快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

当事者っていったい誰のこと? 『ほんのちょっと当事者』青山ゆみこさんトークイベント

わたしは社会の一員として生きている。
というよりも、社会とはわたしが生きることでつくられている。わたしたちが「生きる」ということは、「なにかの当事者となる」ことなのではないだろうか。

  さて、昨日は隆祥館書店で行われた、青山ゆみこさんの『ほんのちょっと当事者』出版記念トークイベントに行ってきました。 

ほんのちょっと当事者

ほんのちょっと当事者

  • 作者:青山ゆみこ
  • 出版社/メーカー: ミシマ社
  • 発売日: 2019/11/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  『ほんのちょっと当事者』とはどういう意味かというと、「これまで『大文字の困りごと』を抱えて生きてきたわけではない」という青山さんが、病気の母親を亡くし、脳梗塞の後遺症を抱えた父親が遺されたとき、「初めて自分が『介護問題』の当事者であることに」気づく。

 それをきっかけに、そもそも「社会問題の当事者である」とはどういうことなのだろう? と考えるようになり、自分がこれまで経験したことを、当事者としての視点で振り返って綴っている。ミシマ社のウェブマガジンでの連載時から大きな反響を呼び(私も楽しみにしていました)、このたび一冊にまとめられた。

 「社会問題の当事者」としての視線で…というと、ひたすらマジメだったり、ものすごく深刻だったりと、なんだか読んでいるこちらが告発されているような、スンマセンと謝らないといけないような、重苦しい気持ちになるのではないかと思われる方もいるかもしれないが、この本についてはそんな心配はまったく無用。 

〈夜尿症(おねしょ)は小学校に入る頃も約一割の子どもにみられ、男児での頻度が高い〉
え、うそっ!!!
読み替えれば、「小学校に入る頃には九割がおねしょをしなくなる」ということになる。
おねしょ……。封印していた暗い過去がにわかにびちょびちょと蘇る。
できれば黙っておきたかったが、わたしはおねしょ歴がとても長かった。 

 なんでまたよりにもよってここを引用すんねん、という感じかもしれないが、①どんな深刻な問題でもあくまで個人の視線から語り、②ユーモアや軽妙さを忘れない、という特徴がよくあらわれた箇所だと思うので、抜き出してみました。

 おねしょというのは当人にとってはめちゃくちゃ深刻な悩みごとだろうが、(申し訳ないけれど)傍から見るとちょっとユーモラスな印象もぬぐえない。このツカみで読者を笑わせ、緩和させる。

 しかしそこから、昔はおねしょの原因は、母親の育て方や子どもが抱えるストレスだという俗説が流布していた(現在は夜尿症という病気だと認知されている)と展開し、そう思いこんでいた自分が母親にどのように育てられてきたかを振り返る。

 「家父長制の権化のような父の『良き妻』であろうとし」た反動で、時折「豹変したように怒り狂」い、子どもたちを怒鳴って叩いていた母親を思い出す。男尊女卑の考えを持っていた父親に従い、娘にも「女の子らしく」を押しつける母親に、強く反発していた自分の姿も思い出す。 

わたしはどこかで、父に従属的に生きる母を同性の立場から責めていたのだ。なぜ母がそう生きざるを得なかったのかも考えずに。

  このように、けっして大上段に構えることなく、ごく個人的な困りごとや失敗談を契機に、当事者として社会問題に通じる扉を開けていくので、どの章も心にすっと入ってくる。
 社会人になりたての頃、勧められるままにローンを組んで自己破産しかけた話や、最近も派遣に登録しようとしたら、スキルチェックでひっかかった話にしても、ちょっと笑える失敗談からはじまり、そこから裏側にひそんでいる金融業や派遣業の問題点に目を向けている。

 トークイベントでも、大上段に構えない、上から語らない、大きく考えないというのは、このエッセイを書く際に常に意識していたと青山さんが語られていた。「正しい話をしない」というのが決めごとだった、と。
 大きく考えると、結局「差別はいけないので、やめましょう」みたいな、某A〇ジャパンのCMのような、「正しい」だけの文言になってしまう。そんなのは誰の心にも響かない。

 この本でも相模原事件について書いている章があるが、ただ「障碍者差別はいけない」「誰の命も平等に大事」など説いても、あの加害者にも、加害者に賛同するひとたちにも届くわけがない。

 それよりも、自分の中にも障碍者差別に加担するような気持ちはないか問うてみる方がいい、と。かつて自分も、障碍を持つクラスメートと同じ班になるのは面倒だなあと思っていた、「悪いゆみこちゃん」だった事実について考えた方がいい、と。


 それでもいくら問うても、あの加害者の心情を変えることも、理解することも永遠にできないかもしれない。本の中でも、障碍者の娘を持つ当事者として、事件について積極的に発言してきた社会学者の最首悟さんの言葉を引用しているように、「決してわからないことがある」ということを受け入れるのも大事なのだろう、とも語られていた。

 それにしても、おねしょの話から、自分の中にある障碍者差別の気持ちや、そのほかにも自分が経験した性犯罪や、この本では書くのに相当の勇気がいるであろうことが多く綴られている。

 けれども軽妙で、読んでいてまったく重苦しくなく、また「正しい話をしない」のがポリシーではあっても、いわゆる「本音をぶっちゃけた」体の露悪的なエッセイでもない。よって、司会の二村さんもおっしゃっていたように、非常に読後感のいい一冊となっている。

 その秘訣について聞かれた青山さんは、なるだけ感情を入れないように書いたと答えていた。実は連載時の内容には、親への恨みつらみがもっと多かったが、本にする際にばっさりとカットしたらしい。いまこうやって過去を振り返ることで、感情を「お焚きあげ」して、「悪いゆみこちゃん」だった自分から前に進むことができたのではないか、と考察されていた。

 あと、関西ではご存じの方も多いでしょうが、青山さんはもともとの関西の人気情報誌『MEETS』の編集者であり、独立されてからは、淀川キリスト教病院を取材した『人生最後のご馳走』の執筆や、「みんながつくるみんなの学校」を掲げた大空小学校の木村泰子先生の『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』のライティングをされている。(*一部修正しました)

 長年にわたり多くのひとに取材し、たくさんの話を聞いて記事にまとめてきた蓄積が、この本のフラットで風通しのいい語り口におおいに反映しているのではないかという印象を受けました。この本でも取りあげられていますが、「聞くこと」って大事なんだな、とあらためて感じました。 

人生最後のご馳走 (幻冬舎文庫)

人生最後のご馳走 (幻冬舎文庫)

 

  

「ふつうの子」なんて、どこにもいない

「ふつうの子」なんて、どこにもいない

 

 

 

