快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

1967年から2013年までの香港の「正義」の変遷とは――『13・67』(陳 浩基 著 天野健太郎訳)

 さて、2017年中国ミステリー最大の話題作『13・67』を読みました。 

13・67

13・67

 

  以前に高野秀行さんがツイッターで絶賛しており、これまで高野さんが絶賛した作品はまったくハズレなしなので(『解錠師』『ストリート・キッズ』など)、きっとおもしろいにちがいない!!と期待していたら、2017年翻訳ミステリー読者賞も受賞し、読者がもっとも多く票を投じたのだから、絶対におもしろいにちがいない!!と、自分のなかで上げに上げきったハードルを(勝手に)課して読んだのだが、それでもまだ余りが出るほどおもしろかった。

 ちなみに、最近では高野さんは『アティカス、冒険と人生をくれた犬』を推していたので、これも読まないと。 

アティカス、冒険と人生をくれた犬

アティカス、冒険と人生をくれた犬

 

 この『13・67』は六つの中編小説からなる作品集であり、タイトルで『13・67』とあるように、1967年から2013年の香港を描いている。

1997年6月6日は、大多数の香港人にとって、ごく平凡な一日だった。(略)
しかし、クワンにとって今日は特別な一日だった。なぜなら、彼の最後の勤務日だったからだ。
警察官となって三十二年、五十歳となったクワン上級警視は明日から、輝かしいリタイアの日々を送ることになる。  

1997年7月1日、香港の祖国復帰のあと、皇家香港警察は「皇家」(ロイヤル)の称号を外し、「香港警察」へ生まれ変わる。

と、香港の歴史にとって忘れられない年、1997年を舞台にした作品もある。

 といっても、香港返還といった歴史に残る大イベントを直接描いているわけではなく、取りあげられているのは、ギャングの抗争や財閥一族での殺人といった、ごくありふれた――「ありふれた」ものが「事件」なのかと考えると矛盾しているが――事件である。
 しかし、その事件の裏側には、イギリスと中国の狭間におかれた香港の姿と、そんな特殊な状況を生き抜いてきた香港人のたくましさが刻まれている。

今、彼の命が尽きようとしている。そして長年、彼が身をもって築き、支えてきた香港警察のイメージもまた、風前の灯であった。香港警察の威信はいつからか失墜の一途を辿り、2013年の今、すっかり色あせている。

 さらに、この本は時系列を逆から語っており、2013年からはじまり、1967年で終わる。冒頭から、先に引用した(本のなかでは後から語られる)1997年時点で希望に満ちていたはずの香港警察が失墜し、どんな悪も見逃さない「天眼」と呼ばれたクワンが息を引き取りつつあるようすが描かれる。

 ところが、クワンの弟子筋にあたるロー警部は、意識を失い、なかば植物人間状態のクワンの脳波をコンピュータで読み取り、YES・NOのシグナルを出すことによって(YES・NO枕が頭によぎったのは私だけだろうか?)、財閥の頭首である阮文彬を殺した犯人を当ててみせるというのである。そんなことが可能なのか?


 それ以降の物語も、クワンを主人公とした連作となっており、香港の芸能界を牛耳るマフィア、ギャングの大親玉である石兄弟との闘争、本国で借金を作り、出稼ぎに来た香港で息子を誘拐されたイギリス人一家が登場する。

 1967年を舞台にした最後の作品は、左派による反英暴動を背景として、テロ組織によって香港のあらゆるところに仕掛けられた爆弾を追うというストーリーであり、この本のなかでただひとつ一人称で語られている。

香港がどうしてこんなふうになってしまったのか、私にはわからなかった。
四ヵ月前には、この都市がこうなるとは考えてもみなかった。
まるで今、香港は狂気と理性の境界線上に一本足で立っているかのようだった。
そして、境界線はどんどん曖昧になっていき、なにが理性でなにが狂気なのか、なにが正義でなにが罪悪なのか、なにが正しくてなにが間違っているのか、わからなくなっていった。

「私」とはいったいだれなのか――? それがあきらかになったとき、この物語の持つ円環構造におどろかされる。ただ主人公をはじめとする登場人物が共通しているだけの連作ではなく、物語全体を貫く大きなテーマが、1967年から2013年まで繋がっていることに気づかされる。

――覚えておけ! 警察官たるものの真の任務は、市民を守ることだ。ならば、もし警察内部の硬直化した制度によって無辜の市民に害が及んだり、公正が脅かされるようなことがあるなら、我々にはそれに背く正当性があるはずだ。

 「正義」とはいったいどういうものなのか?

 この本全体でも示唆されており、訳者のあとがきでも書かれているように、1967年時点の香港では「反英」が「正義」であったが、1997年以降の香港では「反中」が「正義」となる。

 そもそも「権力」が「正義」を執行することが「正義」と言えるのだろうか? 「正義」と「権力」は両立し得るのか? 

 クワンにとっての「正義」とは、「制度」や「権力」ではなく、とにかく市民を守ることである。
 「正義」とはそれぞれに異なる、個人的なものなのだろうか? 
 個人の「正義」と集団の「正義」が対立することはないのだろうか?
 こういった考えが、「黒と白のあいだの真実」というタイトルにこめられているのだろう。

――と、読者に考えさせることから、下記の訳者あとがきで書かれた著者の目論見は大成功といえる。

著者はあとがきで本作において、「本格派」と「社会派」を融合させる目論見を書いている。トリックという虚構の醍醐味とリアリズムという現実社会へのコミットメントを両立させることを目ざした結果、たしかに、
この小説は「本格ミステリ×香港(人)×歴史リアリズム」として成功している。

 もしかしたら、本格ミステリ×歴史リアリズムというと、難解で読みづらいのでは?と危惧されるかもしれないが、そんな心配はまったく無用。
 それどころか、まるで最初から日本語で書かれた小説のように読みやすい文章でおどろいた。韓国の翻訳小説でもたまにあるけれど、同じ漢字文化圏だから? しかし、中国語は文法も大きく異なるはずだが。


 また私は、香港は二十代前半にパックツアーで一度行ったきりで、地理はぼんやりとしかわからないのだが(本に地図はついてます)、小説のなかでは地名がはっきり示され、辺りの雰囲気も濃厚に描写されているので、土地勘があるひとなら、この小説をもっと楽しめるのではないかと思う。


 そしてなんと、ウォン・カーウァイ監督がこの小説の映画化権を獲得したとのこと。いったいどんな感じになるのだろうか?

 結局香港には一回しか行っていない私も、学生時代にはもちろん『恋する惑星』を見て、フェイ・ウォン可愛い~!と思って、サントラも買って聞き(クランベリーズのドロレスが先日亡くなっておどろいたが)、金城武ファンになった友達がプロマイド(死語ですかね)を買いたいというので、天王寺にあった香港映画センター(みたいなところ。いまでもあるのだろうか)についていったりもしました。
 映画の公開も楽しみです。ちゃんと公開されるんかな?