快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

アンソロジーにこそ、翻訳小説を読む愉しみがある(かもしれない)――『恋しくて』(村上春樹編訳)『楽しい夜』(岸本佐知子編訳)

先月、ローレンス・ブロック『短編回廊』(田口俊樹他訳)で読書会を行いました。
翻訳ミステリー大賞シンジケートのサイトにレポートがアップされています。

honyakumystery.jp

そこで、ここでは読書会レポートでは書ききれなかった、『恋しくて』(村上春樹編訳)と『楽しい夜』(岸本佐知子編訳)を紹介したいと思います。

『恋しくて』は、村上春樹が短編を選び、自ら訳したラブストーリーのコレクション。

といっても、実際の恋愛がそうであるように(たぶん)、甘いばかりではなく、苦い味が残る話も多い。各短編のあとに、まるでミシュランのように、村上春樹による「恋愛甘辛度」の採点があるのがおもしろい。

実はこの本、初読時にも紹介したのだが、当時の感想を読み返すと、まったく救いのないラブストーリー「薄暗い運命」(リュドミラ・ペトルシェフスカヤ)がいちばん心に残ったと書いていて驚いた。
というのも、今回もやはり「薄暗い運命」がいちばん好みだと思ったので。訳者解説ではこう書かれている。

ものすごく短い話だが、暗澹とした事実が『どうだ、これでもか』といわんばかりに、隅から隅までぎっしりと詰め込まれている

甘いラブストーリーがいちばん気に入ったと思える日は来るのだろうか?(来ない気がする)

と、一筋縄ではいかないラブストーリーがつまったこの本のなかでも、とくに読みごたえがあるのは、ノーベル文学賞を受賞したアリス・マンローによる「ジャック・ランダ・ホテル」だろう。

主人公ゲイルは、恋人だったウィルが若い女とオーストラリアへ向かったことを知り、自らもカナダから飛行機に乗って追いかける。そしてウィルの居場所を突きとめたゲイルがとった行動とは……。

訳者解説で「誰に対しても、不思議なくらい感情移入ができない」と書かれているとおり、ゲイルの行動は奇妙で理解できない。
しかし、人生において、何かに突き動かされて奇妙な行動をとってしまう瞬間は誰にでも訪れるのではないだろうか? 

ゲイルが手紙を書く場面で、「常々文章を書くのが苦手だった」自分が、「精妙でいかにも嫌みな文体」をすらすら書けてしまうことに驚くように、自分自身でもまったく理解のできない行動をとってしまうことがあるのではないだろうか? 

人生のそんな不思議な瞬間をすくいあげることにかけては、アリス・マンローにかなう者はいないのでは?と感心させられる一編。

また、ローレン・グロフによる「L・デバードとアリエット――愛の物語」も心に残った。
「愛の物語」という――原題も“A Love Story”と書かれている――いささか古めかしい題が示唆するように、「大河ドラマを思わせるような壮大な歴史小説仕立て」(訳者解説)の物語。

世界大戦が終盤にさしかかった1918年のニューヨークを舞台とし、1908年のロンドンオリンピックで金メダルを獲ったデバードは脚の悪い少女アリエットに水泳を教えるよう依頼される。水泳を通じて、デバードとアリエットの距離は縮まっていくが、スペインやインドで猛威を振るっていた疫病がニューヨークにも忍び寄っていた……

戦争、疫病、八方塞がりの愛と息詰まる状況が描かれているからこそ、水面に浮上して息を吸いこむ素晴らしさが心にしみる。こんな情熱的な恋に落ちたい!とは思わなかったが、水につかって手足を伸ばしたくなる物語だった。

むずかしい愛ばかり語られているわけではなく、冒頭のマイリー・メロイによる「愛し合う二人に代わって」は、高校時代の同級生同士の恋愛がたどる道のりを描いた、比較的ストレートな恋愛小説である。内向的な男子と夢を追う女子という組み合わせもいじらしい。

ちなみに原題は“The Proxy Marriage”(代理結婚)となっている。
主人公のふたりがイラクへ出兵する兵士の代わりとなって結婚式を執り行うため、このタイトルになっているのだろうけど、それを「愛し合う二人に代わって」と訳したのはさすがだなと感じた。

そして村上春樹編のアンソロジーのお楽しみ、この本のために書き下ろされた短編も収められている。「恋するザムザ」というタイトルのとおり、カフカの「変身」をベースにしたいわば二次創作だ。

虫のようなよくわからないものに変身した「変身」のザムザとは反対に、人間に変身した、あるいは人間に戻ったザムザの物語。右も左もわからないザムザだが、家にやってきた背の曲がった娘の姿を見ていると、なぜだか胸が熱くなり、この不可思議な世界を一緒に解き明かしたいと願う。

『楽しい夜』は、岸本佐知子が短編を選び、自ら訳したアンソロジー
ルシア・ベルリン、ミランダ・ジュライ、ジョージ・ソーンダーズといった、岸本訳でおなじみの作家たちの作品も収められ、個性豊かなというか、豊か過ぎる個性にあふれていて、どの短編も読んでいてほんとうに楽しい。

冒頭のマリー=ヘレン・ベルティーノによる「ノース・オブ」は、こんなふうにはじまる。

アメリカの国旗が、学校の窓に、車に、家々のポーチのスイングチェアにある。その年の感謝祭、わたしは実家にボブ・ディランを連れて帰る

そう、家族の食卓にボブ・ディランが加わるのだ。

ルシア・ベルリン「火事」は癌で死にかけた妹に会いに行く物語で、ルシア・ベルリンのほかの短編と同様に、奇想を描いているわけではないのに、その切り取り方によって日常ががらりと色を変えてしまう、ルシア・ベルリンの唯一無二の世界がある。

ミランダ・ジュライ「ロイ・スパイヴィ」では、飛行機の中で主人公がハリウッドのセレブと出会う物語。
ただでさえ現実から数ミリ浮遊しているようなミランダ・ジュライの物語が、“雲の上の“セレブといううってつけの登場人物によって、よりいっそう現実という重力から解き放たれたように自由に漂う。が、最後には現実が待ち受けている。

ジェームズ・ソルターによる表題作の「楽しい夜」は、楽しかったのだろうか? いや、きっとそのときは楽しかったにちがいない。生や楽しさの刹那について考えてしまう物語。

この本でいちばん興味をひかれたのは、アリッサ・ナッティングによる「アリの巣」と「亡骸スモーカー」だった。

「アリの巣」は、地球が手狭になったので、人類はほかの生物を体表か体内に寄生させなければならなくなったという物語。大半の人はフジツボやカツラネを選ぶが、主人公はアリを体内に飼うことにする……

「亡骸スモーカー」は、遺体の髪をタバコのように吸うと、遺体の生前の記憶が映画みたいに脳内に映しだされると語るギズモと、そんなギズモに恋したわたしの物語。身体から切り離される髪の毛と、失ったり上書きされたりする記憶との結びつきにはっとさせられる。

二編ともきわめて短いショートショートなのだけど、短いのに、あるいは短いゆえか、奇想と心の動きがシンクロすることによって生じるインパクトは大きく、胸に残った。

アリッサ・ナッティングの短編は、B・J・ホラーズが編集した翻訳アンソロジー『モンスターズ: 現代アメリカ傑作短篇集』(古屋 美登里訳)にも収められているらしい。
こちらも近々読んで感想を書きたいと思います。