こぼれたミルク、だめになったスープ、恋人は共犯者…どう訳す?『この英語、訳せない!』(越前敏弥)など

 山下達郎の「サンデーソングブック」を聞いていたら、アメリカのファンク/ソウルグループの100 PROOFによる「TOO MANY COOKS (SPOIL THE SOUP)」がかかった。ミック・ジャガーもカバーしている(プロデューサーはジョン・レノン)名曲で、要は「オレの女に手を出すな」という歌らしい。 

Don't want another man well lovin' you
Cause too many cooks will spoil the soup
I know your love, is a boiling hot
Don't want another man's, finger in the pot

 と、ほかの男が指をつっこんだら、スープの味が台無しになってしまうと歌っている。

 

www.youtube.com

 さて、” Too many cooks spoil the soup/broth”とは、「料理人が多すぎるとスープができ損なう」(ルミナス英和辞典)という英語のことわざであり、日本の「船頭多くして船山に登る」に相当する。とはいえ、この歌詞にはboilingとかpotなど、前後にスープに関連する言葉も出てくるので、和訳を作るとしても「船頭多くして船山に登る」とはできないだろう。

 そもそも、「料理人が多すぎるとスープができ損なう」でじゅうぶん意味がわかるので、あえて「船頭多くして船山に登る」とする必要はないかもしれない。けれども、もっと意味がわかりにくいことわざや慣用句の場合はどうしたらいいのか? どこまで日本語に置き換える必要があるのか?

 といった、英語と日本語のあいだでわきおこる疑問をひとつひとつていねいに解きほぐしてくれるのが、この『この英語、訳せない!』である。 

この英語、訳せない!  headは頭?顔?首?

この英語、訳せない! headは頭?顔?首?

 

  上記のようなことわざや慣用句については、「慣用表現の対処法」①~③で解説されている。
 ”It’s no use crying over spilt milk”は、「後悔先に立たず」でいいのか? それとも「覆水盆に返らず」がピッタリなのか? いや、やはり「こぼれたミルクのことを嘆いてどうするのか」なのか? (そういえば、日本でも人気のあったバンド、ジェリーフィッシュのアルバムのタイトルは、「こぼれたミルクに泣かないで」でしたね)

 ほかにも、一人称をどう訳すか、頭韻や脚韻、複数形をどう示すかといった、英語と日本語のあいだで必ず出てくる問題が考察されている。
 さらに、とりわけ訳しにくい単語については、例文とともに解説されているが、 ”condescend”という単語が要注意だと気づかされた。たしかに、リーダーズを見てみると、

「1 同じ目線の高さに立つ[でものを言う], 高ぶらない」
「2《腰は低いが》〈相手を〉見くだしたふるまいをする」

と、どっちやねん!と言いたくなる定義が書かれている。いや、あえて腰を低くする(同じ目線に立つ)というのがもともとの意味であり、そこから嫌味っぽさが生じるのだろう。感覚としてはじゅうぶんに理解できるひとが大半だろうが、訳すのは難しい。

 と思いつつ、同じく最近買った『韓国・フェミニズム・日本』を手に取り、責任編集の斎藤真理子さんと翻訳者の鴻巣友季子さんの対談を読んでいると、偶然にもこの単語が出てきた。 

完全版 韓国・フェミニズム・日本

完全版 韓国・フェミニズム・日本

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2019/11/29
  • メディア: 単行本
 

 この本はフェミニズムをキーワードにして、現代の韓国文学を日本から読み解いていくためのブックガイド(だと思う)であり、この対談でも『82年生まれ、キム・ジヨン』などフェミニズムをテーマにした小説について語られている。そこで、小説で描かれてきた親や夫からのモラルハラスメントについての話題になり、鴻巣さんがこう言っている。 

近年まで日本人の読者は、そういう陰険なモラルハラスメントについて語る言葉を、意外と持っていなかったように思います。せいぜい「おせっかい」くらいでしょうか。だから、英語のcondescend(ing)が出てくると訳せなかった(笑)

  そして、この十年でようやく、condescend(ing)をあらわすのに「便利な言葉」が出てきたと続けている。その「便利な言葉」のひとつは、『この英語、訳せない!』でも解説で挙げられていたので、condescend(ing)の意味について深く納得できた(つもり)。気になる方は、ぜひ本を読んでみてください。 


 また、『この英語、訳せない!』では「度量衡で示す訳者の考え」という章で、フィート/メートルにポンド/キロといった、これまたおなじみの単位の問題を取り上げているけれど、鴻巣友季子さんの『全身翻訳家』でも、「訳せない単位」という章で「単位の翻訳には、なかなか気を遣う」と書かれている。 

全身翻訳家 (ちくま文庫)

全身翻訳家 (ちくま文庫)

 

 英語には、six of one, a half dozen of the otherというフレーズがある。「六と言おうと半ダースと言おうとおなじ」、つまり「どちらでも違いがないもの」というほどの意味だ。ところが、日本語で「六」と「半ダース」はおおいに違う。

  たしかに、ダースというのは日本人の感覚ではあまりピンとこない。もちろん12というのは知っているが、12や6がキリのいい数字という感覚がない。『全身翻訳家』でも書かれているように、日本人にとってキリがいいのはやはり5や10である。つまり、単位問題は単に換算したらいいのではなく、肌感覚とセットになっているからやっかいなのだろう。 

 英語と日本語それぞれの単語の意味は、一対一で対応していない。
…というのは、翻訳を語る際に常に言及されることであり、『この英語、訳せない!』でも、head や evening といった基本的な単語から、mindのように抽象的で複雑な意味を持つ単語まで説明されている。
 "Reading is to the mind what food is to the body."は、「読書の精神に対する関係は食物の肉体に対する関係に等しい」という訳がベストなのか? 判で押したように、mind=精神でいいのだろうか?

 しかし、こう考えていくと、翻訳者は裏切り者という言葉があるように(もとはイタリアの慣用句?)、その言葉の持つ文化や背景、ネイティヴが受ける語感などのすべてを落とさずに翻訳することも、また、翻訳されたものを読んですべてを理解することも不可能なのだろうか…という、うっすらとした絶望感を抱いてしまう。

 そんなことを思いながら、今度は原田勝さんのブログを見たところ、『おすすめ! 世界の子どもの本──JBBY選 日本で翻訳出版された世界の子どもの本──』というブックガイドが紹介されていて、それに収録されている宇野和美さんのエッセイに触れられていた。 

haradamasaru.hatenablog.com

結局わからないとしても、どこまでも他者を理解しようとするのをあきらめないのが翻訳者だと思う、と(宇野和美さんは)書いていらっしゃいます。それによって、既存の価値観や常識が広がることがあるのだし、わからないことも伝えるのが、わたしたちの仕事なのだ、と。

  ここを読んで、そうだ、何から何までぜんぶわからなくてもいい、結局わからなかったとしても諦めずに粘ることができたらいいんだ、と心から思えた。翻訳する側も、読む側も、ある意味共犯者、”Partners in crime”として、遠く離れた外国で書かれた本と格闘し、ときに楽しく戯れられたら、それでいいのではないかと……だめでしょうか?

