快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

「中立・客観的」って可能なのか?『情報生産者になる』(上野千鶴子)から『大学教授のように小説を読む方法』『パームサンデー』まで

すべての問いはわたし自身の問いであり、わたしの問いはあなたの問いではないからです。そして人間には、他人の問いを解くことはついにはできないからです。

  なんとなく上野千鶴子の『情報生産者になる』を手に取り――なんとなく、というのは、私は研究者でもなく、社会学を専攻したわけでもないので、情報生産者って何やろ? くらいの感じで読みはじめたのだけど、「自分の問いを立てる」というテーマのこの本を読んでいると、大学時代の卒論を思い出し、そしてまた、いま現在の読書についてもあれこれ考えてしまった。 

情報生産者になる (ちくま新書)

情報生産者になる (ちくま新書)

 

  上野さんが学生につねに言っているのは、「答えの出る問いを立てる」「手に負える問いを立てる」「データアクセスのある対象を選ぶ」ことらしい。

 例として、「霊魂は存在するのか?」は証明しようがないし、「トランプ大統領以後のアメリカはどうなるか?」は、すでに多くのプロが詳細な分析を行っているので、学生が研究する意味はない。
 「地球温暖化のゆくえ」は大きすぎて手に負えないが、「日本のメディアにおいて地球温暖化はどう語られてきたか」なら、ある程度調べきることができる。 “focus”、あるいは ”narrow down” が必要なのだ。

 大学時代、私は国文学専攻だったけれど、たしかに、「『こころ』の先生はどうして自殺したのか?」とか「光源氏はどうして女を渡り歩いたのか?」なんてテーマにしてしまうと、先行研究を調べるだけで死亡することは目に見えていたな…と思い出す。

 この本を読むかぎりでは、社会学は最近の事例を調べた方がいいようだが(データアクセスがたやすいので)、私のいた文学部のゼミでは、評価の定まっていない生きている作家はやめた方がいいと言われていた。
 なので、島田雅彦に心酔していた(当時は颯爽としたイケメン作家だったのだ…いや、いまでもイケオジなのかもしれんけど)男子は、三島由紀夫をテーマにしていた。そういえば、小林秀雄のファンの男子もいたが、中原中也と女を取り合ったことくらいしか知らない私は、どこがそんなに偉大なのか当時よくわからなかったが、いまでもよくわからない。

 で、そんなことを言っていると、おまえは何やってんと思われそうだが、私は内田百閒の「件」(ひとことで言うと、人面牛の話です)や「山高帽子」を卒論のテーマにして、坂部恵の『仮面の解釈学』などを参考にしようとしたのだが、いまとなっては何を書いたのか、さっぱり覚えていない……まさに「手に負える問いを立てる」の反面教師でした。 

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)

 

  『情報生産者になる』に戻ると、「問い」について、一番印象に残ったのは「当事者性」と「中立・客観性」の問題だ。上野千鶴子はこう書く。 

わたしが女であることは、子どものころからわたしをつかんで離さない謎でしたから、わたしはそれを問いにすることにしました。

  そして「ほんとうに解きたい問いでない限り、研究には本気になれない」と続ける。問いには、問いかけるべき相手がいるのだ。

 しかし、「当事者」であれば、学問の中立性や客観性を保てないのではないか? という疑問の声もある。それについて、上野千鶴子は「中立・客観性の神話」と述べている。「神話」というのは「根拠のない信念集合」だと。そもそも、「問いというのは、つねに主観的なもの」なのだと。

 「神話」とは、見事な言い方だなと納得した。というのは、「中立・客観的」とはいったい何なのか? 完全に「中立・客観的」に考えたり、本を読んだりすることは可能なのか? と疑問を感じることが多いからだ。

 読書においても、基本的には書かれたものだけを「中立・客観的」に読むことが正しいのだろう。先に書いた大学の卒論のときも、”テクスト” がすべてだと教わった。言うまでもなく、作者のプライベートや人柄などを考慮するのは、まちがっているのだろう。

 けれども、少し前に『大学教授のように小説を読む方法』を読んだところ、エズラ・パウンドの作品とどう向きあうべきかと書かれていて、思わず考えこんでしまった。 

大学教授のように小説を読む方法[増補新版]

大学教授のように小説を読む方法[増補新版]

 

 エズラ・パウンド文学史的な説明をすると、T・S・エリオットとともにイマジズムなどのモダニズム運動を率いて、詩を革新した偉大な詩人である。そしてまた、ファシズム反ユダヤ主義の熱狂的な支持者であったことも知られている。

『大学教授のように小説を読む方法』で、作者はこう書いている。 

私は今でもパウンドを読み、何か得るものがあるというユダヤ人読者を知っている。パウンドと聞いただけで拒否する人たちも知っている。パウンドを読みつつ罵倒する人もいる。それはユダヤ人とは限らない。私自身は今でもときどきパウンドを読む。そこには驚くほど美しく、脳裏に焼きついて離れない、力強い語句が散りばめられている。それでも問いかけずにはいられない。これほどの才能に恵まれた人間が、なぜこれほど視野が狭く、独りよがりで、偏見に凝り固まっていたのだろうと。答えは見つからない。

  作者の主義や信条を棚上げして、書かれたテクストのみを、「中立・客観的」に読むことができるのだろうか? やはり思想信条が相容れなければ、文章も読むことができないような気もする…と言いつつ、一方で、いわゆる「いいひと」や高潔な人格者が必ずしもおもしろいテクストを書くとは限らないという事実も承知している。

 パウンドと同じく反ユダヤ主義を支持し、第二次世界大戦後は亡命生活を送ったセリーヌについて、カート・ヴォネガットはエッセイ集『パームサンデー ――自伝的コラージュ』に収録されている「多少の非難は覚悟して、ナチの一同調者を弁護する」という章でこう書いている。 

セリーヌは、文学と医療における長年に及ぶ、欲得を超えた、そしてしばしば輝かしい奉仕のあと、猛烈な反ユダヤ主義者およびナチ同調者としての正体を暴露した。1930年代後半のことである。それに対する納得のいく説明を、わたしはまだだれからも聞いたことがない。 

わたしはセリーヌについて書くたびに、頭の割れるような痛みを感じる。いまもそうだ。ほかにはたった一度だって頭痛を感じたことなどないのに。 

その作品(『スローターハウス5』)のなかで、わたしは登場人物のだれかが死ぬたびに「そういうものだ」と言う必要を感じた。これは多くの批評家たちを激怒させたし、わたし自身にも奇妙で退屈な言い草のように思われた。けれども、どういうわけか、そう言わずにはいられなかったのだ。

それは、セリーヌがあらゆる作品において、それよりもはるかに自然な言い方で暗示することのできた理念を、不細工に表現したものである。

  ヴォネガットの言葉を借りると、「のろわしいことを考えた」「決して許すことのできない人物」が、すばらしい作品を生み出すこともある。そんな場合、私たちはどうテクストを読むべきなのかと考えたりする。

