快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

いまさらレポート 2016年5月22日スティーヴン・ミルハウザー&柴田元幸朗読会@東京大学

 そういえば、柴田元幸さんというと、いまさらですが、5月22日の朗読会についてもメモしておこう。

 翻訳百景のイベントで東京に行った際、次の日に東京大学スティーヴン・ミルハウザーと柴田さんの朗読会があったので行ってきました。
 東大に入るのはまったくはじめて。完全におのぼりさんになって、これがあの赤門か~と携帯で写真を取り、三四郎池を眺めたり、構内が広いというか、森みたいな空間があることにおどろいたりしました。

 朗読会の会場は、大人数用のふつうの教室。でもあのすり鉢状になった階段の教室、懐かしいなーと思った。

 考えたら、スティーヴン・ミルハウザーの写真もこれまで目にした覚えがないので、姿を拝見するのは今回がはじめてでしたが、想像していたとおり、細身で几帳面そうで、文学者っぽい雰囲気を漂わせていました。太り気味で陽気なアメリカ人とはぜんぜん違う。(まあ作家でそんなタイプの人はあまりいないか) 

  この日の朗読は『ナイフ投げ師』所収の「夜の姉妹団」。柴田さんの朗読会はこれまでも参加したことがあるけれど、原作者がいるのはこれまたはじめて。まずは、スティーヴン・ミルハウザーが原文を読み、そのあと続けて柴田さんが翻訳を読む。
 私は通訳の勉強もしたことないし、とくに耳がいいわけでもないけれど、せっかくなんで原文もできるかぎり聞き取ろうと、メモを取りながら頑張って聞いてみました。といっても原文がそれほど聞き取れたわけではないですが、そうやって集中して聞いていると、物語の中にすっと入りこめた。


 それにしても、この本は思春期の少女たちのあやうさを、魔女集会の形で見事に描いている作品なのですが、どうして男のミルハウザー氏がこんなことを理解しているのだろう? と、小説読みの初歩の疑問をどうしても抱いてしまう。

夜の姉妹団は静寂と沈黙の秘儀を奉ずる思春期の少女たちの集まりである、と私は主張する。それは高き壁であり、鍵のかかった扉であり、そむけられた顔である。姉妹団は決して粉砕できぬ秘密結社である。なぜならたとえ娘たちの夜ごとの集会を妨げようとも、たとえ娘たちを生涯ずっとベッドに縛りつけておこうとも、結社の暗い目的は侵犯されぬままだからだ。私たちは姉妹団を阻止することはできない。 

  たしかこの日の質疑応答で、ミルハウザーの小説と「(未)成熟」との関係について質問があったけれど、ほんとミルハウザーはこういう大人になるまえの思春期の心の揺らぎを描くのがうまい。いわゆるヤングアダルト小説や青春小説とも違うやり方で、幻想的、寓話的に瞬間を切り取る。この『ナイフ投げ師』に収録されている「月の光」にしても、

十五歳になった夏、僕はもはや眠れなくなった。仰向けになったまま、眠りを完璧に模倣してじっと横たわり、自分がぐっすり眠っている姿を思い描いた。 

  とはじまり、そして眠れない「僕」は夏の夜に出ていき、ソーニャをはじめとする同じクラスの女子たちたちが野球をしているところに遭遇する。

野球は毎晩やっているのか、それともこれは今夜、夢の青さをたたえた冒険と啓示の夜に――彼女が僕を問いただしもしない、ありえない訪問の夜に――たまたま一晩だけ起きたことなのか、僕は訊いてみたかった。青い夜は古いパズルの箱の色なのだと彼女が言うのを僕は聞きたかった。世界は青い神秘であり、ベッドで眠らず横になっていたら僕が夜の町を抜けて彼女の家の裏庭までやって来る姿が思い浮かんだのだ、そう彼女が言うのを聞きたかった。でも彼女はカウンターの上に座って脚をぶらぶらさせながらコーラを飲むだけで何も言わなかった。 

  あと、人妻と浮気する間男が主人公の「出口」は、ミルハウザーの小説では珍しく下世話というか、通俗的な場面からはじまるが、しかしやはり、不可思議というかあり得ない方向に物語は展開する。

 そしてまた、こんな書き出しではじまる「空飛ぶ絨毯」は、いまこの季節に読むとしっくりくる。

子供のころの長い夏の日々、いろんな遊びがぱっと燃え上がっては眩く焼け、やがて永遠に消えていった。夏は毎年気が遠くなるほど長く、いつしか一年より長くなって、じわじわと僕たちの世界の外まで広がっていったが、と同時に、その巨大に広がった一瞬一瞬、夏はいまにも終わろうとしていた。夏とは何よりもまずそういうものなのだ。 

 さっきの「月の光」についても「夏」の物語が多いですね。ナマで見たミルハウザー氏は、夏の海とかがもっとも似つかわしくない雰囲気だったが……


 でもやはり、前回と同じこと書いてナンですが、『パルプ』の訳文とはぜんぜん違う文章に感嘆させられる。ミルハウザー氏は言葉の魔術師と称されるけれど、柴田さんもまさにその通りですね。