快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

パンデミックの真相を探るリアルなディストピア小説 The Waiting Rooms (Eve Smith)

 Amazonで評価が高かったので気になった、小説“The Waiting Rooms”を読みました。作者Eve Smithのデビュー作であり、まだ翻訳は出ていません。まずは、どういう物語か説明すると―― 

The Waiting Rooms

The Waiting Rooms

  • 作者:Smith, Eve
  • 発売日: 2020/10/01
  • メディア: ペーパーバック
 

  この小説はKate, Lily, Maryの三人の女性の視点から交互に語られていく。
  まずはイギリスを舞台にしたKateの章からはじまる。Kateは人々を死へ誘う仕事をしている。というと衝撃的だが、殺し屋などではなく、看護師として合法的に働いている。それにはこんな背景がある。

 20年前、抗生物質が効かなくなる “Crisis(危機)”が発生し、悪性の結核パンデミックによって、世界中で多くの人命が失われた。Crisis以降、人類にとって感染症が最大の脅威となった。新型の抗生物質は貴重なものとなり、全員に投与できないため「命を選別する」必要が生じた。

 70歳以上の人間は、病気になっても治療されることなく、“The Waiting Rooms” でひたすら死を待たなければならない。末期の痛みを緩和するものも与えられない。よって、70歳以上の大半は、病気になると "directive" に署名して安楽死を選ぶようになった。つまり、Kateは安楽死をサポートする仕事をしているのだ。

  一方、同じくイギリスに住むLilyは、ケアホームで介護士のAnneに手厚く面倒を診てもらう日々を送っているが、まもなく70歳になることに怯えていた。

 70歳になると、ちょっとの擦り傷でもそこから感染したらもうおしまいだ。自分が若かった頃は、女王から100歳を祝うメッセージを送られた老人もそれなりに存在していたことが嘘みたいだ。いまは80代すらめったに見ない。Crisisの時に定められた、悪名高い Medication Law――70歳以上の人間には薬を与えない――に対する抗議活動が盛りあがっているようだが……

 そう、恐ろしいほど現在の状況とオーバーラップしている。パンデミックが起きたあとの世界。人々は感染をおそれ、常にマスクを着用している。ケアホームに面会に行くと、徹底的な消毒や検温がある。
 この小説は今年の春に出版されているが、現在のパンデミックのさなかに書きはじめたわけではないだろう。偶然なのか、それとも準備中だったものを急いで出版したのだろうか。

 もうひとりの主人公Maryの章は、Crisisの27年前(おそらく1990年くらいか)からはじまる。オクスフォードの博士課程で研究に勤しむ気鋭の植物学者Maryは、南アフリカでフィールドワークをしていた。そこでPietという男に出会う。

 PietはMaryの華々しい経歴を聞いてもさほど感心するようすもなく、自らの話を熱心に語りはじめる。Pietは南アフリカの植物から薬を作るプロジェクトを立ち上げていた。南アフリカでは、antibiotic resistance(抗生物質に対する耐性)が広がり、それによって悪性の結核がひそかに蔓延しつつあるらしい。その特効薬を作るために、Maryの力が必要だと協力を求める。

 Kateの章に戻ると、Kateの母親Penが75歳で亡くなる。まだまだ元気だったのに、肺炎になってからはあっという間だった。Kateは以前からPenが生みの親ではないことを聞かされていた。かねてからのPenの後押しもあり、これを機に実の母親に会いに行こうと決心する。夫のMarkとティーンエイジャーの娘Sachaにも計画を打ち明け、実の母親を探しはじめる。

 そこからKateの実の母親探しを主軸として進み、Kate, Lily, Maryの人生の糸が結びついていく。その糸は20年前のCrisisにつながっていく。あの時、いったい何が起きたのか? パンデミックはどうやって発生したのか? 

 パンデミックの描写がまさに現代と重なって物語に引きこまれるが、安楽死の問題についても考えさせられる。先日、ALSの患者の女性が安楽死を依頼し、実行した医師たちが捕まったのも記憶に新しい。

 この小説は安楽死の是非を深く考察しているわけではないが、Kateが死へ誘った老人の家族の苦しみや、Medication Lawへの抗議活動から暴徒と化した人々の姿が印象に残る。もちろん、もともとは人々の命を救おうとして看護師になったKateも、平気で処置しているわけではない。こうなってしまった世界で、死を選択せざるを得ない人々がなるだけ苦しまず、人としての尊厳を失わずに済むように、できるかぎりのことをやっているだけなのだ。

 現在の日本でも、安楽死がすぐに合法化されることはないだろうが、老人や働けない人に医療費をかけるのは税金の無駄遣いだという説を耳にすることが多くなってきたように思う。そう考えると、この小説がいっそうリアルに感じられる。

 また、先にも述べたように、Kateの実の母親探しが20年前のCrisisの真相につながっていくストーリーが主軸、つまり縦の糸となっているが、横の糸として親と子の物語が織りこまれている。

 Kateと実の母親だけではなく、Kateが大人になっていく娘Sachaを見守る姿もていねいに描かれている。さらに、Crisis以前の南アフリカ謎の肺炎への特効薬を探して奮闘するPietは、自分と母親を捨てて家を出ていった父親に複雑な思いを抱いている。Pietの父親が、アパルトヘイト廃止に尽力した南アフリカ元大統領デクラークの熱心な支援者であったことも、Crisisの際に判明する。そして終盤では、とある親子の因縁が物語を大きく展開させる。

 けっして明るい物語ではないけれど、互いを思い遣るKateとSachaのキャラクターと、場面は少ないながらも、鮮烈に描かれる南アフリカの自然の美しさのため、読後感は意外に爽やかだった。

 それにしても、いったいこのパンデミックがいつまで続くのか? まったく見当のつかない現在、読書くらいはコロナのことを忘れたい!という気持ちもわかりますが、逆にこんなディストピア小説を読んでみるのも一興ではないでしょうか。