快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

奇人変人大集合のハイテンションなドタバタ劇 『迷惑なんだけど?』(カール・ハイアセン 田村義進訳)

正直言って、この仕事は引きうけなきゃよかったと思ってるよ。いちどきにこんなに多くの奇人変人に出くわしたことは、生まれてこの方一度もない。 

 と、浮気夫と愛人の「決定的瞬間」(「わたしは挿入シーンが見たいの。それこそ決定的な証拠よ」)を撮影するように妻から依頼された、私立探偵ディーリーが嘆くように、ほんと奇人変人が次から次へとあらわれるこの小説。 

迷惑なんだけど? (文春文庫)

迷惑なんだけど? (文春文庫)

 

  カール・ハイアセンの前作『復讐はお好き?』も、妻を殺そうとした浮気夫と、殺されかけた妻の執念の戦いを描いていたが、思えばこの本では、浮気夫のチャズは、卑劣でしょうもない悪党ではあるが、そんなに常識外れではなかったし、妻ジョーイも強くたくましい女ではあるが、マトモではあった。 

復讐はお好き? (文春文庫)

復讐はお好き? (文春文庫)

 

  けれど、この『迷惑なんだけど?』は、まず主人公ハニーが、最近の言葉でいうと完全なメンヘラというのがおもしろい。

ハニーの身に変化の大波が押し寄せたのは、出産の直後のことだ。フライ(息子)は呼吸障害のため生後二週間ほど病院にいた。そのあいだに、頭のなかで奇妙な音が鳴り響きはじめた。そのときから、自分ではどうにもならない不安と恐怖の発作に襲われ、他人の不品行や不行跡に過剰に(ときとして過敏に)反応するようになったのだ。 

 と、正義感が強いというのを通り越して、世にはびこる悪を目にしたとたん、それがどんなにチンケなものであっても、息子フライを守るべきという使命感のもと、すぐに戦いを挑むようになったハニー。興奮すると、頭のなかで違う種類のふたつの音楽が鳴り響き(セリア・クルースとナイン・インチ・ネイルズとか)どれだけ心療内科にかかって、薬をのんでも治らない。


 そんなハニーがフライと食事をしているときに、うっかり電話セールスマンのボイドがセールス電話をかけ、ハニーに害虫呼ばわりされ、返す言葉で「腐れ〇〇〇!」(小説中では伏字ではありません)と、電話口で怒鳴ってしまったからさあたいへん。ハニーの逆鱗にふれ、追い回されるはめになってしまう。ありとあらゆる手を使って、ボイドの身元を調べあげ、なんとウソのリゾート旅行をでっちあげ、航空券をプレゼントして誘い出し、復讐しようとする始末。

 また、ボイドはボイドで、前作『復讐はお好き?』の浮気夫チャズを、もっとしょうもなくしたような、スケールの小さい情けない男。仕事をクビになり、妻から離婚をつきつけられようとしているのに、リゾート旅行をすっかり信じこみ、プロの愛人という言葉がふさわしい、魔性の女である愛人ユージェニーを誘って、ほいほいと乗ってくるのだった……


 と、そこにハニーを追い回す狂気の変態ストーカー・ルイスと、ハニーの胸をさわったルイスの指を、殺人カニでちょん切ったことのあるハニーの元夫・ペリー、そして、白人とのハーフでありながら、白人を憎むネイティヴ・アメリカンのサミーも巻きこまれて、どんどんハチャメチャな展開になっていく。


 と、こう書くと、なんだかワケのわからん話のように思われるでしょうが、ストーリーテリングのうまさのせいで、それぞれに異様なバックグラウンドを持った、強烈な登場人物が続々と登場するのにもかかわらず、さほど混乱することなく読み進められた。メンヘラ女ハニーが暴走するさまが痛快だった。まあ、たしかに常軌を逸したドタバタ劇だし、なかなか下品な言葉も頻出するので、ついていけない人もいるかもしれませんが。

 あと、女性たちのキャラがいきいきしているのも、前作と同様の魅力だった。主人公のハニーが愛されるキャラなのは当然として、ボイドみたいなダメ男の愛人になってしまったユージェニーなんかは、ふつうの小説なら、ただの悪女として扱われるだろうけど、この小説では、最終的にはフライの面倒をみる役目をはたし、新しい人生を歩もうとしたりと、読者が共感できるように描かれている。考えたら、前作の浮気夫チャズの愛人のリッカもそうだった。