 ちなみに”Partners in crime”も、冒頭に書いた山下達郎のサンソンで、Rupert Holmesの歌がかかっていて、これも和訳するのに難しい言葉だな(ここでは不倫を歌っているので、「共犯者」という直訳でも大丈夫そうですが)…と、聞きながらつくづく思ったのでした。 

幸福って何だっけ? 『幸福の遺伝子』(リチャード・パワーズ著  木原善彦訳)

輝かしい雰囲気に囲まれた彼女はしゃべるときも気楽そうだ。彼は彼女がアルジェリアの内戦を逃れてきたと言ったように感じ、もう一度今の言葉を繰り返してほしいと言いたくなる。しかし彼は慌てて、彼女に人生哲学を言うように促す。

「人生は哲学で語るには素晴らしすぎる」と彼女は皆に言う。

  子どものとき、テレビアニメ「世界名作劇場」で『ポリアンナ物語』を観ていた。

 どういう物語かというと、「世界名作劇場」の常道どおり、幼い少女ポリアンナは両親に先立たれて孤児となり、叔母のもとに引き取られるが、それ以後も常道どおり、次々と苦難に見舞われる。けれども、美しい心を持つポリアンナはけっして環境や運命を呪ったりせず、どんな不幸のなかでも「よかった探し」をして、周囲のひとびとの心に感銘を与える……というものだった。

 同じく幼い少女であった私は、この「よかった探し」がとにかく嫌で仕方なかった。

 「よかった」なんてあるわけないやろ!と、子どもながらにイライラしていた。いま考えると、とくにこれという不幸に見舞われたことのなかった子どもとして、不幸にあるからこそ、「よかった」を探さないとやっていけない心情などまったく理解できず、ポリアンナがただいい子ぶっているように思えて、ひたすらウザかったのである。

 どうしてこんなことを思い出したかというと、リチャード・パワーズ『幸福の遺伝子』を読んだからである。 

幸福の遺伝子

幸福の遺伝子

 

  物語の中心人物であるラッセル・ストーンは、かつて身のまわりのひとたちをネタにしていくつかの物語を書き、一躍人気作家となった。だが称賛を受ける半面、ネタにされた実在の人物たちからの抗議を受け、なかには自殺未遂まで起こす相手もいて、一切書くことができなくなった。

 旧友の紹介でシカゴに行き、『自分自身になる』という自己啓発雑誌の編集に加わり、読者の熱意あふれる投稿をなんとかまともに読める文章に直すというのを生業にする。すると今度は大学から声をかけられ、創作学科の非常勤講師を依頼された。


 『生き生きした文章を書くために』という本をテキストに教壇に立つと、ひとりの女子生徒に目が留まった。
 タッサというその生徒はアルジェリア出身で、大量殺戮が横行するその国で父は殺され、母はそのショックから衰弱して病死し、パリに脱出してモントリオールに移住した……という顛末を、生き生きと、なんなら楽しげとまで言えるほどにのびのびと語った。

 タッサのまわりには笑顔があふれ、どんなに辛いことも彼女の手にかかると美しい物語となった。さらにはレイプされかけても、加害者をかばおうとする。不幸のあまり感情がハイになっているのか? 多幸症か? と疑わずにいられないストーンは、スクールカウンセラーであり、昔の恋人にどことなく似た面影を持つキャンダスに相談をもちかける。 

「先生は私が幸せすぎると思っているんじゃありません? みんな、私があまりにも幸せそうだというんですよね。ここってアメリカじゃないんですか? 何々すぎるっていうことが存在しない国でしょう?」

  一方、世界的なセレブリティーである遺伝子学者、トマス・カートンは「人が不安になりやすい、あるいは小児期に落ち着きがない、あるいは鬱状態になりやすい」というのは、特定の遺伝子が関連しているのではないかと研究していた。

 講演に訪れたシカゴで、タッサに引き合わされたカートンは、その多幸症とも思える症例には遺伝子が関連しているのではないかと考え、タッサをボストンの研究所に招いてさらに調査をする。その結果、「幸福の遺伝子」というものが存在すると発表する。 

幸福は大部分が遺伝だということが、ついに科学の手によって明らかになりました。

幸福の遺伝子が、なぜか、あまり広がりを見せていないのは興味深い。 

私たちはあとどれくらいの年月で、もう少し幸福になれるでしょうか?

 と、SFのような舞台設定のもと、いくつものテーマが交錯する。

 幸福とはいったい何なのか? 
 幸福や不幸を感じるのも、結局は遺伝などの肉体的条件に由来するものなのか? 
 鬱病を治す薬があるように、脳をいじくったら幸福を感じられるのか?
(SFの古典であるオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』に出てくる、幸せになる薬「ソーマ」についても言及されている)

 という「幸福の遺伝子」をめぐる主題から、書けなくなったカートンが、タッサやキャンダスとの交流から幸福と呼ぶことができるようなものに近づき、書くことについて再び向きあうようになる――誰も傷つけずに書くことは可能なのか? 
 そして、基本的に三人称で語られるこの小説の中で、時折顔を出す書き手の「私」とはいったい誰なのか? という疑問が浮かびあがる。

 単純な感想として、たいした人生経験もないのに、頭の中だけで鬱屈を抱えている者にとっては、幾多のつらい経験を乗り越えて、それでも人生を明るくポジティヴに受けとめている人間の存在が脅威に感じるんだな、とあらためて思った。

 子どもの頃の私がポリアンナを見てイライラしたように、このラッセル・ストーンもタッサに出会って、自分の足元を崩されるような脅威を感じる。まあなんて微笑ましい、とスルーすることができない。

 この物語の原題はGenerosityであり、「ジェネラス」という言葉はルビとなって何度も顔を出す。「ジェネラス」が――「寛大」や「包容力」が、タッサを表現する言葉である。「包容」には、基本的には自分以外のもの、他者を包みこむイメージがある。

 かつてラッセル・ストーンは、他者の人生を勝手に物語化したことによって他者を傷つけ、自らも心に深い傷を負った。それ以後、他者の物語を語ること――他者を「包容」すること――に強い恐怖心を抱くようになった。
 ところが、タッサは他者を「包容」することをまったく恐れない。おそらくこの点が、ラッセル・ストーンがタッサにひどく怯えながらも、無視することができなかった最大の理由なのだろう。 

 では、タッサの「包容力」は結局どこから来たものだったのか? やはり遺伝子の仕業だったのか? 
 他者を「包容」すること――他者の物語を語ること――は可能なのか?