 「当事者」であるかどうかも関係するのかもしれないが、『大学教授のように小説を読む方法』で書かれているように、エズラ・パウンドに感銘を受けるユダヤ人が存在する一方、パウンドと聞いただけで拒否したり、罵倒するのはユダヤ人に限らないのだから、「当事者」だから許せないといった単純な話でもない。

 おそらく、永遠に答えが出ることはないのだろう。卒論なら「答えの出る問い」を自分で設定すればいいが、生きていると答えの出ないことだらけだ。  

わたしがこれを書いているいま(1974年の秋だが)、精神的制動装置が完全に作動している一般庶民のあいだでさえ、人生はまさしくセリーヌがかつて言ったとおり、危険で不寛容で、反理性的だという事実が明らかになっている。

  ヴォネガットが書いた1974年から、そしてセリーヌが執筆した1930年代からはいっそう長い時間が経ったいま、世の中はどんどん「危険で不寛容で、反理性的」になっているような気がする。どうしてそういう鋭敏な感覚のあったセリーヌが、「のろわしいことを考えた」りしたのか(逆の問いを立ててもいいが)なんて考えると、人間とは不可思議なものだなと、あらためて強く思ったりする。

私たちはみな、ポムゼルではないのか?『ゲッベルスと私――ナチ宣伝相秘書の告白』(ブルンヒルデ・ポムゼル, トーレ・D.ハンゼン, 石田勇治監修, 森内薫,赤坂桃子訳)

ブルンヒルデ・ポムゼルは政治に興味はなかった。彼女にとって重要なのは仕事であり、物質的な安定であり、上司への義務を果たすことであり、何かに所属することだった。彼女は自身のキャリアの変遷について非常に鮮明に、詳細に語った。だが、ナチ体制の犯罪に話が及ぶと、彼女は自身の個人としての責任をいっさい否定した。

    少し前に映画も話題になったこの『ゲッベルスと私――ナチ宣伝相秘書の告白』は、ナチスドイツの宣伝省でヨーゼフ・ゲッベルスタイピスト兼秘書をつとめた、ブルンヒルデ・ポムゼルのインタビューから構成されている。

 ヒトラーゲッベルスが自殺してナチスドイツが崩壊し、第二次大戦が終結してから七十年近く沈黙を守っていた彼女が、百歳を過ぎてようやくインタビューに応じたのである。 

ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白

ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白

 

 しかし、そこに新鮮なおどろきや、誰も知らなかった事実、ナチスドイツの真実の姿はない。ただ、とりたてて政治に興味のないごくふつうの若い女性が、生活のため懸命に仕事をしていたら、その仕事ぶりを買われて当時最高峰の職場――ナチスドイツによる国営放送局――を紹介され、出世の階段をのぼっていったというだけだ。 

1933年より前は、誰もとりたててユダヤ人について考えていなかった。あれは、ナチスがあとで発明したようなものだった。ナチズムを通じて私たちは初めて、あの人たちは私たちとちがうのだと認識した。何もかも、彼らによってのちに計画されたユダヤ人殲滅計画の一部だった。私たちは、ユダヤ人に敵意などもっていなかった。(ポムゼルの語り)

  「誰も」ユダヤ人について考えていなかったのかはわからないが、実際ポムゼルには仲のいいユダヤ人の友達エヴァもいた。なんと仕事のためにナチスへの入党手続きに行った際にも、エヴァに付き添ってもらっている。ナチスの宣伝省で働き出してからも、エヴァの家に遊びに行っていた。
 
 ポムゼルは国営放送局で働く前には、午前中はユダヤ人のゴルトベルク博士のところで働き、午後はナチのヴルフ・ブライのところで働くという生活を送っていたこともあり、ユダヤ人の恋人との別れも経験している。

 では、なぜナチスドイツに最後まで忠実だったのか? 

 ポムゼルは何も知らなかったと強調する。強制収容所が作られはじめたのは知っていたが、犯罪者が矯正のために送られるのであろうとぼんやり考えていた。ナチがユダヤ人の商店を襲撃したときは衝撃を受けたが、事態が落ち着くと、日常生活に戻った。
 そして、宣伝省での情報は、ゲッベルスとその側近によって厳重に管理されていて、その内容を深く知ることはできなかった。知ろうとも思わなかった、と。

 このなかで一番印象的だったエピソードは、戦争の末期、ナチスドイツが破滅する直前の出来事だ。1945年4月、ベルリンの上空には爆撃機が飛び交うようになり、ソ連軍の侵攻が刻一刻と近づいていた。

 ゲッベルス邸で仕事をしていたポムゼルのもとに、ゲッベルスの側近のひとり、コラッツ博士がやって来る。コラッツ博士は状況がこれ以上悪化する前に、ポツダムにいる妻子に別れを告げると話す。そして、ポムゼルの両親もポツダムにいることを知っていたので、一緒に家まで連れていくと申し出る。ポムゼルも両親の顔を見たいので有難く誘いに乗り、コラッツ博士はまた夜に迎えに来ると約束して去る。

 ところが、コラッツ博士は迎えに来なかった。約束の7時を過ぎ、8時になっても9時になっても。翌朝になっても。ポムゼルはパニックに陥る。 

私にはなすべき仕事があった。そして私は職場のチームの一員だった。だから戻らなくてはならなかった。ぜったいに、帰らなくてはならなかった。 

 ナチスドイツの崩壊の直前に、宣伝省でいったい何の仕事をしないといけないのか? 

 傍から見るとそう思う。本人もあとから振り返るとそう思ったことだろう。おそらく、割り当てられたタイプ打ちが残っているとか、会議資料を作成しないといけないといった程度だろう。数日後にはベルリンが爆撃され、なにもかもが無くなってしまうというのに。

 けれども、ポムゼムは「ほんとうに帰らなくてはいけない?」と聞く母親をふりきって、奇跡的にまだ運行していた電車に乗って、ベルリンに戻る。仕事があるから。

 なんとか宣伝省に戻ったものの、空襲が激しくなったためタイプどころではなくなり、宣伝省の防空壕に入る。そこで最後の最後まで、ドイツ軍(といっても、即席で年少者をかき集めたヴェンク軍しか残っていなかった)が迫りつつあるソ連軍を打ち負かすことを、「愚かにも」期待しつつ終戦を迎えるのであった。

 結局ポムゼムは防空壕ソ連兵に捕えられ、ソ連の収容所に5年抑留させられる。あのときベルリンに戻らなければ、民間人として無事に終戦後の日々を暮らすことができただろうに。

