快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

「強きを助け、弱きをくじく」はギャグになっているのか? 『タクシー運転手 約束は海を越えて』

 前回に続き、すっかりアジアづいている今日この頃。寒い日にはサムゲタンが食べたくなり、暑い日には韓国冷麺が食べたくなる自分には、やはりヴィクトリア朝ではなくアジアの方が似合うのでしょう……

というわけで、映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』を観ました。

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 舞台は1980年の韓国。ソウルのタクシー運転手マンソクは、男手ひとつで11歳の娘を育てている。娘のために毎日せっせとオンボロタクシーに乗っているが、政情が不安定で景気が悪いため、いっこうに暮らしは楽にならず、家賃も滞納している。民主化を求めてデモをする学生を見て、いい気なもんだとつぶやくマンソク。

 そんなある日、マンソクは外国人の客を見つけ、こりゃ金になる!と思って、なかば強引に自分のタクシーに乗せる。運転手だけあって英語は得意だ。といっても、完全なカタコト英語だが。当時は一般人はもちろん、大学生でもカタコト英語すら話せない者が多かったのだ。

 期待どおり、外国人客は光州まで行けば大金を支払うと言うので、マンソクは鼻歌まじりに一路光州へ。ところが、光州への境にさしかかると、軍隊が道を封鎖している。だが、外国人客はなんとしてでも光州に入らないと金は一切払わないと言いだす。金をもらわないと、ガソリン代だけでも大赤字だ。必死で軍人を言いくるめて、裏道からなんとか光州へ入る。が、そこには信じられない光景が広がっていた……


 1980年の韓国の民主化運動、光州事件を舞台にした映画である。中国での民主化運動、天安門事件はその映像が全世界に広がって衝撃を与えたが、光州事件についてはよく知らないひとも多いのではないだろうか。正直、私も名前を聞いたことがある程度だった。しかし、この映画を観て、光州事件と、事件が隠蔽されていた経緯――政府による厳しいメディア統制――を知り、考えさせられた。


 だが、この映画がすぐれているのは、この映画に限らず韓国映画全般に言えることだが、重いテーマでありながらも、いや、むしろテーマが重ければ重いほど、エンターテイメント性が突出していることだ。こんな大事件を取り扱いながらも、「なにも考えずに楽しめる」要素もふんだんにあるところがすごい。


 すっかり肝を冷やしたマンソクが止めるのにもかかわらず、実は外国人記者だったタクシー客は、光州市民たちとともに軍隊が銃を構える現場にまで入っていく。素朴な一市民であるマンソクは、軍隊が市民に発砲するなんてことがどうしてあり得るのか? と、ただただ驚愕しながら逃げ回る。そこから、ビルのなかでの逃走劇や、ハリウッド映画のようなカーアクションまであって、観客をまったく飽きさせない。そして、物語の底には、娘への愛情や、光州で出会った人々との交流という人情がしっかりと流れている。


 ちなみに、この映画は実際に光州を取材したドイツ人ジャーナリスト、ユルゲン・ヒンツペーターのエピソードからできており、ソン・ガンホ演じるタクシー運転手も実在の人物をモデルにしている。光州の一般市民が大勢犠牲になり、タクシー運転手たちが協力して負傷した市民を救ったというのも事実らしい。

 ソン・ガンホたちを執拗に追う警官役のチェ・グィファが鬼気迫る演技だったせいか、若いときの鳥肌実が頭に浮かび、いまの鳥肌実がほんとうにヤバイひとになっているらしい(よう知らんけど)ことを考えあわせると、いっそう寒気がした。

 それにしても、先にも書いたように、メディア統制のおそろしさが印象に残った。軍隊が市民にむけて無差別に発砲するという異常事態も、「共産党員による暴動を軍隊が制し、軍人五名が死傷」という具合に報じられる。

 しかし、現状を考えると、こんな映画が作られて、韓国国民の5人に1人が見るという事態(動員数が1500万人で、韓国の人口は5500万くらいなので)からは、日本より韓国の方が民主主義が機能しているようにも感じられる。
 この映画の製作、そしてヒットは単なる偶然ではなく、朴槿恵前大統領が逮捕され、文在寅政権が発足した動きと関連しているらしいが、不正を行った大統領をきちんと逮捕するという点においても、韓国の方が民主的のように思える。
 
 もちろん、軍事政権の記憶がまだ色濃く残っているという理由も大きいのだろう。でも、いまの日本で、こんな映画を作り、それが大々的にヒットするなんてことがあるだろうか? と考えると、どうしても暗い気持ちになる。「民主化を求める市民とそれを制圧する軍」というと、現在の日本では、どういうわけだか、一般の市民であっても軍の目線に立つひとが多いようなので。

 いや、「どういうわけだか」と書いたけれど、どういうわけかは推測できる。おそらく、「自分はこれだけ我慢している。だから我慢せず声をあげる者が許せない」のだろう。「自分はおとなしく上に従っている。だから従おうとしない者が許せない」「自分は貧しくともせっせと働いてる。だから働こうとせず生活保護を求める者が許せない」などなど……。

 この心情は現在の日本人特有のものではなく、この映画のマンソクも、冒頭でデモをする学生たちを冷ややかな目で眺めている。

 正義なんて富める人間が口にする寝言だ。助けあいなんて偽善だ。他人が自由を求めるのが許せない。他人が権利を主張して、「得」を求めるなら、なにがなんでも阻止したい。たとえそのために、自分自身も「損」を被ることになっても。
 こんな気分がいまの世の中に蔓延しているような気がする。

 と言いつつ、私自身デモなどの社会的な活動に参加したことはまったくないので、えらそうなことはなにひとつ言えないのですが。
 でも、「強きを助け、弱きをくじく」というのは、タケちゃんマンのギャグだけでじゅうぶんだとは思っておきたい……って、タケちゃんマンって古すぎやろって感じだが、まあ同じ80年代ものってことで。でもほんと、これがギャグだってことが伝わらない世の中になっているような気がする。