 これについては、それぞれこの本を読み進め、ラッセル・ストーンやトマス・カートンとともに追究してほしい。

 また、この物語には時間軸がふたつあり、ひとつはタッサをめぐるラッセル・ストーンやトマス・カートンによる騒動が現在進行形で語られ、もうひとつは、二年後の世界がテレビ司会者の女性の視線で語られる。この二年後の世界の意義がよくわからなかったが、物語の結末でようやく納得した。 

結論を出すのは死んだ後だ。私に選択肢はない。喜びが私からあふれ出す。「気分は?」と私は訊く。「調子はどう?」と。彼女はあらゆる寛大な(ジェネラス)答えを返す。  

 

 

2019年11月10日 柴田元幸さん講座「J・D・サリンジャーの声を聞く」 ホールデンからハック、そしてシルヴィア・プラスなど

If you really want to hear about it, the first thing you’ll probably want to know is where I was born, and what my lousy childhood was like, and how my parents were occupied and all before they had me, and all that David Copperfield kind of crap, but I don’t fee like going into it. 

もし君がほんとに僕の話を聞きたいんだったら、まず知りたがるのはたぶん、僕がどこで生まれたかとか、子供のころのしょうもない話とか、僕が生まれる前に両親は何をやってたかとかなんとか、そういうデイヴィッド・コッパフィールドっぽい寝言だろうと思うんだけど、そういうことって、話す気になれないんだよね。

  さて、朝日カルチャーセンター芦屋で行われた、柴田元幸さんの講座「J・D・サリンジャーの声を聞く」に参加してきたので、いくつか備忘録としてメモしたいと思います。

 まずは資料として、上記の『キャッチャー・イン・ザ・ライライ麦畑でつかまえて)』のように、本日取りあげるいくつかの作品の冒頭の英文と、柴田さんによる訳文が配られた。

 「キャッチャー」は、当時すでに32歳だったサリンジャーが、1950年代に生きる十代の少年の声、その焦燥感、せわしなさをたくみに作りあげていると解説されていた。
 それにしても、訳文も見事に日本語に移しかえている。……と、私が感じいっていると、柴田さん曰く、訳文は原文のぎすぎすした雰囲気をあまり出せていないとのこと。具体的には、lousyやkind of crapのとんがり具合が訳文では弱い、と。ここのLousy「しょうもない」や、そしてkind of crapの「寝言」とか、私には模範解答のようにすら思えたけれど。言葉の海はまだまだ深い。

 そして、1950年代(20世紀)のアメリカの声を表したものが、サリンジャーホールデンであるならば、19世紀で相応するのは、やはりマーク・トウェインハックルベリー・フィンである。 

ハックルベリー・フィンの冒けん

ハックルベリー・フィンの冒けん

 

  ちなみに、19世紀は南北戦争というアメリカ史における最大の事件が勃発した時期であり、なぜ南北戦争が最大の事件なのかというと、南北戦争によってアメリカが無垢でいられた時代が終わったから、と。そして、「ハックルベリー・フィン」は、南北戦争前の話を南北戦争後に描いた小説である、とのこと。 

You don’t know about me, without you have read a book by the name of “The Adventures of Tom Sawyer,” but that ain’t no matter. That book was made by Mr. Mark Twain, and he told the truth, mainly. 

「トム・ソーヤーの冒けん」てゆう本をよんでない人はおれのこと知らないわけだけど、それはべつにかまわない。あれはマーク・トウェインさんてゆう人がつくった本で、まあだいたいはホントのことが書いてある。

  マーク・トウェインは、このまちがいだらけのハックの語りこそが――上の短い箇所だけでも、withoutは前置詞なので、そのあとに主語・動詞は続かない(正しくはunlessになるが、ハックがunlessと言うのは想像できない、と)、ain’tはまちがいではないが、正しい言葉づかいではない、bookにmade(make)は使わず、正しくはwrittenになる――アメリカ人のほんとうの声であると提示した。

 最後の質疑応答のところでも、こういう文章を綴った狙い、また受け取られ方についての質問があったが、『ハックルベリー・フィンの冒けん』のマーク・トウェインによる序文に、「こうした差異化は(←方言を多用していること)無方針や当て推量でなされたものではなく、入念に、これら数種の喋り方に自ら親しんできた経験の導きと支えによってなされている」と、明確な意図があって書いたことが宣言されている。

 受けとられ方については、「ハックルベリー・フィン」は昔から、そしていまでも禁書とされることが多いとのこと。いま禁書とされるのは、おもに ”nigger” という言葉が大量に出てくるからであるが、発表当時はこのハックの語り口が下品で教養がないとして、偉い先生たちやお上品な方々からおおいに批判を受けたらしい。

 また、マーク・トウェインサリンジャーのあいだをつなぐアメリカの声として、ヘミングウェイがいる。ただ、トウェインとサリンジャーと同様に、ヘミングウェイもわかりやすい言葉で物語を書くことを信条としたが、その平易さがあまりにも先鋭化したため、逆にふつうの人々が交わす自然な会話から遠ざかってしまったところもある、と。

 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の女性版としては、1963年に発表されたシルヴィア・プラスの『ベル・ジャー』が紹介された。 

The Bell Jar

The Bell Jar

 

  昔、私も『ベル・ジャー』の原書を読んで、いまより英語力も低かったので(いまもさして高くないが…)隅々まで理解できたとは言えないながらも、それでも主人公の苦しみ、その切実さに胸を衝かれた。ちょうど先日、Googleのヘッダーがシルヴィア・プラスになっていたので、読み返そうと思っていたところだった。 

It was a queer, sultry summer, the summer they electrocuted the Rosenberg, and I didn’t know what I was doing in New York. I’m stupid about executions. …… It had nothing to do with me, but I couldn’t help wondering what it would be like, being burned alive all young your nerves. 

それは奇妙な蒸し暑い夏、ローゼンバーグ夫妻が電気椅子で処刑された夏で、私は自分がニューヨークで何をしているのかわからなかった。私は死刑のことになると馬鹿みたいになる。…… 私とは何の関係もないのだけど、生きたまま体中の神経を焼かれて死ぬのってどんな感じだろうと考えずにいられなかった。

  ちなみに、ここでプラスはこう書いているけれど、のちに彼女は31歳でオーヴンの中に頭を突っこんで自殺している。体中の神経を焼かれることを想像したことはないけれど、オーヴンの中に頭を突っこんで死ぬとはどんな感じだろうとは時折考える。

 一方、サリンジャーは隠遁したもののかなり長生きして(91歳で死去)、晩年は孫くらい年下の女性とともに過ごしていた…と思うと、つい「やっぱ男って…」とステレオタイプな偏見にまみれたことを考えそうになるが、いやいや、といそいで頭から追い払う。

 柴田さんの講座に話を戻すと、キャッチャーと『ベル・ジャー』で共通しているのは「生きづらさ」であるとのこと。「生きづらさ」というのは、最近でもよく聞く言葉であるが、1940年代~50年代のアメリカの若者の生きづらさは独特のものであった。
 
