女がパンクでなぜ悪い? スリッツ『ヒア・トゥ・ビー・ハード』/ヴィヴ・アルバータイン『Clothes, Clothes, Clothes. Music, Music, Music. Boys, Boys, Boys.』
さて、2019年真っ先にしたことは(1月2日ですが)、女だけのパンクバンド、スリッツのドキュメンタリー映画『ヒア・トゥ・ビー・ハード』の鑑賞でした。
スリッツは1976年に結成され、81年に解散したバンドで、もちろん私はリアルタイムでは知らないのだけど、岡崎京子がマンガの中やあちこちで「スリッツ大好き」と書いていたので、以前から気になっていた。
そして、たまたま映画の公開前に、スリッツのギタリストであるヴィヴ・アルバータインの自伝『Clothes, Clothes, Clothes. Music, Music, Music. Boys, Boys, Boys.』を読んで、彼女たちの生きざま(って、大袈裟な物言いなので、極力使わないようにしているのですが)に、いっそう魅きつけられた。
Clothes, Clothes, Clothes. Music, Music, Music. Boys, Boys, Boys.
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といっても、この自伝はスリッツのことがメインではない。
もちろん、スリッツや当時のパンク・シーンについてもたっぷりと書かれているけれど、ひとりの女性、そしてひとりの表現者として、ヴィヴがどう生きてきたかに焦点があてられている。
内容は一部と二部にわかれていて、一部ではスリッツ解散まで、二部ではスリッツ以降の人生が書かれている。パンクや音楽にそれほど関心がなければ、あるいは客観的に読めば、再び自分の人生を取り戻そうとする二部の方が興味深いかもしれない。
一部では、ロンドンの下町で育ったヴィヴがビートルズを聞いてロックに目覚め、アート・スクールに通い、バンドに夢中になり、Boysことバンドマンたちと知りあっていく。それでもヴィヴは、女である自分が、音楽を演奏する側になるなんて考えてもいなかった。
Every cell in my body was steeped in music, but it never occurred to me that I could be in a band, not in a million years――
No girls played electric guitar. Especially not ordinary girls like me.
(身体中の細胞が音楽漬けになっていたけれど、自分がバンドの一員になれるだなんて考えもしなかった、夢にも思わなかった――
エレキギターを弾く女の子なんていなかった。まして、わたしのようなありふれた女の子が弾くなんてあり得ない)
しかしある日、ロンドンで話題になりつつあったセックス・ピストルズのライブを見て、衝撃を受ける。
ピストルズは、それまで遠い存在だと感じていたロックスターたちと、なにもかもが異なっていた。歌も演奏も上手ではない。けれども、ありのままのむき出しの姿で歌うジョン・ライドンを見て、ありのままの自分でもロックができるかもしれないと思うようになる。
当時の恋人であったギタリストのミックは、自らのバンド、クラッシュを軌道にのせるのに悪戦苦闘していたので、先に成功をおさめたピストルズを見るのは拒んだが、ヴィヴがギターをはじめると、よろこんで協力してくれた。
ふとした運命の悪戯で、ヴィヴはジョン・ライドンの友人のシド・ヴィシャスとFlowers of Romanceというバンドを組むが、一緒にいると楽しいけれどエキセントリックなシドにさんざん振り回された挙句、バンドを解雇される。
そこで、スリッツがギタリストを探していると聞き、女だけのバンドには興味がなかったが、とりあえずライブを見に行くと、奔放にステージを駆け回る14歳のボーカリスト、アリ・アップの姿に、かつてジョン・ライドンを見たときと同じ衝撃を受け、バンドに加入する――
アリの無邪気かつ奔放、そして生意気な魅力は、映画からもあふれていた。
この本からは、アリがとてつもなく魅力的である一方、自我が強く尊大で、付きあうのはしんどそうな性格であることも伺えたが、映画でも同様だった。
映画はベーシストのテッサがおもな語り手となっていて、謙虚で思いやり深いテッサが、最後までアリについていったようだった。バンドにはこういう人柄が絶対に必要ですね。
ところで、本では、アリがステージの上でおしっこをしたと書かれていておどろいたが、映画でも、ステージの上ではなかったが、アリがそのへんの道端でおしっこをする映像があった。
どうして女が立ちションしたらいけないの? ってことだろうか。
いや、本では、そういうパンク的な理由でもなく、ただアリは音楽に夢中になっていてトイレに行き損ねた、と書かれていたけれど。ほんと自由だ。
女の子だけでバンドを結成して、好きな服を着て、好きな音楽を作る――それだけのことが、当時どれだけ困難だったか、逆風や偏見にさらされたかは、映画からもヴィヴの本からもよくわかる。
We don’t see ourselves as entertainers. …… We see ourselves as warriors. We’d rather people confronted their anger and dissatisfaction and did something about it.
