最近読んだ本(2019年1月)『作者を出せ!』(デイヴィッド・ロッジ 高儀進訳)『「女子」という呪い』(雨宮処凛)『ポップスで精神医学』
さて、最近読んだ本をさくっと数点紹介したいと思います。
(いや、ここ最近、1つのトピックで長々書いてしまいがちなので、そんなに長く書いたら、もともとその話題に興味あるひと以外誰も読まないぞー!というのは承知しているので、今年は短い紹介記事もアップしたいと思います)
まずは、デイヴッド・ロッジ『作者を出せ!』。以前紹介した、デイヴッド・ロッジによる『絶倫の人』は、H・G・ウェルズの生涯を描いていたが、この本では『絶倫の人』ではウェルズの年長の友人であったヘンリー・ジェイムズが主人公になっている。
しかし、『タイムマシン』で大成功をおさめ、妻がいながら次から次へと恋愛沙汰を巻き起こしたウェルズと、純文学に身を捧げ、生涯独身で友人たちと節度ある交流を楽しんだヘンリー・ジェイムズとは、同じ作家であっても生き方は正反対だ。
なので、内容も『絶倫の人』に比べると地味で淡々としているのは事実だが、「偉大な」作家として高く評価されつつも、一般受けしない(つまりは、売れない)ことに対するヘンリー・ジェイムズの鬱屈や足掻きが詳細に描かれていて読み応えがあった。
その難解な作風から気難しい性格だったのかと思っていたが、この本によると、友人の多い社交的な人柄だったようだ。なかでも、挿絵画家ジョージ・デュモーリエ(『レベッカ』のダフネ・デュ・モーリアの祖父)と、女性作家コンスタンス・フェニモアとの関係がきわめて興味深かった。
ヘンリーがデュモーリエに小説を書くよう激励したにもかかわらず、いざデュモーリエが大衆受けする作品を書いて一躍ベストセラー作家になると平常心ではいられず、しかしながら、善良で慎み深いヘンリーは妬み嫉みをあらわにすることもできず……という葛藤。
そして、「友達以上恋人未満」という昭和の言葉(もう平成も終わるのに)がぴったりなフェニモアとの切ない関係は、最後まで印象に残った。
また、登場場面は多くないが、あらゆる面でライバルとも言えるオスカー・ワイルドの存在感も大きかった。
ヘンリーは同性愛者だったという説もあるようだが(同性の恋人がいたわけではないので、内面的に)、妻がありながら男の恋人を寵愛し、ロンドンの風紀を攪乱していたオスカー・ワイルドに、潔癖なヘンリーは反感を抱いている。
文筆業においても、人気作家になるのを諦めつつあったヘンリーは、それならばと人気劇作家になるべく悪戦苦闘するのだが、すでに『真面目が肝心』などの舞台の成功で華々しい注目の的となっていたオスカー・ワイルドをどうしても意識し、ついつい嫉妬するヘンリーの人間らしさが、いいスパイスとなっている。
ネタバレになるかもしれないが、伝記の事実なので書いてしまうと、そこからオスカー・ワイルドは逮捕され転落するのだが、人生の栄枯盛衰はさまざまだとあらためて感じた。
次は、雨宮処凛の『「女子」という呪い』。
女であるゆえの生きづらさ、みたいなことは、『ヒロインズ』やスリッツの映画の感想と重複するのでくり返さないけれど、日本における日常的な事例が書かれているので、具体的に納得することが多かった。
たとえば、作者が老後の不安を感じ、上野千鶴子の『おひとりさまの老後』を読むと、
〈わたしの世代である団塊世代の持ち家率は8割を超える〉
〈非婚のおひとりさまでも、働き続けていれば、自分名義の不動産のひとつくらいはあるだろう〉
と書かれており、自分たちの世代とあまりに違うことに愕然とするくだりとか。
少なくとも私のまわりのいつも金欠な友人たちは、努力している。いろんな能力も持っている。だけど、たぶん彼ら・彼女らは〈不動産のひとつ〉も手にすることはないだろう。そういうことに、まったくリアリティーが持てないのだ。
まさに同感。いや、努力すればするほど金欠になったりする。資格を取ろうとして学校に行ったり、「英語を活かせる仕事」を目指して留学したり、転職すればするほど貧しくなるのだ。
部屋を借りるのに苦労するくだりも、よーくわかる。
そもそも猫OKのマンションが非常に少なく、しかも雨宮さんはやっと見つけたと思いきや、フリーランスということで門前払いをくらうのだ。
そして、保証人問題!
同意するあまりに「!」をつけてしまったが、父親が65歳以上だったり年金生活だったりすると、NGになることもあるのだ。
私は前回の引っ越しのとき、父親がまだ仕事もしていて、かつ年金ももらっていると証明書を提出してなんとか通ったが、今後は保証会社をつけろとか言われるかもしれない。ちなみに、貧乏ゆえによりお金がかかるという、この倒錯した事態のことを「ポバティ・タックス」と言うらしい。
男性を中心にした時代遅れの発想による社会保障制度設計が、「正社員の夫と専業主婦の妻、プラス子ども」みたいな標準世帯からもれる一人親世帯や単身女性の貧困リスクを高めているのだ。
「(保証人的なことで)頼れる男」――多くの場合は父親か夫――がいないと、女は「部屋を借りる」といった生活の基盤すら維持できないことがあるのだ
あと、『ポップスで精神医学』。
たまたま図書館で(すみません)目にして、「この本何やろ?」と借りたのだが、それぞれ著作を出している精神科医たちが、「精神疾患の隠喩として大衆音楽をサンプルに」(斎藤環の言葉より)したもの……
と「はしがき」に書かれているが、とくに難しかったり、学術的なものではなく、各先生方が思い出の曲や好きな曲を選んで、自身の専門に絡めてエッセイを書いている。
で、その斎藤環は結構なロックファンらしく、RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」から、神聖かまってちゃんまで取りあげている。
かまってちゃんの「友達なんていらない死ね」から、「スクールカースト」や「いじめPTSD」について考察している。いまなら、岡崎体育の「弱者」あたりも聞いてみてほしい。
春日武彦がゆらゆら帝国の「昆虫ロック」について書いているのは、イメージ通りで納得という気もするが、あざらしという(私は)まったく知らない猟奇パンクバンド(すでに解散しているらしい)を取りあげているのにはおどろいた。
しかし、一番おもしろかったというか、これ書いていいの?と思ったのは、松本俊彦による岡村靖幸論だ。
依存症が専門なだけあって、いまや封印されている岡村ちゃんの3回の覚せい剤逮捕に踏みこんでいる。
といっても、非難や中傷しているわけではなく、松本さん自身も、四半世紀におよぶファンとして、岡村ちゃんのことを「掛け値なしの天才だと確信している」ので、ちゃんと愛を感じられる。
また、アルコール依存症への応援歌として、SUPER BUTTER DOG(ハナレグミやレキシの池ちゃんがいたバンドです)の「サヨナラCOLOR」(超名曲!)を挙げているのもよかった。アルコール依存症になると、「嘘」と切っても切れない関係になり、なにより自分自身に対して、もっとも「嘘」をつくらしい。
僕をだましてもいいけど 自分はもうだまさないで
孤独ゆえに依存症となり、依存症になるとますます孤独になるという悪循環があるようだ。ともあれ、岡村ちゃんは現在は安泰のようで一安心。この本も買って読もうと思いつつ、まだ読めていない。