 というのは、若者文化というものが皆無だったかららしい。たしかにロックにしても、チャック・ベリープレスリーの活動初期から考えたら50年代も入るかもしれないが、若者文化として普及したのは60年代以降というイメージがある。若者が感情移入できるもの、若者の気持ちを受けとめるものがまったくなかったようだ。

 とくに女性については、戦前から戦中は働き手が少なくなったため社会進出が進んだが、戦争が終わると再び家庭に閉じこめられるようになり、当時流行のホームドラマなどでも女は家を守るものという価値観が喧伝され、女性への抑圧が強かった時代だった。
 この『ベル・ジャー』の主人公は、流行最先端の雑誌『マドモワゼル』の編集部のインターンに採用され、誰もが憧れる華やかなニューヨーク生活をはじめるが、ホールデンと同じようにニューヨークの喧騒のなかで徐々に神経を病んでいく。

 最新号の『Monkey』に掲載されている、サリンジャーの「いまどきの若者」の朗読も聞けた。 

   この原題は ” The Young Folks” であり、これまで「若者たち」とされてきたが、young folksという言葉には大人が若者を揶揄するニュアンスもあるので、「いまどきの若者」という題にしたと語られていた。 

「でも俺、そんなによく知らないんだよ。俺ほんとはもう帰んないと。月曜に出すレポートがあるんだよ、この週末も帰ってくるつもりなかったんだ」

「え、だって、パーティまだ始まったばかりじゃない!」とエドナは言った。「まだ宵の口よ」

「なんの口?」

「宵の口。まだ早い時間だってこと」 

  と、こんな具合にだらだらと若者たちの会話が描写されたこの小説。(しかし、「宵の口」の原文の単語が気になる)

 ストーリー展開というものはまったくないが、この若者たちが持つ「言葉にできない何か」が伝わってくると解説されていた。私はこの朗読を聞いて、昔のクドカンドラマ、『木更津キャッツアイ』とかを思い出したりもした。ホールデンほどではないが、若者の焦燥感や不安定な気持ち(手すりがぐらぐらしているのが暗喩と考えるのは、単純すぎる読みかもしれないが)が垣間見えるやりとり。

 また、大学の恩師でもあり、デビュー作を『ストーリー』に掲載してくれたウィット・バーネットに、サリンジャーが捧げた文章も朗読してくれた。『Monkey』では版権の関係で翻訳を掲載できないと書かれていたので、来た甲斐があった!と思った。

 その文章で、サリンジャーはバーネットが短編小説を朗読する作法について、作者と作者の愛する読者に入りこまないという旨の賛辞を送っていた。
 もちろんこれは朗読のみならず、短編小説に情熱を注ぎながらも、冷静に向きあっていたバーネットそのものへの賛辞だと思うが、小説や創作物に関する文章を書いたり、訳したりする際に常に心掛けるべき言葉だと感じた。

 質疑応答もほんとうにレベルが高く、たいへん勉強になった。トウェイン~サリンジャー後のアメリカ文学についての質問もあったけれど、ただひとりの作家に焦点を当てただけでも、アメリカ文学、そして社会全体の俯瞰図につながることがよくわかった。

 もちろん、サリンジャーがそれだけアメリカ文学で重要な作家だということも大きいのだろうが。「キャッチャー」の村上春樹訳を皮切りに、どんどん新訳が出ているので、ひとつひとつ読み直していこう。

それぞれの作品が呼応する、意義深いアンソロジー 『世界文学アンソロジー いまからはじめる』(秋草俊一郎ほか編)

アンソロジーって何だろう? 

 一般的には、さまざまな物語(おもに短編)を集めて一冊にしたものという印象だろうか。スーパー大辞林では、「一定の主題・形式などによる、作品の選集。また、抜粋集。佳句集。詞華集。」と定義されている。goo辞書では「いろいろな詩人・作家の詩や文を、ある基準で選び集めた本。」となっている。
 そう、単に寄せ集めたものではなく、「一定の主題・形式」「ある基準」が必要なのだ。

 どうしてわざわざこんなことを言っているのかというと、『世界文学アンソロジー』を読んで、アンソロジーの意義というものについて気づかされたからである。 

世界文学アンソロジー: いまからはじめる

世界文学アンソロジー: いまからはじめる

 

  三省堂のこちらのページに、収録作品の一覧が掲載されている。

www.sanseido-publ.co.jp

 カフカやガルシア=マルケスといった有名な作家から、海外文学の愛読者でも知らないような作家まで、幅広く収録されている。幅広いのは知名度だけではない。日本やヨーロッパのみならず世界のあらゆる国から……というより、もっと正確に言うと、いわゆる「国籍」という概念を揺るがす作品が多く収録されている。

 まず冒頭の第一章に、李良枝の「由熙」と、サイイド・カシューアの「ヘルツル真夜中に消える」が収録されている。

 李良枝は日本で生まれ育った在日韓国人であり、この「由熙」では、故郷であるはずのソウルに留学した在日韓国人の由熙の姿が描かれている。目醒めた瞬間の「ことばの杖」が、日本語の「あ」なのか、韓国語の「아」なのかわからないと語る由熙の葛藤が、ふたつの国のあいだで生まれ育ち、どちらの国にも完全にアイデンティティを投影できない証となっている。 

――あの子はね、韓国に来て自分が思い描いていた理想がいっぺんに崩れちゃったのよ。だからきっと、韓国語までがいやになってしまったんだわ。言葉ってそういうものだと思うの。

  そして、サイイド・カシューアは、イスラエル国籍のパレスチナ人作家である。この「ヘルツル真夜中に消える」の主人公ヘルツルは、「毎晩零時を過ぎると『アラブ人』になる」。 

真夜中から夜明けにかけて、彼はヘブライ語がまったくわからなくなる。「OK」(ベ・セデル)、「シュケル」、「検問所」(マフソム)以外は。なぜかって? アラブ人も、こうした単語をまるで自分たちの言葉みたいに使っているんだから。

  このふたりの作家による物語は、どちらも単独でもじゅうぶん読み応えがある作品なのだけど、こうやって並べられると、複雑な歴史を持つ二国(二地域)の狭間で生きることの困難がいっそう胸をつき、これがアンソロジーの意義だと思った。

  それにしても、李良枝の名は目にしたことはあったものの、まったく読んだことがなかった。この「由熙」の一部だけでも、読み手の心を揺さぶる筆力が伝わってきたので、もっと読んでみたいと思ったけれど、1992年に37歳の若さで亡くなっている。もし、いま生きていたら64歳だ。韓流やK-POPブームが盛りあがる一方で、政治はどんどんと混迷する現状を見て、何を思うだろうか? 