 とはいえ、あんな状況でも「仕事に戻らないと」と必死になるポムゼルを、他人事だと思えるだろうか? アホやなって笑えるだろうか? 私は笑えない。

 ちょうど先日、関東で台風が直撃した直後、すぐさま会社に向かう人たちによってパニックが発生していたが、その気持ちは理解できる。去年、大阪北部地震のときも、超大型台風に襲われたときも、まっさきに頭に浮かんだのが、きょうは会社に行かなくていいのか? ということだった。

 ふだんも通勤時間に電車が遅れたら、「延着証明もらわないと遅刻になる!」と、あわてて駅員のもとに向かってしまう。うっかり忘れてしまい、一駅戻ってもらったこともあった。(うちの職場はwebのものはNGで、配られる紙をもらわないと認められない)

 わかっている、こういう精神が一切の思考停止を生み、会社や上司への無条件服従につながるのだろうということは。ポムゼムの場合は、その「会社や上司」が、たまたまナチスドイツであったのだろう。

 ポムゼムはナチスの思想に共感していたわけでもなく、宣伝省の仕事については、単調でおもしろくなく、やりがいが感じられる職場ではなかったと語っている。
 けれども、それを失いたくなかった。そこでの自分の評価を落としたくなかった。
 もちろん、生活の安定といった物質面も大きかっただろうが、それだけではないように思える。ナチスドイツという「エリート」から落ちこぼれたくないという心情、帰属や承認の欲求、居場所の問題……誰でも身に覚えのある感情だ。
 

 このドキュメンタリーを見た編集者は、「私たちはみな、多かれ少なかれポムゼルではないのか?」と問いかける。 

そして何百万人ものポムゼムの――自分の出世と物質的保証ばかりをいつも考え、社会の不公正や他者の差別を受け入れてしまう人間の――存在は、人々を巧みに操る権威主義体制の強固な土台にほかならない。だからこそそうした人々は、過激な党に投票する急進的で強硬路線の有権者よりよほど危険なのだ。

  いったいどうしたら、自分の中のポムゼムを克服することができるのか? どうすれば世間の潮流や価値観に抗い、自分の生活が危険にさらされようても、内なるモラルを大事にすることができるのだろうか? 尋常ではない勇敢さが必要なのだろうか? 
 でも誰もがみな、人並み以上の勇気を持つことなんてできない。(そもそも、誰もが「人並み以上」になることは、語義としてもあり得ないが)

 簡単に答えは出ないけれど、まずはひとりひとりが自分のことを大切にすることが重要なのかもしれない。自分より他人を大切にすべきだって? いや、それはそうかもしれないけれど、自分のことも大切にできないひとが、他人のことを思いやるなんてそうそうできない。

 自分のことを大切にできないから、自分の軸が消え、他人からよい評価を得ることがなによりも大切な生きがいとなる。すると、自分の評判を守るためなら、まわりでどれほど理不尽な事態やあからさまな差別が横行していても、見て見ぬふりをする……となるような気がする。
 自尊心というのは、単なるプライドの問題ではなく、自分やまわりの他人を守るために欠かせないものなのだとつくづく思った。

 あの日迎えに来なかったコラッツ博士は、ナチス幹部の例にもれず、ポムゼムと別れて家に戻ったあと、妻と娘を銃で撃ち、自らも命を絶っていた。自分の命を粗末にするものは、他人の命も粗末にする。

 ユダヤ人の友達エヴァは、ある日突然姿を消した。おそらく強制収容所に送られたのだろうとのことだった。強制収容所がどんなところか知らなかった(と語る)ポムゼムは、危険なベルリンにいるより安全なのかもしれないと考える。エヴァは1945年にアウシュヴィッツで殺された。

 ナチスドイツのような悪夢と狂気は二度とくり返されるはずがない……と言いたいが、そう言い切れない雰囲気が世界中に、そして日本にも漂っている。自分は加害者に加担することが絶対ないと言い切れるのか、常に心に留めておかなければならないと思った。

ナチス政権内部の少年たちを描いた、ジョン・ボイン『縞模様のパジャマの少年』(千葉茂樹 訳)『ヒトラーと暮らした少年』(原田勝 訳)

花の咲きほこる庭や銘板のついたベンチから五、六メートルほど先で、すべてががらりと変わってしまう。そこには巨大な金網のフェンスがあった。家と平行に張りめぐらされたフェンスのてっぺんはむこう側にむかって折れていて、目の届くかぎり左右へつづいている。家の屋根よりも高いほどのフェンスで、電信柱のように太くて高い木の柱が点々とあってささえている。フェンスのてっぺんには、ごちゃごちゃとからまりあった有刺鉄線が山のように積まれていて、グレーテルは見ているだけで体中に鋭いとげがささるような痛みを感じた。

  ジョン・ボインの『縞模様のパジャマの少年』と『ヒトラーと暮らした少年』を読みました。
 先に読んだのは『ヒトラーと暮らした少年』ですが、第二次世界大戦下のナチス政権を描いた連作なので(話の内容はまったく別ですが)、発表順にあわせて『縞模様のパジャマの少年』から感想を書いていきます。 

縞模様のパジャマの少年

縞模様のパジャマの少年

 

  第二次世界大戦中、ベルリンの豪邸で暮らしていたブルーノは、一家が見知らぬ土地へ引っ越すことになったと唐突に告げられる。なんでも、偉い軍人であるお父さんの仕事場が変わったためらしい。新しい家は辺鄙な森のなかにあり、周囲には何もない。ブルーノは学校に通うこともできず、家庭教師と勉強することになったので、同年代の友達もまったくできない。

 でも窓の外をよく見ると、森の向こうにフェンスが立っていて、フェンスの奥に小屋のようなものが並んでいるのが見える。もしかして、あれがお父さんの仕事場なのだろうか? 

 こっそりとフェンスのそばまで探検すると、丸刈りに縞模様のパジャマ姿の同じ歳くらいの男の子に出会った。引っ越してきて、はじめてのお友達だ! ブルーノは喜んで、その男の子と仲良くなろうとするが、どうも様子がおかしい……

 そう、この小屋というのが強制収容所であり、お父さんはおそらく収容所の所長クラスの職についているのだと想像できる。家には「ソートーさま」と「エバ」が訪ねてくるくらいなのだから、かなりの高い地位であるようだ。

 しかし、ブルーノはお父さんの仕事についてはもちろん、収容所についても何も知らず、新しい「友達」シュムエルが見たこともないくらいやせ細り、悲しげであっても深く考えたりはしない。
 9歳だから当然なのかもしれないと思いつつ、それでももうちょっと世事に通じていたり、カンのいい子はいるのではないかという気もするが、裕福な家のお坊ちゃまとして育てられてきたブルーノは無邪気で優しい心の持ち主ではあるが、おそろしいほど無知で鈍感だ。

 もちろん、人並みの敏感さを持ち合わせていたら、いくら子どもであっても、収容所には近づいてはいけないと察しがつくだろうから、中盤くらいまでイライラさせられたブルーノの無知と鈍感さが、この物語を成立させるのに必要な要素となっている。しかも、このブルーノの無邪気さが、最後の悲劇をいっそう引き立てている。

