快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

ユダヤ人を迫害したのは誰か? 『4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した』(マイケル・ボーンスタイン、デビー・ボーンスタイン著 森内薫 訳)

あまりにひどい話だ。手は怒りで震えていた。でも今となっては、そのサイトを見てよかったと思う。それによって、私ははっきり自覚した。もしも私たち生存者がこのまま沈黙を続けていたら、声を上げ続けるのは嘘つきとわからず屋だけになってしまう。私たち生存者は、過去の物語を伝えるために力を合わせなければいけない――。

  この本の語り手、マイケル・ボーンスタインは4歳のときにアウシュヴィッツ収容所から解放された。収容所が解放されたときに生き残っていたのは2819人で、そのうち8歳以下の子どもはわずか52人だった。 

4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した

4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した

  • 作者: マイケル・ボーンスタイン,デビー・ボーンスタイン・ホリンスタート,森内薫
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2018/04/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 そのあとボーンスタイン氏はアメリカに渡り、アウシュヴィッツでの経験については家族にすらもほとんど話すことはなかった。なにしろ4歳の頃の話なので、どこまで正確な記憶かもあやしい。嘘やあやふやなことなんて言いたくない。そしてなにより、思い出したくない記憶だというのも大きな理由である。

 アウシュヴィッツを遠い記憶の彼方に追いやって70年もの年月を過ごしてきたが、あるとき、ソ連軍によって収容所が解放されたときの記録写真に、4歳の自分の姿が写されていることを知っておどろく。

 写真からさらに驚愕の事実を知る。その写真を利用して、ホロコーストはなかった、ユダヤ人のついた大嘘だと主張するひとたちが存在しているのだ。
 アウシュヴィッツユダヤ人を虐殺したと言われているが、この写真を見ろ、子どもたちはこんなに元気に生き残っているじゃないか、と――

(ちなみに、その写真は収容所が解放されてすぐに撮られたわけではなく、子どもたちの状態が落ち着いてから撮影されたとのこと)

 そこで冒頭の引用につながる。これ以上生存者が黙っていたら、嘘つきがどんどんとのさばるだけだ。話す覚悟をしなければならない。「自分と家族が半世紀以上のあいだ胸の奥にしまい込み、固く鍵をかけていた物語」を解き放たないといけない。
 そう決意したボーンスタイン氏は、テレビ番組のプロデューサーをしている娘のデビーに協力を仰ぎ、娘との共著という形でこの本を記しはじめる。 

歴史の歪曲のために父の写真を悪用したサイトを見たとき、私は、この仕事をなんとしてもやり遂げようという闘志をかえってかき立てられました。誰かがホロコーストについての嘘を語るなら、その100倍もの声で真実を語ればいいのだと。

  この本はタイトルからもわかるように、ボーンスタイン氏のアウシュヴィッツ収容所での経験が主眼となっているが、どちらかというと、その前後の物語の方がより印象に残った。

 収容所の様子については、前回の『夜と霧』や、読書会の課題書『ローズ・アンダーファイア』(こちらはフィクションだけど、多くの資料をもとに書かれている)と共通しているところが多かったからかもしれない。
 もちろん、現実に起きたできごとなのだから共通しているのは当然であり、収容所内でのむごい殺戮の衝撃や、そんな状況においても助けあう囚人たちの姿が呼びおこす感銘が弱まるわけではないのだけど。

 けれども、この本で一番恐ろしく衝撃的だと感じたのは、ドイツ軍が降伏して収容所が解放され、ボーンスタイン家の生き残った面々がポーランドに戻り、再び集ったそのときに地元住民たちに襲われるくだりだ。 

「おまえたちが――おまえたちのシナゴーグと黒魔術の蝋燭が――この国に敵を呼び寄せたんだ。ドイツ人はこの戦争で一つだけいいことをしてくれた。それはおまえらユダヤ人をポーランドから追い出したことだ」

  ユダヤ人虐待はナチスがはじめたわけでも、ナチスの専売特許でもなかった。

 ヨーロッパ全体に広がっていたユダヤ人への差別や暴力、「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人迫害にナチスが乗っかったのだ。ナチスは社会に蔓延していたユダヤ人への差別感情を煽動することで民衆の支持を得て、それがついにはホロコーストにまで至ったということがまざまざと伝わってきた。
 そして、ドイツ占領下でのユダヤ人以外の住民たちは収容所の存在や、そこでいったい何が行われているのかもうすうすは知っていたが、見て見ぬふりをしていたことも。


  1939年にドイツ軍がポーランドに攻めこんでから、ボースタイン一家がアウシュヴィッツに送られるまでの日々の描写はまさに地獄だ。
 一家はポーランドのジャルキに住んでいたが、「ドイツ軍が侵攻してきた最初の一日だけで、ジャルキでは約100人の無実の人々が殺された」。 

 それ以降も、ドイツ兵によるユダヤ人の虐待や殺人が続く。ボーンスタイン氏の父親はユダヤ人評議会の議長という役に就いており、ドイツ人将校と交渉できる立場であったことから、一家はジャルキでの死を免れる。しかし状況は悪化する一方であり、ここで殺されずに済んでも、いずれは収容所に送られるという噂を耳にする……

 こういう経験談を読むと、どうしてもっと早くに逃げなかったのだろう? と、いつも思ってしまう。

 いや、それは完全な後知恵というか、歴史がどうなったのかを知っているからこその考えであることはわかっている。リアルタイムで経験していれば、ボーンスタイン一家のように、いまは苦しいけれどそのうちに戦争は終わるだろう、アメリカも参戦するという噂だし、そうすればすぐにドイツ軍も追い払われるはずだ……と考えてしまうのだろう。

 ただ、一家がジャルキからすぐに逃げなかったのは、戦争に対して楽観的に考えていたからだけではない。差別され続けてきたユダヤ人にとって、ユダヤ人が多く居住するジャルキは安息の地であったからだ。
 つまり、ドイツ軍に支配されたジャルキを脱出しても、ユダヤ人が安心できる場所はポーランドやその近辺にはそうそうないとわかっていたから、逃げられなかったのではないだろうか。

 収容所での凄惨な体験談を読むと、どうしてこんなことができるのだろう? と心の底から疑問に感じる。
 一方で、人間同士の差別の芽は、昔から現在まで世界中の至るところにあり、けっして無くなることはない。往々にして、権力者はそういう差別感情を煽動して利用する。焚きつけられた差別感情がホロコーストへつながるのは、想像よりもずっと簡単なことなのだろう。

 訳者の森内薫さんのあとがきによると、この本と同時期に『ゲッべルスと私』を訳されたらしい。 

ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白

ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白

 

  この本はナチスの宣伝相に勤務していた女性による手記であり、つまりホロコーストをまったく逆の立場から描いている。
 こちらを読むと、おそらくはとりたてて差別的でもなかった「普通の人」が、どのようにしてナチスに加担(と言っていいのかわからないが)させられていくのかがわかるのかもしれない。

 私自身、勇敢でもなく正義感が強いわけでもない「普通の人」だという自覚がある。自分の命を危険にさらしても、差別されているひとを守るなんてできそうもない。だからこそ、こういう本を読んで考え続けなければいけないとつくづく感じる。