 この本の解説によると、サイイド・カシューアはガザ侵攻を支持するイスラエル政府に絶望して、2014年にアメリカに移住したと書かれている。

「このアラブのお話って、いったいどうなるの?」――この問いの答えは、やはり明るいものになり得なかったのだろうか。

 さらに、チアヌ・アチェベとチママンダ・ンゴズィ・アディーチェという世代の異なるナイジェリア人作家がともに収録されている点も見逃せない。

 チアヌ・アチェベの「終わりの始まり」では、イボ族一家の一人息子がカラバルの女と結婚したことによって、家庭に亀裂が入る。これ自体は、ひとつの家族を描いたささやかな物語だが、こういった民族間の不和が積もり積もって、悲惨なビアフラ戦争へつながった。

 ビアフラ戦争にアチェベはビアフラ側で参戦し(この本の解説より)、戦争の当時まだ生まれていなかったアディーチェは、のちに『半分のぼった黄色い太陽』(このアンソロジーには収録されていない)でビアフラ戦争を取りあげ、民族間で殺しあう光景を描いた。(下記でも紹介しましたが)

dokusho-note.hatenablog.com

 そして現在、内戦を経たナイジェリアは、世界のあらゆる国と同様にグローバル化の波にさらされている。
 富裕層や高い教育を受けた者は、どんどんとアメリカやイギリスを目指すようになる。古い因習の残る祖国を去って、自由な新天地での成功を夢見る。
 けれども、それは簡単なことではない。ここに収録されているアディーチェの「なにかが首のまわりに」では、アメリカに移住したナイジェリア人女性が直面する違和感が綴られている。 

アメリカではみんな車や銃をもってる、ときみは思っていた。おじさんやおばさん、いとこたちもそう思っていた。

  先進国に移住してきた移民の苦しみというと、グローバル化する前からよくある題材のように思われるかもしれないが、この小説は一人称でも三人称でもなく、「きみ」に語りかけるスタイルを採用していて、その俯瞰の視点によって、従来の物語から刷新された現代性を感じる。

 アチェベとアディーチェがあわせて収録されることで、ひとつの国の歩みが見事につながり、ここでもアンソロジーの意義をあらためて感じさせられた。 

予測通り世論は二分し、専門家たちは、どの派閥に属しているか、楽観主義か悲観主義かで異なる意見を述べた。ある専門家は言った。いいえ、炉心がメルトスルーするはずがありません。別の専門家は言った。それは違います、あります。あります、ありますよ。可能性がゼロだなんてとんでもない。

 へえ、東日本大震災を反映した小説も収録されているのか、と思った方もいるのではないでしょうか。少なくとも、私はそう思った。

 が、このクリスタ・ヴォルフによる「故障――ある日について、いくつかの報告」は、1986年のチェルノブイリ原発事故を背景に、脳腫瘍の手術を受ける弟や、幼い子どものいる娘の姿を描いている。
 
 私たちは放射能という道具を使いこなせるのか? 自然への冒涜ではないのか?と問いかけている。世界のあらゆるところで過ちはくり返され続けている。自然に逆らい、過ちをおかし続ける人間の愚かさを、圧倒的なまでに力強い筆致で描いた作品も収録されている。 

チッソの人方もね、魂の高かお人なら、しゅり神山のおしゅらさまのことは、お解りになりそうなものでございますよねえ、位の高か狐ですがねえ」

  石牟礼道子の「神々の村」だ。水俣病を取りあげた『苦海浄土』三部作の第二部にあたる。
 自然への畏怖が刻みこまれたこの作品を読むと、原発事故や公害といった事例は、事故が起きた土地や、被害者やその家族といった当事者のみに関わるローカルな題材ではけっしてなく、国境すらも超えて、人間の営為そのものについて考え直さないといけない問題であることがよくわかる。

 いま紹介したのはこのアンソロジーのまだ一部であり、最初に書いたようにカフカやガルシア=マルケス、あとジョイス魯迅といった著名な作家も収録されていて、どれも短編(あるいは抜粋)なのに、どっしりとした読後感が残る。
 海外文学にはじめて触れるひとはもちろん、ふだんから海外文学を愛好しているひとにとっても、読書の幅が広がることまちがいなしの興味深い一冊だと思う。 

「不逞」に戦い続けること 『何が私をこうさせたか』(金子文子著)『三つ編み』(レティシア・コロンバニ 著 齋藤可津子訳)

 文体については、あくまでも単純に、率直に、そして、しゃちこ張らせぬようなるべく砕いて欲しい。
ある特殊な場合を除く外は、余り美しい詩的な文句を用いたり、あくどい技巧を弄したり廻り遠い形容詞を冠せたりすることを、出来るだけ避けて欲しい。

  前回の『女たちのテロル』によって、金子文子の生涯についてもっと知りたくなったので、『何が私をこうさせたか』も読んだ。 

  この手記は、金子文子が獄中で自分の人生を綴ったものであり、最初の記憶が残っている四歳から、朴烈と出会うまでを振り返っている。

 書かれている内容は、だらしのない父と母に翻弄されながら育ち、預けられた朝鮮の親戚の家では虐待され……と、『女たちのテロル』でまとめられているとおりの悲惨な身の上話である。

 しかし、文子の怜悧な頭脳は自分を哀れんだりせず、冷静な観察眼と状況を俯瞰する客観性によって過酷な状況を淡々と描き、どこかしらユーモアさえ感じられる筆致で、想像していたよりずっと読みやすく、力がわいてくる本だった。『女たちのテロル』でも触れられていたように、林芙美子の『放浪記』と共通するものを感じる。

 ちなみに上記の引用は、この本の冒頭に「添削されるについての私の希望」として文子が記したものだが、まさに「文章教室」というか、どんな文章を書くときでも忘れてはいけない心掛けのように思った。ここからも冷静さと客観性が伺える。 

その男は小林といった。小林は沖人夫であったが稀に見る怠け者であった。

 彼は恐るべきまた驚くべき色魔なのだ。一切の穢獨を断じて聖浄の楽土に住む得道出家の身にてありながら、徒にただ肉を追う餓鬼畜生の類なのだ。

  こんな描写など思わず笑ってしまう。小林というのは、父に捨てられた母がくっついた男のひとりであり、「彼」というのは、父が文子の結婚相手にあてがおうとした叔父である。
 ひとりでは生きていけなかった母は、ろくでもない男たちのもとを渡り歩くことで、かろうじて生き延びる。そして、文子もそんな人生を歩まされようとしていた。

 けれども、いろんな仕事を転々としながら必死で勉強していくうちに、文子はこう考えるようになる。

 私はあまりに多く他人の奴隷となりすぎてきた。余りにも多く男のおもちゃにされてきた。私は私自身を生きていなかった。

私は私自身の仕事をしなければならぬ。そうだ、私自身の仕事をだ。 

 そんな思いが最高潮に達したときに、あらわれたのが朴烈だった。この手記はそこで終わっていて、朴烈と出会ってからの経緯はほとんど述べられていない。
 しかし、出会ったばかりの朴烈とのやりとりは短いながらもどれも印象的で、とくに魅かれたのはこの台詞。 