 この悲劇は、「友情」の帰結なのか、それとも「因果応報」、親の因果が子に報い…というと古すぎだが、と読み取るべきなのか、判断に困った。いや、どちらかが正解というわけではないとわかっているのだけれど。
 ブルーノがシュムエルを思う気持ちは純粋な友情だったと言ってもいいが、シュムエルの方はどう思っていたのか、大体あれほどの無理解のもとで友情が成り立つのか?など考えてしまった。

 そして、この姉妹編とも言える『ヒトラーと暮らした少年』。こちらの主人公ピエロは、ブルーノとはまったく異なる境遇にいる。 

ヒトラーと暮らした少年

ヒトラーと暮らした少年

 

  ドイツ人の父親とフランス人の母親のもとに生まれ、パリで暮らすピエロだったが、父親は第一次世界大戦に従軍したトラウマのせいでアルコール依存症となり、まともに働くこともできず、酒を飲んでは母親に暴力をふるっていた。結局、父親はピエロが四歳のときに家を出て、そのまま列車に轢かれて死んでしまう。 

ピエロは四歳から七歳までの三年間、毎日、二階でママンが客に給仕をしているあいだ、その部屋にすわって午後を過ごした。そして、口には出さないものの、毎日父親のことを思いだしていた。目の前にパパがいて、朝、制服に着がえ、一日の終わりにチップを数える姿を……

  そうして、ピエロと母親のふたり暮らしがはじまるが、ちょうどアパートの下の階に住むユダヤ人のアンシェルも父親を亡くしていたため、まるで兄弟のようにずっと一緒に過ごすようになる。
 アンシェルは生まれつき耳が聞こえないので、ふたりは手話で会話をしながらボール遊びや読書に興じ、ときにはアンシェルが作った物語で遊ぶこともあった。アンシェルは作家になるのが夢だったのだ。

 ところが、ピエロが七歳のときに母親が結核にかかり、あっという間に命を落とす。身寄りのなくなったピエロは、アンシェルともはなればなれになって孤児院に送られ、父親の妹のベアトリクスおばさんに引き取られることになる。

 ピエロはベアトリクスおばさんが家政婦をしている山荘で暮らしはじめる。ある日、ふだんは留守にしている山荘の主がやって来たので、ピエロはおばさんに言われたとおり、力強く、はっきりと挨拶する。「ハイル・ヒトラー!」と……

 本格的に物語が展開するのはここからだが、ピエロの人格が形成される背景が描かれた序章が、この小説の要だと思う。
 このあと、ピエロはヒトラーの信奉者となっていくのだが、その心理の裏には、父親への憧憬、自分を庇護してくれる強い者を求める気持ちがあったことが、この悲しい生い立ちから理解できる。

 先にも書いたように、『縞模様のパジャマの少年』とはまったく別の物語だけど、あとから読み返して気づいたが、『縞模様のパジャマの少年』に出てくる登場人物がちらほらと顔を出している。

 どちらの作品も、ナチス政権下において、正反対の立場にある者同士のあいだで生まれる「友情」がテーマとなっている。
 しかし、「友情」と言えるものなのかあやふやだった『縞模様のパジャマの少年』とちがい、この『ヒトラーと暮らした少年』は正面から「友情」を取り扱っていて、洞察がより深まっている。
 さらに、登場人物たちの人物像も『ヒトラーと暮らした少年』の方が複雑に描かれているので、『縞模様のパジャマの少年』のような衝撃はないが、最後の場面の感動はいっそう胸に迫る。なので、二冊とも読むのをおすすめします。 

わたしは彼の手の動きを追った。そしてそれは、心に愛情と慎みをもっていた少年が、権力によって堕落していく物語だ、と。死ぬまでかかえていかなければならない罪をおかし、自分を愛してくれた人たちを傷つけ、いつもやさしくしてくれた人たちを死に追いやることに力を貸してしまった少年の物語であり、また、捨ててしまった自分の名前を一生かけてとりもどさなければならない少年の物語なのだ、と。

  ナチス政権やユダヤ人迫害を取り扱った物語は数多くあると思うが、ジョン・ボインのこの二作のように、ナチスの内部に入りこんだ子どもの視点から、つまり加害に加担した子どもという立場から描くというのは異色なのではないだろうか。

 彼らは知識もなく、自分たちの周囲が何をしているのかもよくわからないまま巻きこまれていく。恐ろしいと感じる反面、誰の身にも起こり得る物語だともつくづく思う。『ヒトラーと暮らした少年』の訳者あとがきではこう書かれている。 

ピエロを変えてしまった力は、現代の世界にも、そしてわたしたちの暮らす日本社会にも潜んでいることを忘れてはなりません。この作品は、わたしたち読者に、引き返せるうちに引き返す勇気をもつことを訴えているのではないでしょうか。

  隣国との小競り合いやさまざまな問題が噴出している日本の現状において、この言葉が、まさにほんとうにそのとおりだと思えてなりません。 

 

 

コミュニケーションとディスコミュニケーションの狭間の祝祭 「こちらあみ子」「ピクニック」(今村夏子)

 十五歳で引っ越しをする日まで、あみ子は田中家の長女として育てられた。父と母、それと不良の兄がひとりいた。

小学生だったころ、母は自宅で書道教室を開いていた。もとは母の母が寝起きしていたという縁側に面する八畳ほどの和室に赤いじゅうたんを敷きつめて、その上に横長の机を三台並べただけの、狭くて質素な「教室」だった。

   何が何だかわからないまま一気に読み終え、しばらく唖然としてしまう、『こちらあみ子』はそんな小説だった。 

こちらあみ子 (ちくま文庫)

こちらあみ子 (ちくま文庫)

 

 冒頭では、あみ子はおばあちゃんの家に住んでいる。そこへ近所に住む仲良しの小学生さきちゃんが、竹馬に乗って遊びにやってくる。さきちゃんは、あみ子が中学のときに好きだった男の子に殴られて前歯を無くした話を聞きたがる。
 いったいどういう経緯でおばあちゃんの家にいるのか、なぜ好きだった男の子に殴られたのかと思っていると、上記の引用がはじまり、あみ子のこれまでが語られる。

 あみ子の母が開いていたような書道教室、私も通っていた。同じ公団のちがう棟にある家の一部屋で、同じようにじゅうたんが敷きつめられていて(でないと墨汁が飛ぶからだと、いまならわかる)、トイレを借りたときにほかの部屋がちらりと見えたりした…と思い出したり、そこに通っていた大好きなのり君とのやりとりにどこか懐かしい、郷愁のようなものを感じたりもするが、もう少し読み進めると、そんなノスタルジックな甘い話ではないとすぐに気づかされる。