 なので、最新作の『Razor Girl』も読みたいけれど、翻訳は出るのかな? アマゾンなどを見ると、評判がいいようなので楽しみ。

 

Razor Girl: A novel

Razor Girl: A novel

 

 

 

はじめての海外文学ビギナー篇~まずは猫よりはじめよ~『猫語のノート』(ポール・ギャリコ 灰島かり訳)

 前回も書いた「はじめての海外文学」ですが、猫好きへのビギナー篇として外せないのは、これでしょう。 

猫語の教科書 (ちくま文庫)

猫語の教科書 (ちくま文庫)

 

  ポール・ギャリコの家の聡明なメス猫が、「いかにして居心地のいい家に入りこむか。飼い主を思いのままにしつけるか」について、後輩猫たちに教える体裁のこの本。

ではまず簡単に、私自身がある一家をどうやって乗っ取ったかをお話ししましょう。……

私たち猫が人間の家に入りこむとき使うのに、これほどぴったりの言葉がほかにあるかしら。だってたった一晩で、何もかもが変わっちゃうんですもの。その家も、それまでの習慣も、もはや人間の自由ではなくなり、以後人間は、猫のために生きるのです。

 まさにその通り。乗っ取られた身としてつくづく思う。
 どうやらうちの猫は、パソコン用の椅子を気に入ったらしく、どっかと座っているので、いま私は猫のじゃまにならないよう、おしりを半分くらい乗せてこれを書いているのだけど、まさに、「人間の家を占領したら、すぐに気に入った椅子を選んで猫専用にすべし」という項もある。

猫専用にするためには、まず手始めに、その椅子の上でたっぷり時間を過ごすこと。丸まって眠りこんだり、眠っていないときでも眠ったふりをしたりして、猫がそこにいるのを家族の目に慣れさせます。だんだんわかってくると思うけど、人間は習慣の動物で、しかもたいへんな怠け者。だから洗脳すればどんなことでも信じこむし、ある状況を運命として受け入れさせるには、目を慣らしてやりさせすればいいんです。目を慣らすというのは、たとえば毎日毎日その椅子の上で猫を見ているうちに、やがてその椅子は猫のもので人間のものではないと、納得がいくようになることです。 

と、こんな感じで、人間の心理を深く知りつくした猫による、人間の飼いならし方がびっしりと書かれている。

 そして、この文庫のあとがきでの大島弓子のマンガでは、この本を読みながら愛猫サバの死を乗り越えたことが描かれていて、ほんの短いマンガなのだけれど、涙が出てくる。思えば昔、大島弓子のサバシリーズのマンガを読むたびに、猫との「誰も触れない 二人だけの国」(スピッツ)のような生活にあこがれた。そしていま、それが叶った。そしていま、これを書いているあいだも、何度も何度もキーボードの上に乗られたりと激しくじゃまされています。


 この『猫語の教科書』で、作者である聡明な猫は、実利的なアドバイスにとどまらず、人間との生活で派生する、猫と人との間の愛についても言及している。

私にいえるのは、人の心に愛があると、その人の腕に抱かれたり、ひざの上でやさしくなでられたりしたとき、その愛があなたに向かって流れてきて、あなたはそれをただ感じるということ。人の心に愛がなければ、あなたは何も感じない。たとえどんなに機嫌をとってくれようと、どんなにじょうずになでてくれようと、愛は感じられないのです。 

 それにしても、ポール・ギャリコはほんと猫好きだったようで、この本の姉妹編である、猫をテーマにした詩と写真で構成されている『猫語のノート』でも、まえがきで猫二十七匹(!)との生活を語り、巻末エッセイ「高貴な猫と、高貴とは言えない人間について」で猫への愛を綴っている。 

猫語のノート (ちくま文庫)

猫語のノート (ちくま文庫)

 

