォードが実体化する瞬間を一目見ようと押し寄せた群衆にまぎれて、ラムフォード夫人からの招待状を手にした大富豪、マラカイ・コンスタントもやってくる。

 実体化したラムフォードは、「わたしは家内に、きみと彼女がいずれ火星で結婚することになるだろう、と話したのさ」とコンスタントに告げる。続けてラムフォードは、ラムフォード夫人は火星でクロノという息子を生み、コンスタントの最終目的地は火星でも水星でもなく、タイタンであると予言する。

 金にも女にも不自由していないコンスタントはそんな予言を一蹴するが、それからしばらくして、気がつくとコンスタントは破産していた。コンスタントは火星からの使者に従い、宇宙船へと乗りこむ。


 そして舞台は数年後の火星に移り、アンクは忠実な兵隊として任務をこなしていた。しかし、基地病院から解放されたばかりのアンクの記憶は何もかも消去されていた。上官の命ずるまま、アンクはとある兵隊を絞め殺す。兵隊は息を引き取る直前、アンクに手紙のありかを教える。


 その手紙はアンクが記憶を消される前に書いたもので、アンクには妻と息子と、なにより大事な無二の親友がいたらしい。アンクは彼らを探す旅に出るーー

 と、ストーリーを書いてみても、なにがなんやらかもしれない。

 もちろん、このアンクがマラカイ・コンスタントであり、ラムフォードが予言したとおり、アンクは親友に会うために火星から水星に行き、地球にいったん戻り、それからタイタンへ向かう旅路を描いた、壮大なスペースオペラ(のパロディ)小説である。

で、ここからネタバレになりますがーー

 

 アンクが探しつづける無二の親友というのは、自ら絞殺した兵隊である。

 といっても、このことは殺したときに書かれているので(読者はわかっているが、アンクだけが知らないというパターン)、ネタバレではないかもしれないけれど、つまり、親友を探すアンクの旅路はすべて無駄だったということになる。なんて救いのない人生なのだろうか。

 いや、アンクだけではない。ラムフォードが全知の神に近い存在なのかと思いきや、物語の終盤、アンクがタイタンにたどり着くと、そこにはサロというトラルファマドール星人がいる。(トラルファマドールは『スローターハウス5』でもおなじみですね)。サロは不時着したタイタンで、宇宙船の交換部品を持った人間があらわれるのを待っていたのだ。

 ここで、アンクも、ラムフォードも、いや地球の人類全体が、サロに交換部品を渡すために生かされていたという事実が明かされる。
 なんてばかばかしいのかって? 
 いや、人生に意味を求めることのばかばかしさを、ここまで突きつけられると爽快である。

 人生に意味はないのか? 救いはないのか? いやそんなことはない、と宗教を信じるひとなら言うかもしれない。しかし、ヴォネガットの世界では、宗教や神様はとことんまで茶化される。
 
 ラムフォード自体が神のパロディのような存在であり、ラムフォード夫人が火星でクロノという息子を生むことをコンスタントに予言する場面は「受胎告知」である。(読書会の指摘で気がついたのですが)事実、ラムフォード夫人は結婚しているものの、この時点では処女である。

 そして、アンクがいったん地球にもどる場面では、前々回に書いたように、ラムフォードを教主とする〈徹底的に無関心な神の教会〉が登場する。

 信者たちは「平等」になるため奇妙なハンディキャップを背負い、マラカイ・コンスタントを忌まわしいものとして呪詛し、〈宇宙のさすらいびと〉であったアンクがコンスタントだと判明すると、タイタンへ追いやる。

おれはひとつながりの偶然(アクシデント)の犠牲者だった。

みんなとおなじように。 

 では、人生に意味はなく、神も存在しないのなら、いったいどうやって生きていけばいいのか? こんな理不尽な世界で、どうやって幸せを見出したらいいのか? 

 アンクとともに火星から脱出した兵隊ボアズは、水星でコンサートを開き、ハーモニウム(スライムみたいな生物)に音楽を聞かせるようになる。ハーモニウムはボアズの音楽に聞き惚れ、「ボクラハ アナタヲ アイシテルヨ ボアズ」とメッセージを送る。水星からの脱出方法が判明したときも、ボアズは水星に残ることを決める。 

おれはなにもわるいことをしないで、いいことのできる場所を見つけた。おれはいいことをしてるのが自分でもわかるし、おれがいいことをしてやってる連中もそれがわかってて、ありったけの心でおれに惚れている。アンク、おれはふるさとを見つけたんだ。

  このボアズのくだりは深く納得した。好きなミュージシャンのすばらしいライブを見ているときの自分は、まさにハーモニウムではないか、と。いいライブは多幸感につつまれるものだけど、それを小説でこんなふうに見事に描くなんて。

 前にも書いた『国のない男』で、ヴォネガットはこう書いている。 

もしわたしが死んだら、墓碑銘はこう刻んでほしい。

  彼にとって、神が存在することの証明は音楽ひとつで十分であった。

 ヴォネガットにとって、音楽がこの世界で救いといえるもの、限りなく神に近いものであることはまちがいない。 

 そして、この救いのない物語のラスト、ひとりぼっちになったアンクこと、マラカイ・コンスタントが最後に行きついたところも、水星の場面と同じような幸福感につつまれる。たとえ幻であったとしても、まぎれもなく幸福な瞬間が描かれている。
スラップスティック』のサブタイトルでもある、この言葉が頭に浮かんだ。

もう孤独じゃない!(Lonesome No More)