 あみ子によって母が壊れ、家族が崩壊していくのが読者には手にとるようにわかるが、物語はあくまであみ子の視点から描かれる。
 兄とスキップして帰った道、父がくれたハートマークのチョコレートクッキー、のり君がくれた蒸しパン、もうすぐやってくる赤ちゃんへの期待、おもちゃのトランシーバー……

 途中、”邪悪な子ども” を描いた小説なのかな? とも思い、嫌悪感すら覚えてしまったのだが、あみ子はあくまでも無邪気で悪気はない。

 その点については、以前に紹介した『夜中に犬に起こった奇妙な事件』と共通するものがある。この本の主人公の少年も悪気はないが、その言動で親が非常に苦しめられているのが伝わり、読んでいて非常につらくなる小説だった。
 ただ、この小説は、主人公は自他ともに認める「ひとと上手くつきあえない」病気という設定で、親も(問題はあるものの)学校もサポートしようと試みていて、いわゆる「社会」との接続が感じられた。

 けれども、「こちらあみ子」では、あみ子は病気と設定されているわけではなく(周囲が腫れもの扱いしているのは感じられるが、あみ子の視点から書かれているので、具体的にどう見られているのかはわからない)、しかも舞台は田舎町の家と学校のみという閉ざされた空間で、「外部」との接続はなく、よりいびつさが際立っている。

 なにより不穏なのは、たしかにあみ子はふつうではないのだが、読んでいくうちにあみ子より、父と母の方がおかしいのではないかとも思えてくるところだ。
 母は登場からどことなく不安定な素振りを見せるし、一番まともそうでありながら、家族が崩壊しつつあるのに何もしない父はかなり不気味である。父はあみ子が何を訴えても、妄言だと思っているのか、一切耳を貸そうとしない。

 父とも母とも会話ができず、大好きなのり君にも殴られたあみ子は、壊れたおもちゃのトランシーバーに向かってひとりでしゃべる。 

「応答せよ。応答せよ。こちらあみ子」

誰からもどこからも応答はない。

「応答せよ。応答せよ。こちらあみ子。こちらあみ子。応答せよ」何度呼びかけても応答はない。

  あみ子の声は誰にも届かない、と思ったそのとき、不良の田中先輩こと兄がやって来る。いくらあみ子が訴えても父が無視し続けたことを、「助けてにいちゃん」と言われた兄はたちどころに解決する。

 このシーンは奇妙に感動的で、カタルシスを感じる。いや、感じるというより、事実ここからあみ子の世界が変わったのかもしれない。坊主頭と会話を交わし、あみ子にとってはじめての友達と言える(のり君は恋の相手だったので)さきちゃんがあらわれるのだから。

 読み終えたばかりのときは、圧倒的なディスコミュニケーションを描いた小説のように思われたが、こうやって考えていると、そうとも言えない気がする。
 いや、コミュニケーションかディスコミュニケーションかというと、ディスコミュニケーションが多く描かれているのだけれど、それよりも、コミュニケーションとディスコミュニケーションの狭間のようなものが浮かびあがると言うべきか。

 そして、単行本に収録されている「ピクニック」も、これまた手ごわい小説だった。「こちらあみ子」ほど強烈な違和感を発散しているわけではないが、じわじわと足元が揺るがされるような感じ。

 ルミたちが勤めるレストラン『ローラーガーデン』の新入りとして、七瀬さんが入ってくるところから物語がはじまる。ルミたちはウェイトレスとして、ビキニ姿にローラースケートを履いて働いているのだ。 

女の子ではないけれどルミたちの母親ほどの年齢には達していない。その中間あたりだろうかと思われた。本人に歳いくつ? と訊ねたら「秘密です」と返ってきた。結婚しているの? と訊いたら「まだしてません」、彼氏いるの?「はい、います」、彼氏何歳? 「三十三歳」、彼氏なにやってるひと? 「タレントです」

七瀬さんは有名なお笑いタレントの名前を口にした。

  そう、この正体不明の七瀬さんは、目下売り出し中のお笑いタレント「春げんき」とつきあっていると言うのだ。(ジャニーズのアイドルなどではないのが、うまいですね)七瀬さんが十二歳の頃に偶然出会い、それから十年後、まったくの新人だった彼が出演した深夜ラジオをまた偶然聞いて再会したらしい。

 そしてルミたちはその話を受けとめる。信じているのか信じていないのかは明言されないが、七瀬さんの恋物語は、ルミたちの「ネタ」になる。

 みんなで「げんきくん」(七瀬さんの呼び方)の出る番組を鑑賞する、彼とデートするために田舎から東京に行く七瀬さんを見守る、彼が落とした(とテレビで語った)携帯電話を探す七瀬さんを応援する……「ネタ」というと悪意や嘲りのニュアンスが強く感じられるので、共同幻想と言ってもいいかもしれない。

 ところが、『ローラーガーデン』の輪のなかに十六歳の新人が加わったことで、ルミたちと七瀬さんで作りあげた世界に変化が生じ、さらに決定的な事件が起きる……

 ミランダ・ジュライの『いちばんここに似合う人』に収録されていてもおかしくないこの小説。
 「こちらあみ子」はあみ子の視点から描かれているので、あみ子に困らされている周囲の姿がぼんやりとしか読み取れない点が不穏な要因のひとつであったけれど、「ピクニック」はさらに発展して、七瀬さんを受容する「ルミたち」という複数の視点から描かれ、不穏さが拡散されている。あみ子対周囲の人間だったのが、七瀬さん&ルミたち対新人となり、ふつうじゃない方が多数派となる。 

いちばんここに似合う人 (新潮クレスト・ブックス)

いちばんここに似合う人 (新潮クレスト・ブックス)

 

 そして、この小説の要となっているのは、最初は七瀬さんが作りあげた幻想にルミたちが巻きこまれた形になっているが、そのうちに、ルミたちが七瀬さんを駆りたてるようになっていくことである。

 いったんは「げんきくん」の携帯電話探しを諦めかけた七瀬さんだが、ルミたちに応援されたので、毎日泥だらけになってまで続ける。ルミたちは「げんきくん」の浮気を心配する七瀬さんを励まし、ついには七瀬さん不在で「げんきくん」を見に行くようになり……そうして「ピクニック」がはじまる。

 そう、七瀬さんと「げんきくん」の恋愛は、ルミたちにとって祝祭というかカーニバルだったのかもしれない。ならば、当人たちの身の上がどう変化しようと終わらせることはできない。自分たちだけでカーニバルを続けるのだ。

 彼岸と此岸、なんとか交信しようとするトランシーバー、終わらない祝祭、そんなイメージが浮遊する今村夏子の小説世界だった。

2019/8/10 翻訳者村井理子さん&編集者田中里枝さんトークイベントー『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『サカナ・レッスン』(キャスリーン・フリン著)より