 が、この『猫語のノート』の灰島かりさんによる訳者あとがきによると

彼(ポール・ギャリコ)は四度結婚し、そのうちの二人の元妻からは、後に訴訟を起こされています。どうも女性との関係は、猫とほど、うまくいかなかったようです。 

と。そうか……。しかし、猫二十七匹に妻四人って、基本なんでも量多めである。


 あと、「はじめての海外文学」のフリーペーパーでは、『通い猫アルフィーの奇跡』が紹介されていて、すごく読みたくなった。 

通い猫アルフィーの奇跡 (ハーパーBOOKS)

通い猫アルフィーの奇跡 (ハーパーBOOKS)

 

  飼い主が亡くなり、孤児になったアルフィーが奮闘する物語らしい。推薦者の山本やよいさんによると、「幸せになって!」と応援したくなるとのこと。わかります。人間については、あまりそんな風に思ったりしないけれど、猫については、すべての猫が幸せになりますようにって、心から願う。

↓ひとしきりあばれたら、膝でゴロゴロ。ちゃんと愛を感じてるのだろうか…

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はじめての海外文学――そしてジェイムズ・エルロイ 『獣どもの街』(田村義進訳)

 読書ブログをやっておきながら、なかなか落ち着いて本を読めない事態になってしまった。

原因はこの子↓ 会社の人が保護した子猫を引き取ることにしたのです。

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 まだ生まれて二か月も経っていないため、長く留守番させるのも不安で、ここ数日はなる早で家に帰っているのですが、今日は午後休を取って、映画『インフェルノ』を見てきました。 

インフェルノ(上) (角川文庫)

インフェルノ(上) (角川文庫)

 

  トム・ハンクスがちょいちょい細川たかしに見えたのが気になったが(髪型のせいもあるのだろうか)、原作でちょっと強引な展開に思えたところや、えっ、これで終わるの? など違和感を感じたところを、うまく処理してあったのではないでしょうか。また原作もそうですが、とにかくスピード感のあるストーリー展開なので、まったく退屈する間もなく、どんどん話が進んでいくので、原作を読んでない人でも楽しめると思います。


 しかし、いま映画『インフェルノ』のウィキペディアを見て、天才科学者ゾブリストを演じたベン・フォスターが、14歳年上のロビン・ライトと婚約していたという事実におどろいた。ロビン・ライトって、そう、ショーン・ペンの元嫁です。こりゃまたえらいとこにいくねんな~という感じだ。


 で、そのあとはグランフロントの紀伊國屋に行って、「はじめての海外文学」のフリーペーパーを入手しました。「ビギナー篇」と「ちょっと背伸び篇」の両方。

togetter.com

で、「ビギナー篇」で紹介されていたので知りましたが、こないだ書いた、今年度の

ブッカー賞インターナショナル部門を受賞した、韓国のハン・ガンの『菜食主義者』、とっくに翻訳本出ていたようです。そりゃそうか。 

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

 

  翻訳のきむふなさんのコメントによると、「ごく平凡なはずの妻が、あるひ突然肉食を、そしてついには食べること自体を拒み植物になりたがる」という話らしい。やはりおもしろそう。
 しかし、この本にしても、岸本佐知子さん推薦の『ハルムスの世界』にしても、海外文学のビギナーにおすすめできるのかは少々謎ですが。ちなみに、私はこの「ビギナー篇」では、前にも紹介したジョーン・バウアーの『靴を売るシンデレラ』をおすすめしたい。


 「ちょっと背伸び篇」では、柴田元幸さんが創元推理文庫の『フランケンシュタイン』を推薦していたので、読んでみたくなった。
 「フェミニズムの創始者、あるいは先駆者とも呼ばれるメアリー・ウルストンクラフトを母、無神論者でアナキズムの先駆者であるウィリアム・ゴドウィンを父として生まれた」(ウィキペディアより)作者メアリー・シェリーについては、以前から気になっていたので。いろんなところから出ているけど、なかでもこの版がおすすめらしい。 

フランケンシュタイン (創元推理文庫 (532‐1))

フランケンシュタイン (創元推理文庫 (532‐1))

 

  ちなみに、私が「ちょっと背伸び篇」を選ぶとしたら、ここには載っていませんが、いまちょうど読んでいるジェイムズ・エルロイ『獣どもの街』にしたい。 

獣どもの街 (文春文庫)