「ねえ、ふみ子さん、ブルジュア連は結婚をすると新婚旅行というのをやるそうですね。で、僕らも一つ、同棲記念に秘密出版でもしようじゃありませんか」

 同棲記念が新婚旅行でも指輪でも宝石でもなく、秘密出版っていうのが最高にファンキーだ。それがのちの機関紙『太い鮮人』になる。この題はもともと「不逞鮮人」のつもりであったが、「不逞」なら取り締まりの対象となり発禁処分を受けかねないので、「太い」に変えたらしい。 

 「不逞」に「私自身の仕事」をするというと、最近読んだ『三つ編み』も思い浮かぶ。 

三つ編み

三つ編み

 

 スミタがしていることを表現する言葉はない。一日中、他人の糞便を素手で拾い集める。

  この『三つ編み』は、世界のまったく異なる場所に暮らす三人の女が、まったく異なる困難に直面する物語である。

 インドに住むスミタは、ダリット(不可触民)であり、他人の糞便を素手で拾い、ネズミ捕りの夫が狩った野生のネズミを食べて暮らしている。しかし、娘のラリータにはこんな人生を送らせたくはない。何としてでもここから脱出してほしい。学校に行って何になる? と言う夫を説き伏せて、ラリータを学校に行かせることにした。けれども、夢にまで見た学校に裏切られ……

 カナダに住むサラは、高名な法律事務所で女性初のアソシエイト弁護士として働いている。二度の離婚を経て、シングルマザーとして働いているが、絶対に「家庭」や「子供」を理由に仕事を休んだりはしない。自分は「成功した女」なのだから。けれども、身体に異変が生じ……

 イタリアに住むジュリアは、父が経営する毛髪の加工工場で働いている。平穏な日々を送っていたが、ターバンを巻き褐色の肌を持つ男に魅かれはじめ、母にも姉にも言えない秘密を抱えるようになる。そしてある日、病床についている父の作業机から、一家を襲いかかる容赦ない現実に気付く……

 「キム・ジヨン」と同じように、ある社会のある階層に生きる三人の女の姿が、寓話のように典型として描かれている。それぞれまったく別のストーリーなのだけれど、最後で髪によってきれいにつながる構成に感心させられる。

 しかし、希望とともに美しくまとまるラストに感服しつつも、現実はこう上手くいくのかな?とも、一瞬ちらっと思ったのだが、考えたら、主人公たちに劇的なハッピーエンドが用意されているわけではない。ただ、三人の心に希望の光が灯されるだけだ。現実がすぐに変わることはなくても、それがあるかないかで大きく変わってくるのだろう。 

何度でも倒れ、また立ちあがる女たち、

うちのめされても、屈しない女たち

 「不逞」という言葉を和英辞典で調べると、insubordination, rebelliousness, recalcitrant……といった単語が出てくる。従属せず(insubordination)、反抗的で(rebelliousness)、手に負えない者たち(recalcitrant)。

 スミタもサラもジュリアも、それぞれの社会が押しつけてくる因習や古い価値観に従っていたならば、明るい未来を持ち得なかった。現状と戦わなければ、自分の人生、つまり「私自身の仕事」をまっとうすることができないのだ。
 髙崎順子さんの解説を読むと、この格闘の物語がフランスで書かれ、ベストセラーになった意義と必然性についてよく理解できる。 

この国では抑圧は打ち破るものであり、権利は勝ち取るもの。それはいまも市民の意識に強く刻まれている。

  そこから、「この本を、日本の読者はどう読むだろう?」「もし『三つ編み』の一編が、日本を舞台に書かれていたら……」と続けている。

 というのも、2018年の「グローバルジェンダーギャップ指数レポート」があらわす「男性と比較した際の、社会における不自由度」は、フランス12位、カナダ16位、イタリア70位、インド108位で、そして日本はなんと110位。スミタの住むインドより下という衝撃の結果になっている。

 もちろん、これは「男性と比較した際の」という男女格差を測ったものであり、社会全体の人権意識の低さなどは示されていない。しかしそれにしても……

 『三つ編み』で提示される希望と感動は、日本と地理的にも心理的にも遠く隔たった国だから生まれたものだろうか? 日本は金子文子が自殺したころから変化したのだろうか? と、どうしても考えてしまった。 

 

「私自身」であるために戦った女たち 『女たちのテロル』(ブレイディみかこ 著)

「僕はつまらんものです。僕はただ、死にきれずに生きているようなものです」
朴は岩のようにひんやりした、しかし厚みのある声で言った。
私たちは同類だと文子は思った。
死にきれなかった犬が二匹。我ら、犬ころズ。相手に不足はない。
こうして二人のアナキストの、短い、命をかけた闘争の道行きがはじまったのである。

 いまからおよそ百年前の二十世紀初頭に、日本、イギリス、アイルランドで命をかけて闘った三人の女たちがいた。
 ブレイディみかこ『女たちのテロル』は、日本のアナキスト金子文子、イギリスのサフラジェット(女性参政権運動家)エミリー・デイヴィソン、イギリスの圧政下にあったアイルランドの独立を求めて闘った凄腕スナイパー、マーガレット・スキニダーの生涯を辿った本である。 

女たちのテロル

女たちのテロル

 

  金子文子は著書『何が私をかうさせたか』や、話題になった映画『金子文子と朴烈』で、ご存じの方も多いのではないだろうか。
 しかし、あらためて生い立ちを読むと、想像していた以上に苦難の連続である。無戸籍児であり、しかも両親にもすぐに見捨てられ、預けられた朝鮮の祖母の家ではさんざんに虐待され……まさにリアル “おしん”と言うべきか。当時としてはさほど珍しい境遇ではなかったのかもしれないが、13歳の時点で真剣に自殺を考えたほどつらかったようだ。

 しかし、金子文子は苛酷な運命にただ翻弄されるだけの女ではなかった。
 何度も身売りされそうになったり、性暴力とも言える目に遭いつつも、居場所や仕事、さらに男たちのもとを転々としてたくましく生きのび、新聞売りをしながら学校に通い、社会主義者たちと親交を深めるようになる。

 そうして朴烈と出会うのだが、文子は男から求愛されるのをぼんやり待っている女ではない。
 「私は犬ころである」という朴烈の詩に衝撃を受けた文子は、すぐに知り合いのつてを頼って朴烈を紹介してもらう。仕事も家も無い朴烈は貧乏くさい身なりをしていたが、「ふてぶてしい風格」があった。この男だという確信を得た文子は、朴烈に同志としてでも交際したい、一緒に仕事をしたいと単刀直入に申し出る。