 さて、まさに真夏のピークの8月10日、梅田蔦屋書店で行われた翻訳者村井理子さんと、編集者田中里枝さんのトークイベントに参加しました。

 おふたりがタッグを組んだ最初の本、『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』の著者キャスリーン・フリンが、日本の読者のために書き下ろした『サカナ・レッスン』の発売を記念したイベントで、そのテーマはずばり「翻訳本の未来を考える」というもの。 

ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室

ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室

 

  

サカナ・レッスン 美味しい日本で寿司に死す

サカナ・レッスン 美味しい日本で寿司に死す

 

  この日なにより印象に残ったのは、おふたりが翻訳本をひとりでも多くのひとのもとへ届けたいという、強い信念を持っていることだった。

 いや、信念を持つだけなら誰にでもできるかもしれない。けれども、今回の『サカナ・レッスン』が原書があって翻訳本を作るというスタイルではなく、キャスリーンが書いたものをリアルタイムで翻訳し、それを本にするという例のないパターンの本であるように、実際にさまざまな試みを行っている方たちの言葉なので、説得力があった。(フィクションでは、柴田元幸さんが訳されているバリー・ユアグローが、日本の読者向けに短編を書き下ろすというのはあったように思う)

 もちろん、そんな試みができたのも、前作『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』がヒットしたからであるが、この本のヒットも偶然ではなく、日本の読者に向けた工夫が施されていたからだということがよくわかった。

 そもそも、私はこの本をかなり長いあいだ積読していたのだけど、それはなぜかというと、おもしろそうだと思う一方で、なんとなくひっかかる点があったからだ。
 いわゆる手作り教というか、“ていねいな暮らし”思想というか、農薬や添加物まみれの市販のものを食べるなんて人としてまちがっている、みたいな説教臭い本ならちょっと嫌だなと思っていたからだ。

 さらに、タイトルからは、料理ができない=ダメ女みたいにも読めなくもないのにも、少し抵抗があった。

 アメリカなら、主婦であっても外食やインスタント食品を活用するのはふつうであり、ことさら非難されないのかもしれないが、よく言われているように、日本の主婦、とくに「お母さん」が要求されている家事の水準はきわめて高いので、女性に余計にしんどい思いをさせる本ではあるまいか、ともうっすら危惧していた。

 けれども実際に読んでみると、そういう説教臭さ、「正しさ」を押しつける要素はほとんどなく、それよりも「料理は苦手」と自認している女性たちが、そう思うに至った経緯や、彼女たちがオムレツなどの簡単なものを作ることによって充実感や自己肯定感を手にする姿が印象に残った。

 こういったメッセージは、もちろん原書にもともと書かれているのだろうけれど、編集と翻訳の過程でより強まったであろうことが、この日のトークで感じられた。

 まず、村井さんがこの本を田中さんに持ちこんだとき、最初田中さんは断ったらしい。料理は得意ではないので、料理本ならもっとふさわしい編集者がいるのでは、と。しかし、田中さんが自己啓発系の本を多く手掛ける出版社に移ったときに、こういう切り口で翻訳本を作ることができるのではないかと考え、村井さんに連絡をとったという話だった。

 そして、原書はペーパーバックで300ページ強あるが、内容を一部削除したりとエディットを加えたとも話されていた。
 翻訳本では、料理が苦手な女性たちを著者が取材するくだりがひとつの章として、本文とは別枠で書かれていて、それゆえにひとりひとりのキャラクターやバックグラウンドがよく伝わってきて共感できたけれど、原書では本文のなかに地続きで書かれているらしい。このあたりのエディットが巧みだなとつくづく思った。


 料理を専門としていない翻訳者と編集者が、さまざまな工夫を凝らして作った本であるからこそ、料理本の読者層以外にも受けいれられる本になったのだということがよくわかった。『サカナ・レッスン』の冒頭に出てくる、村井さんがキャスリーンに送ったメールでも、その思いが綴られている。 

キャスリーン、わたしたちの文化では、女性はなにごとにも優秀であることを求められがちです。…… すべてにおいて完璧でありながら、料理だって完璧でなくちゃいけないんです。料理ができない女性は「ダメ」という烙印を押されてしまいがち。わたしたちはそんな風潮に反論したいのです。

  原書の内容をある程度カットするというのも、日本で翻訳本を売るためには必要なことだろう。一般的にもよく言われていて、この日も話にあがっていたけれど、欧米ではぶ厚くて字の細かい本が多いようだが、日本ではやはり、基本的にはある程度薄い本の方が好まれる傾向があると思う。

 考えたら、ノンフィクションに限らず、小説でも、先にあげたバリー・ユアグローが(おそらく)本国より日本で人気があるのは、柴田さんの訳文だけではなく、ショートショートが日本人の好みにあっているというのもあるだろう。村上春樹にしても、ねじ巻き鳥や『1Q84』などの大作で世界的な作家となったけれど、日本のファンは短編の方が好きというひとも多いように感じる。

 翻訳本がなぜ敬遠されるのかについては、ほかにも、いわゆる「翻訳文体」が読みづらい、単純に地名や人名が難しい&馴染みがない&ピンとこない、高尚というかスノッブな感じがして近づきにくい……といった原因があるのではと分析されていたが、田中さんは今後も極力そういうものを排除した本作りをしていきたいと語られていた。翻訳文体については、村井さんの言う、“語尾ポリス”も非常に興味深かった。

 たしかに、もっと「気軽に読める」翻訳本が増えてほしい。やはり「気軽に読める」本が増えないことには、コアファン以外に翻訳本の読者が広がることはないと思う。

 「気軽に読める」というのは、もちろん内容が薄いという意味ではなく、とくに難しいことが書かれているわけではなく、するすると楽しく読めるけれど、いつまでもその内容が胸に残る、折にふれて思い出す……というのが、翻訳本に限らず理想の本ではないかと、常日頃から考えたりする。

 

ユダヤ人を迫害したのは誰か? 『4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した』(マイケル・ボーンスタイン、デビー・ボーンスタイン著 森内薫 訳)

あまりにひどい話だ。手は怒りで震えていた。でも今となっては、そのサイトを見てよかったと思う。それによって、私ははっきり自覚した。もしも私たち生存者がこのまま沈黙を続けていたら、声を上げ続けるのは嘘つきとわからず屋だけになってしまう。私たち生存者は、過去の物語を伝えるために力を合わせなければいけない――。

  この本の語り手、マイケル・ボーンスタインは4歳のときにアウシュヴィッツ収容所から解放された。収容所が解放されたときに生き残っていたのは2819人で、そのうち8歳以下の子どもはわずか52人だった。 