(わたしたちはエンターテイナーのつもりはなかった。戦士だと考えていた。ひとびとに自らの怒りや不満と向きあい、そこから何か行動を起こしてほしかった)
たまたま同じ日に、THE FUTURE TIMES 9号を入手したのだけど、CHAIのインタビューを読むと、「アートに戦いとか必要ない」(ユウキ)「フェミニズムって言葉も最近知ったもんね」(マナ)といった自然体で、ゆっくりとではあるが時代は変わりつつあるのだと感じた。
といっても、戦うべき相手がいなくなったわけではない。女は可愛くないといけない、若くないといけない、反抗してはいけない……という価値観はいまだ根強く残っている。
CHAIが一般的な「美人」ではない自分たちのルックスを肯定して「コンプレックスはアートなり」と掲げたのは、インタビュアーの後藤正文(ゴッチことアジカンのメガネのひと)が
「結果、それが既存の価値観に対するアンチテーゼになってるんだよね」
「いろいろな概念にしなやかに抵抗している感じがする」
と解説しているように、彼女たちの戦い方なのだろう。
戦いが終わったわけではなく、戦い方が変わったのだ。
この映画で、スリッツや当時のパンク・シーンに興味を持った方には、ヴィヴの自伝もオススメします。いまのところ英語だけですが。映画も話題になったし、翻訳の予定もあるのかな?
「あいつロンドンに友達いないんだ、頼むよ」とシドに言われて、ナンシーの相手をするところなどは、以前読んだキム・ゴードン(元ソニック・ユース)の自伝で、カートと親しくしていたため、コートニー・ラヴのホールのプロデュースもしぶしぶ(いや、そうは書いてなかったが)引き受けたというくだりを思い出した。
スリッツ以後、ロンドン・カレッジ・オブ・プリンティングに入学して映像を学び、プライベートでは結婚をするが、不妊治療に病気との闘い……という第二の人生も読み応えがある。
一度は専業主婦になっていたヴィヴがどうやって再び自らの表現と向きあうようになるのか、その背後には、まさかあの男が関わっていたとは?!と、意外な男の影があったのだった。
長年のブランクののちに、ヴィヴが再びギターを手にとった矢先に、スリッツの復活話が舞いこむ。
しかし、自分の表現を追求したいと思っていたヴィヴは、再びスリッツをするのはちがうと思って断る。映画では、ヴィヴがすげなく断ったように見えないこともなかったが、本を読むとそのあたりの事情も理解できる。
スリッツは若いメンバーを加えて再結成するが、若いメンバーがアリについていけなくなって活動を休止し、まもなくアリが亡くなる。
誰もそこまで病気が進んでいたとは知らなかった。アリは体調不良もあったのだろうし、残された時間が少ないことを知って焦っていたのかもしれない。
音楽が好きなひとならよくわかっていることだと思いますが、バンドとはひとつの人格であり、ひとつの人生ですね。
今年は読書にも励みますが、音楽(ライブの追っかけ、もとい、鑑賞)にも精進したいと思いました。(あれ、仕事は?)