 一方、朴烈も素性のよくわからない女の申し出をあっさりと受けいれる。文子のように、これが運命の相手だという直感を得たのだろうか? よくわからない。

 そう、金子文子のパートで一番印象に残ったのは、朴烈の不気味なまでのわからなさというか、茫洋としたつかみどころのなさである。
 日本の占領下にあった朝鮮で生まれ育ち、3・1運動に刺激され、朝鮮の独立を目指す民族運動に加担するが、内部の揉め事や軋轢によって運動自体に幻滅して日本に渡り、虚無主義に共鳴してアナキストとなり、日本の権力階級を敵とみなすようになる……もちろんこの経歴に嘘偽りはないのだろうが、何と言うか、漠然としながらもすごくわかりやすいところが気になった。

 文子とともに暮らしはじめた朴烈は、日本の権力階級をぶっ飛ばすため爆弾を入手しようとするのだが、失敗の連続となる。本気でぶっ飛ばすつもりあったんかな?とも思ってしまう。
 そもそもぶっ飛ばす理屈も、虚無主義者である自分たちは「宇宙の存在を否定するので、その存在を滅亡させることが慈悲」ということらしいが、それもなんだか空論というか、やはりイメージ先行のような印象を受ける。
 で、結局捕まるのだが、そんな調子なので具体的な証拠も計画もまったく無く、捕まえた方も困惑したようだが、本人たちが爆破計画を語るのでそのまま獄中送りとなる。

 捕まってからのふたりの進路も対照的だ。
 ふたりとも死刑判決を受けたのちに恩赦を与えられて、無期懲役減刑されるが、文子は恩赦をよしとせず自殺する。朴烈も恩赦に抗議したが、終戦まで生き延びる。

 ウィキペディアでは、捕まってからの朴烈について「相次ぐ転向」と書かれている。獄中で「日本のために生きる」と転向し、戦争のプロパガンダに利用されたようだ。終戦後に出獄してからは反共主義になり、宗主国であった日本と戦ったという功績もあって在日朝鮮人の長として担がれたようだ。
 それから韓国に渡り、朝鮮戦争で北に拉致されて、今度は共産主義に転向した。そこでも抗日のヒーローとして北朝鮮政府である程度重用されたが、最後は粛清されたらしい。
――「思想に殉じた」女と、とことんまで生き延びた男。 

能動的な死は、必ずしも自殺――自分を殺すこと――ではない。
ダービーで競走馬の前に歩み出たエミリー・デイヴィソンの死ほど、「いったいどんな死だったのか」ということが議論され続けてきた死も珍しい。

  1913年6月4日、エミリー・デイヴィソンはダービーのレースに飛びこみ、国王ジョージ五世の愛馬アンマーに蹴り倒され、その4日後に死亡した。(『世界史大図鑑』にも詳しく書かれています)

世界史大図鑑

世界史大図鑑

 

 女性参政権運動への注目を集めるための行動であったことはまちがいないが、殉死しようとしていたのか、あるいはダービーを妨害するだけのつもりだったのかは、はっきりとはわからない。

 私が以前に読んだ本では、エミリーが電車の往復チケットを買っていたことが、死ぬつもりはなかった証として挙げられていたが、この『女たちのテロル』によると、その日は往復チケットしか売っていなかった(買えなかった)と書かれている。
 考えたら、自殺しようと心に決めていたら、「えっ!? 往復チケットしか売ってへんの? どうせ死ぬから片道でいいのに、往復買ったらめっちゃ損やん」とは、いちいち思わない気がする。
 殉死が最終的な目的だったのかどうかはわからないが、この本でも書かれているように、馬が走り回っている中に身を投じるのだから、どう考えても無事でいられるとは思っていなかったはずだ。

 エミリーが死ぬと、女性参政権運動の主導者であるパンクハースト親子が、あまりに過激なエミリーを見放しつつあったことをすっかり忘れたかのように、エミリーを殉教者として祭りあげる。
 そう、死んだら好きなように意味付けされてしまうのだ。

 金子文子も、朴烈との愛に殉じた女と書かれるときもあれば、朝鮮の独立のために命を擲ったと祭りあげられるときもある。
 しかし、金子文子自身が、「私自身の仕事をする」と再三書いているように、金子文子もエミリー・デイヴィソンも、思想や運動のために命を擲ったというより、まして男との愛や政治目的のために殉じたわけではないのは言うまでもなく、ただ「私自身の仕事をする」ため、あるいは「私自身」であろうとしたら、死を選ばざるを得ない状況に陥ったのではないかと考える。

 それでもやはり、死んでしまったのは惜しい。
 先に、朴烈は戦中も戦後も生き延びたと書いたが、そこに批判的な意味合いは込めていない。というのは、転向してでも何をしてでも、やはり生き抜いた者の勝ちではないかと思うからだ。金子文子やエミリー・デイヴィソンが「私自身」であるためには、死を選ぶしかない世の中だったのが悲しい。

 エミリー・デイヴィソンの項では、強制摂食の恐ろしさもあらためて感じた。
 強制摂食というのは、刑務所内でハンガーストライキを行うサフラジェットたちに無理やりに食事を詰めこむ(のどや鼻に管を通すなどして)ものだが、サフラジェットにまつわるあらゆる資料や本において、強制摂食が耐えがたいほどの苦しみであったことが書かれている。この『女たちのテロル』ではレイプに等しいものとされていて、彼女たちの味わった苦痛や屈辱がよく理解できた。

 しかし、それでも当時のイギリス政府は、ハンストをする受刑者に対しては強制摂食を行ったり、あるいは一時的に釈放するなどして、とにかく死なせてはいけないとは思っていたのだ。人道的というより、殉教者にしてはいけないという理由ではあったが、命を奪うことの重大さはわかっていたのだろう。
 そう考えると、ハンストをする受刑者をそのまま殺してしまういまの日本っていったい……と考えると、なんだか寒気を感じたりもしますが。

 アイルランド独立のために戦ったマーガレット・スキニダーまで行きつかなかったが、マーガレットの指南役としてイースター蜂起で活躍した ”マダム”こと、イギリス初の女性議員となったコンスタンツ・マルキエビッチ伯爵夫人の生涯に興味をひかれた。
 自らリボルバーを持ち、戦争の前線で戦う伯爵夫人とはそうそういない。日本で言うと……巴御前とか?(古すぎ) ちなみに、伯爵夫人の妹は、女性参政権運動家として活躍したエヴァ・ゴア=ブースである。

しょうがない、いつだって末端は哀れな被害者なんだから、ではいつまでたっても隷属は終わらない。忖度は犯罪ではないが隷属制度の強化に与している。

求められてもするな。期待をかけられたらあっさり裏切れ。隷属の鎖を真に断ち切ることができるのは主人ではない。当の奴隷だけだ。

  百年前の女たちが、「私自身」であるためには、ときには死をも恐れず戦わなければならなかったのが、よく伝わってきた。いや、ほんとうは「百年前の女たち」にかぎらず、現代の私たちにもあてはまるのかもしれないけれど……