4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した

4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した

  • 作者: マイケル・ボーンスタイン,デビー・ボーンスタイン・ホリンスタート,森内薫
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2018/04/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 そのあとボーンスタイン氏はアメリカに渡り、アウシュヴィッツでの経験については家族にすらもほとんど話すことはなかった。なにしろ4歳の頃の話なので、どこまで正確な記憶かもあやしい。嘘やあやふやなことなんて言いたくない。そしてなにより、思い出したくない記憶だというのも大きな理由である。

 アウシュヴィッツを遠い記憶の彼方に追いやって70年もの年月を過ごしてきたが、あるとき、ソ連軍によって収容所が解放されたときの記録写真に、4歳の自分の姿が写されていることを知っておどろく。

 写真からさらに驚愕の事実を知る。その写真を利用して、ホロコーストはなかった、ユダヤ人のついた大嘘だと主張するひとたちが存在しているのだ。
 アウシュヴィッツユダヤ人を虐殺したと言われているが、この写真を見ろ、子どもたちはこんなに元気に生き残っているじゃないか、と――

(ちなみに、その写真は収容所が解放されてすぐに撮られたわけではなく、子どもたちの状態が落ち着いてから撮影されたとのこと)

 そこで冒頭の引用につながる。これ以上生存者が黙っていたら、嘘つきがどんどんとのさばるだけだ。話す覚悟をしなければならない。「自分と家族が半世紀以上のあいだ胸の奥にしまい込み、固く鍵をかけていた物語」を解き放たないといけない。
 そう決意したボーンスタイン氏は、テレビ番組のプロデューサーをしている娘のデビーに協力を仰ぎ、娘との共著という形でこの本を記しはじめる。 

歴史の歪曲のために父の写真を悪用したサイトを見たとき、私は、この仕事をなんとしてもやり遂げようという闘志をかえってかき立てられました。誰かがホロコーストについての嘘を語るなら、その100倍もの声で真実を語ればいいのだと。

  この本はタイトルからもわかるように、ボーンスタイン氏のアウシュヴィッツ収容所での経験が主眼となっているが、どちらかというと、その前後の物語の方がより印象に残った。

 収容所の様子については、前回の『夜と霧』や、読書会の課題書『ローズ・アンダーファイア』(こちらはフィクションだけど、多くの資料をもとに書かれている)と共通しているところが多かったからかもしれない。
 もちろん、現実に起きたできごとなのだから共通しているのは当然であり、収容所内でのむごい殺戮の衝撃や、そんな状況においても助けあう囚人たちの姿が呼びおこす感銘が弱まるわけではないのだけど。

 けれども、この本で一番恐ろしく衝撃的だと感じたのは、ドイツ軍が降伏して収容所が解放され、ボーンスタイン家の生き残った面々がポーランドに戻り、再び集ったそのときに地元住民たちに襲われるくだりだ。 

「おまえたちが――おまえたちのシナゴーグと黒魔術の蝋燭が――この国に敵を呼び寄せたんだ。ドイツ人はこの戦争で一つだけいいことをしてくれた。それはおまえらユダヤ人をポーランドから追い出したことだ」

  ユダヤ人虐待はナチスがはじめたわけでも、ナチスの専売特許でもなかった。

 ヨーロッパ全体に広がっていたユダヤ人への差別や暴力、「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人迫害にナチスが乗っかったのだ。ナチスは社会に蔓延していたユダヤ人への差別感情を煽動することで民衆の支持を得て、それがついにはホロコーストにまで至ったということがまざまざと伝わってきた。
 そして、ドイツ占領下でのユダヤ人以外の住民たちは収容所の存在や、そこでいったい何が行われているのかもうすうすは知っていたが、見て見ぬふりをしていたことも。


  1939年にドイツ軍がポーランドに攻めこんでから、ボースタイン一家がアウシュヴィッツに送られるまでの日々の描写はまさに地獄だ。
 一家はポーランドのジャルキに住んでいたが、「ドイツ軍が侵攻してきた最初の一日だけで、ジャルキでは約100人の無実の人々が殺された」。 

 それ以降も、ドイツ兵によるユダヤ人の虐待や殺人が続く。ボーンスタイン氏の父親はユダヤ人評議会の議長という役に就いており、ドイツ人将校と交渉できる立場であったことから、一家はジャルキでの死を免れる。しかし状況は悪化する一方であり、ここで殺されずに済んでも、いずれは収容所に送られるという噂を耳にする……

 こういう経験談を読むと、どうしてもっと早くに逃げなかったのだろう? と、いつも思ってしまう。

 いや、それは完全な後知恵というか、歴史がどうなったのかを知っているからこその考えであることはわかっている。リアルタイムで経験していれば、ボーンスタイン一家のように、いまは苦しいけれどそのうちに戦争は終わるだろう、アメリカも参戦するという噂だし、そうすればすぐにドイツ軍も追い払われるはずだ……と考えてしまうのだろう。

 ただ、一家がジャルキからすぐに逃げなかったのは、戦争に対して楽観的に考えていたからだけではない。差別され続けてきたユダヤ人にとって、ユダヤ人が多く居住するジャルキは安息の地であったからだ。
 つまり、ドイツ軍に支配されたジャルキを脱出しても、ユダヤ人が安心できる場所はポーランドやその近辺にはそうそうないとわかっていたから、逃げられなかったのではないだろうか。

 収容所での凄惨な体験談を読むと、どうしてこんなことができるのだろう? と心の底から疑問に感じる。
 一方で、人間同士の差別の芽は、昔から現在まで世界中の至るところにあり、けっして無くなることはない。往々にして、権力者はそういう差別感情を煽動して利用する。焚きつけられた差別感情がホロコーストへつながるのは、想像よりもずっと簡単なことなのだろう。

 訳者の森内薫さんのあとがきによると、この本と同時期に『ゲッべルスと私』を訳されたらしい。 

ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白

ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白

 

  この本はナチスの宣伝相に勤務していた女性による手記であり、つまりホロコーストをまったく逆の立場から描いている。
 こちらを読むと、おそらくはとりたてて差別的でもなかった「普通の人」が、どのようにしてナチスに加担(と言っていいのかわからないが)させられていくのかがわかるのかもしれない。

 私自身、勇敢でもなく正義感が強いわけでもない「普通の人」だという自覚がある。自分の命を危険にさらしても、差別されているひとを守るなんてできそうもない。だからこそ、こういう本を読んで考え続けなければいけないとつくづく感じる。

「いま翻訳者たちが薦める一冊 憎しみの時代を超える言葉の力」フェアより 『夜と霧 新版』(ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子 訳)

 さて、プロフィールでもちらりと書いているとおり、ミステリーにとくに詳しいわけでも何でもないのに、僭越ながら大阪翻訳ミステリー読書会の世話人をしているのですが、9月開催の読書会の課題本に『ローズ・アンダーファイア』(エリザベス・ウェイン著 吉澤康子訳)を選びました。 

ローズ・アンダーファイア (創元推理文庫)

ローズ・アンダーファイア (創元推理文庫)

 

