快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

「いま翻訳者たちが薦める一冊 憎しみの時代を超える言葉の力」フェアより 『夜と霧 新版』(ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子 訳)

 さて、プロフィールでもちらりと書いているとおり、ミステリーにとくに詳しいわけでも何でもないのに、僭越ながら大阪翻訳ミステリー読書会の世話人をしているのですが、9月開催の読書会の課題本に『ローズ・アンダーファイア』(エリザベス・ウェイン著 吉澤康子訳)を選びました。 

ローズ・アンダーファイア (創元推理文庫)

ローズ・アンダーファイア (創元推理文庫)

 

  第二次世界大戦まっただなかの1944年、英国補助航空部隊に勤務するアメリカ人女性飛行士のローズは激しい空襲から命からがら逃れ、得体の知れないドイツ人との戦いに恐怖を感じていた。
 しかし、連合国軍が解放したパリに入り、フランス国歌を歌いながらエッフェル塔を飛行機で旋回し、未来への希望を感じる。ボーイフレンドのニックとの結婚も近い。

 ところが、飛行中にドイツ軍に捕えられ、すべてが暗転する。スパイの疑いをかけられ、強制収容所に送られてしまったのだ……
 そして、ローズの強制収容所での日々が語られる。強制収容所については、多くのひとが凄惨なイメージを漠然と持っていると思うが、それでもなお想像を上回る凄まじさだ。

 この『ローズ・アンダーファイア』については、読書会後にまたあらためてご報告しますが、せっかく読書会を開くのでこれを機に、戦争をテーマにした本をできるだけ読んでみることにしました。
 また、ちょうど翻訳ミステリーシンジケートのサイトでも「『いま翻訳者たちが薦める一冊 憎しみの時代を超える言葉の力』フェア」の紹介があったので、しばらくはこのフェアの本を中心に取りあげたいと思います。

honyakumystery.jp

 そこで最初は、超名作『夜と霧 新版』から。 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

  超名作と言いつつ、恥ずかしながら読むのは今回がはじめて。読んだら絶対に重い暗い気持ちになるはず、強制収容所の悲惨な実態が夢にまで出てきそう、不潔でむごたらしい描写が多いのではないか……といった先入観があったので、これまで手を出さなかったけれど、実際に読んでみると、こんな偏見はすべてまちがっていたことに気づいた。

 もちろん、収容所の話なので重い暗い内容であり、むごたらしいほどの過激な描写はないものの、悲惨な実態が描かれている。
 けれども、この本の主眼は「強制収容所の悲惨な実態」ではなく、そういった極限状態におかれた人間の肉体と精神がどう変容するかについて、筆者が医者として、当事者として冷静に観察し、人間の普遍的な本質を探究している。

 この本は、強制収容所に入れられるところからはじまる。
 その背景である、ユダヤ人の迫害やナチスドイツの支配、第二次世界大戦についての記載はない。この本が最初に書かれた1946年のヨーロッパにおいては、説明するまでもなかったからだろうと思ったが、訳者あとがきでは、あえて「ユダヤ人」という言葉を使わないことで、「この記録に普遍性を持たせたかった」のではないかと書かれている。

 たしかに、この本で書かれていることは、ナチスによる犯罪の告発ではなく、ユダヤ人という一民族の悲劇にとどまるものではない。
 それを通して、被害者にも加害者になり得る人間とはいったいどういう存在なのか、人間は何によって生き延びることができるのか、そして、生の意味はあるのか、というところにまで考えを深めているから、年月を経てもまったく古びずに、いまはじめて読む者の心にも強く訴えかけるのだと思った。

 筆者は「施設に収容される段階」「まさに収容所生活そのものの段階」「収容所からの出所にないし解放の段階」と三段階に分けて、被収容者の心の反応を解析している。
 なかでも一番興味深く、かつ恐ろしいのが「まさに収容所生活そのものの段階」の心理だ。最初の段階でのショックを経ると、人間はあっという間に感情を鈍磨させて喪失し、無関心の状態に陥ってしまう。 

自分はただ運命に弄ばれる存在であり、みずから運命の主役を演じるのでなく、運命のなすがままになっているという圧倒的な感情、加えて収容所の人間を支配する深刻な感情消滅。こうしたことをふまえれば、人びとが進んでなにかをすることから逃げ、自分でなにかを決めることをひるんだのも理解できるだろう。

 と、被収容者の精神について説明されているが、こういう心理は、強制収容所ほどの強烈な体験を経なくとも、長年にわたり強く抑圧され、希望を失った人間が抱きがちなように思われる。そう、いまの日本にも少なくないのではないかと……

 とはいえ、被収容者がみなまったく同じ精神状態に陥るわけではない。
 もちろん誰もがうちひしがれるわけだが、多くの仲間が運命に翻弄され、なりゆきにまかせてとことん堕落していくなか、なんとか人間の矜持を保ち続けた者、最後まで希望を失わず生き延びた者もいる。残り少ないわずかなパンを、自分より衰えた仲間に分け与える者もいた。 

収容所にあっても完全な内なる自由を表明し、苦悩があってこそ可能な価値の実現へと飛躍できたのは、ほんのわずかな人びとだけだったかもしれない。けれども、それがたったひとりだったとしても、人間の内面は外的な運命より強靭なのだということを証明してあまりある。

  この『夜と霧』を読むと、人間が極限状態を生き抜けるかどうかは、内面の世界の有無にかかっていることがよくわかる。

 たまに、「飢えた子どもの前では、本や音楽などの芸術なんて何の役にも立たない」といった言説を目にすることがあるが、そんなことはけっしてない。被収容者たちはときに空の美しさに感動し、収容所においては歌や詩、さらにギャグまでもが非常に有用な「自分を見失わないための魂の武器」であったと書かれている。(このあたりは課題本『ローズ・アンダーファイア』にも関係しますが)

 極限状態においては、いや極限状態に限らないかもしれないが、内面こそがすべてなのだ。
 筆者は「工事現場」で強制労働をさせられている最中に、妻の姿をまざまざと見る。妻と語りあう。目の前にいるはずもなく、生きているのかどうかもまったくわからない妻の声を聞いたのだ。その瞬間、至福の境地に達してこう思う。 

思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。

 「繊細な被収容者のほうが、粗野な人びとよりも収容所生活によく耐えた」という逆説を説明するために、筆者があえて語ったこの個人的エピソードは、『夜と霧』のなかでもひときわ強い印象を与える。

「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」と、詩人の言葉を引用して、筆者は収容所で仲間たちに語りかけるが、内面世界は何があろうと、誰にも奪えるものではないのだ。

 そのほかにも、この本は収容所の実態をテーマにしたものではないと先に書いたが、それでもやはり、収容所の実態も興味深い。どんな状況であっても、人間が集まれば「社会」になるのだなと実感する。このあたりも、『ローズ・アンダーファイア』と共通しているので、読書会で考えたい。


 かつての私のように、怖い、憂鬱になりそう……と思って、まだ手に取っていない方にこそ、ぜひ『夜と霧』を読んでほしい。陰惨な内容ではまったくなく、書かれているメッセージはどれも真っ当で、たいへん読みやすいながらも、強烈な体験と深い思索に裏打ちされた説得力がある。

 この夏、選挙やらオリンピックやらでなんだか騒がしいですが、この『夜と霧』をはじめとする、上記のフェアの本を読んでじっくり考えにふけり、内面世界を深化させるのもいいかもしれません。