  第二次世界大戦まっただなかの1944年、英国補助航空部隊に勤務するアメリカ人女性飛行士のローズは激しい空襲から命からがら逃れ、得体の知れないドイツ人との戦いに恐怖を感じていた。
 しかし、連合国軍が解放したパリに入り、フランス国歌を歌いながらエッフェル塔を飛行機で旋回し、未来への希望を感じる。ボーイフレンドのニックとの結婚も近い。

 ところが、飛行中にドイツ軍に捕えられ、すべてが暗転する。スパイの疑いをかけられ、強制収容所に送られてしまったのだ……
 そして、ローズの強制収容所での日々が語られる。強制収容所については、多くのひとが凄惨なイメージを漠然と持っていると思うが、それでもなお想像を上回る凄まじさだ。

 この『ローズ・アンダーファイア』については、読書会後にまたあらためてご報告しますが、せっかく読書会を開くのでこれを機に、戦争をテーマにした本をできるだけ読んでみることにしました。
 また、ちょうど翻訳ミステリーシンジケートのサイトでも「『いま翻訳者たちが薦める一冊 憎しみの時代を超える言葉の力』フェア」の紹介があったので、しばらくはこのフェアの本を中心に取りあげたいと思います。

honyakumystery.jp

 そこで最初は、超名作『夜と霧 新版』から。 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

  超名作と言いつつ、恥ずかしながら読むのは今回がはじめて。読んだら絶対に重い暗い気持ちになるはず、強制収容所の悲惨な実態が夢にまで出てきそう、不潔でむごたらしい描写が多いのではないか……といった先入観があったので、これまで手を出さなかったけれど、実際に読んでみると、こんな偏見はすべてまちがっていたことに気づいた。

 もちろん、収容所の話なので重い暗い内容であり、むごたらしいほどの過激な描写はないものの、悲惨な実態が描かれている。
 けれども、この本の主眼は「強制収容所の悲惨な実態」ではなく、そういった極限状態におかれた人間の肉体と精神がどう変容するかについて、筆者が医者として、当事者として冷静に観察し、人間の普遍的な本質を探究している。

 この本は、強制収容所に入れられるところからはじまる。
 その背景である、ユダヤ人の迫害やナチスドイツの支配、第二次世界大戦についての記載はない。この本が最初に書かれた1946年のヨーロッパにおいては、説明するまでもなかったからだろうと思ったが、訳者あとがきでは、あえて「ユダヤ人」という言葉を使わないことで、「この記録に普遍性を持たせたかった」のではないかと書かれている。

 たしかに、この本で書かれていることは、ナチスによる犯罪の告発ではなく、ユダヤ人という一民族の悲劇にとどまるものではない。
 それを通して、被害者にも加害者になり得る人間とはいったいどういう存在なのか、人間は何によって生き延びることができるのか、そして、生の意味はあるのか、というところにまで考えを深めているから、年月を経てもまったく古びずに、いまはじめて読む者の心にも強く訴えかけるのだと思った。

 筆者は「施設に収容される段階」「まさに収容所生活そのものの段階」「収容所からの出所にないし解放の段階」と三段階に分けて、被収容者の心の反応を解析している。
 なかでも一番興味深く、かつ恐ろしいのが「まさに収容所生活そのものの段階」の心理だ。最初の段階でのショックを経ると、人間はあっという間に感情を鈍磨させて喪失し、無関心の状態に陥ってしまう。 

自分はただ運命に弄ばれる存在であり、みずから運命の主役を演じるのでなく、運命のなすがままになっているという圧倒的な感情、加えて収容所の人間を支配する深刻な感情消滅。こうしたことをふまえれば、人びとが進んでなにかをすることから逃げ、自分でなにかを決めることをひるんだのも理解できるだろう。

 と、被収容者の精神について説明されているが、こういう心理は、強制収容所ほどの強烈な体験を経なくとも、長年にわたり強く抑圧され、希望を失った人間が抱きがちなように思われる。そう、いまの日本にも少なくないのではないかと……

 とはいえ、被収容者がみなまったく同じ精神状態に陥るわけではない。
 もちろん誰もがうちひしがれるわけだが、多くの仲間が運命に翻弄され、なりゆきにまかせてとことん堕落していくなか、なんとか人間の矜持を保ち続けた者、最後まで希望を失わず生き延びた者もいる。残り少ないわずかなパンを、自分より衰えた仲間に分け与える者もいた。 

収容所にあっても完全な内なる自由を表明し、苦悩があってこそ可能な価値の実現へと飛躍できたのは、ほんのわずかな人びとだけだったかもしれない。けれども、それがたったひとりだったとしても、人間の内面は外的な運命より強靭なのだということを証明してあまりある。

  この『夜と霧』を読むと、人間が極限状態を生き抜けるかどうかは、内面の世界の有無にかかっていることがよくわかる。

 たまに、「飢えた子どもの前では、本や音楽などの芸術なんて何の役にも立たない」といった言説を目にすることがあるが、そんなことはけっしてない。被収容者たちはときに空の美しさに感動し、収容所においては歌や詩、さらにギャグまでもが非常に有用な「自分を見失わないための魂の武器」であったと書かれている。(このあたりは課題本『ローズ・アンダーファイア』にも関係しますが)

 極限状態においては、いや極限状態に限らないかもしれないが、内面こそがすべてなのだ。
 筆者は「工事現場」で強制労働をさせられている最中に、妻の姿をまざまざと見る。妻と語りあう。目の前にいるはずもなく、生きているのかどうかもまったくわからない妻の声を聞いたのだ。その瞬間、至福の境地に達してこう思う。 

思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。

 「繊細な被収容者のほうが、粗野な人びとよりも収容所生活によく耐えた」という逆説を説明するために、筆者があえて語ったこの個人的エピソードは、『夜と霧』のなかでもひときわ強い印象を与える。

「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」と、詩人の言葉を引用して、筆者は収容所で仲間たちに語りかけるが、内面世界は何があろうと、誰にも奪えるものではないのだ。

 そのほかにも、この本は収容所の実態をテーマにしたものではないと先に書いたが、それでもやはり、収容所の実態も興味深い。どんな状況であっても、人間が集まれば「社会」になるのだなと実感する。このあたりも、『ローズ・アンダーファイア』と共通しているので、読書会で考えたい。


 かつての私のように、怖い、憂鬱になりそう……と思って、まだ手に取っていない方にこそ、ぜひ『夜と霧』を読んでほしい。陰惨な内容ではまったくなく、書かれているメッセージはどれも真っ当で、たいへん読みやすいながらも、強烈な体験と深い思索に裏打ちされた説得力がある。

 この夏、選挙やらオリンピックやらでなんだか騒がしいですが、この『夜と霧』をはじめとする、上記のフェアの本を読んでじっくり考えにふけり、内面世界を深化させるのもいいかもしれません。