獣どもの街 (文春文庫)

 

 

変態性欲の辺土。性欲はイエス。変態もいっそのことイエス。

変態性欲が変化をもたらした。死屍累々のシーンに刺激されたのだろう。きわどい危機がきっかけとなったのだろう。 

戻ってきた猛烈女。撃ちあいによって生まれた運命。時を飛び越え、記憶を刻もう。
服を振りはらい、ズボンをずりさげる。火勢は下降し、薄暗がりが生まれている。記憶が強化される。ドナの身体を思い出す。唇をくっつける。 

 といった具合で、可能なかぎり原文にあわせて頭韻をふんだこの文体。頭韻や言葉遊びといった文体の妄執が、主人公リックのドナへの妄執と重なる。

リックはドナを愛している。

純愛、それはつまりオブセッション。こんなに凝った翻訳文をあみだす労力を考えるとおそろしいが、それもまた純愛でありオブセッションなんでしょう。

 

困ったおじさん大集合 『僕の名はアラム』(ウィリアム・サローヤン 柴田元幸訳)

 「困ったおじさんね」というのは、たしか寅さんの妹さくら一家の口癖だったような……なんでこんなことを思い出したのかというと、このウィリアム・サローヤンの『僕の名はアラム』には、「史上ほぼ最低の農場主である」メリクおじさん(『ザクロの木』)や、「一族きっての阿呆頭」で、仕事もせず一日中歌っている「僕の情けないおじさんジョルギ」(『ハンフォード行き』)や、東洋哲学を勉強し、四六時中瞑想にふけるジコおじさん(『五十ヤード走』)など、奇人変人ともいえるおじさん軍団がわんさか登場するからだ。 

僕の名はアラム (新潮文庫)

僕の名はアラム (新潮文庫)

 

  柴田元幸さんの訳者あとがきでは、ジャック・タチの『ぼくの伯父さん』や、バリー・ユアグロー『ぼくの不思議なダドリーおじさん』、北杜夫の『ぼくのおじさん』をひいているが、やはり「困ったおじさん」というと、車寅次郎がどうしても浮かんでくるのだった。


 というと、すごくのどかで牧歌的な物語のように感じられるかもしれないが、いや実際に、主人公の少年「僕」の目から語られる、おじいさんやおじさんを中心とした一族の物語やゆかいな学校生活は、牧歌的で理想郷のように思える世界なのだけど、訳者あとがきでは、サローヤンの親の世代は、「トルコによるアルメニア弾圧から逃げてきた――移民第一世代」であり、「生まれ育ったコミュニティ全体に、暗い過去に関する思いがつねに漂っていたようである」と書かれている。


 で、少し前に、奈良県立情報図書館で行われた読書会(トーク・アラウンド・ブックス)に参加し、そこでも誠光社の堀部さんが、この本の背景をいろいろ解説してくれた。
 正直、アルメニアといってもどんなところなのかピンとこなかったけれど、地図で見るとロシアとトルコとイランに囲まれた小さな区域だが、キリスト教では「約束の土地」という重要な拠点であり、世界ではじめてキリスト教を国教とした国らしい。しかし、1915年~1916年にはトルコによる大虐殺があり、その後ソ連に組み込まれ、再び独立を果たすのは、ソ連の崩壊を待たなければいけなかった。ちなみに、サローヤンアルメニアの偉大な作家としてソ連でも名高く、なんとアメリカとソ連の両国の紙幣に肖像がのったらしい。


 先にも書いた、「史上ほぼ最低の農場主である」メリクおじさんは、どうにもならないような砂漠の土地を買って、ザクロの果樹園を育てることを夢見るのだが、ザクロというのはアルメニアの象徴的果実とのことであり、つまり、サローヤンの小説の世界では、アメリカの価値観とアルメニアの価値観が共存しているとのことだった。


 あと、もうひとつ興味深かったのは、サローヤン伊丹十三の翻訳も話題になった『パパ・ユーア・クレイジー』で、魅力的な父と子の関係を描いたが、実際の息子アラム・サローヤンとの間には激しい確執があったという話だった。

 アラム・サローヤンものちに前衛的な詩を書く作家になったが、ウィリアム・サローヤンはそんなワケのわからん(←私が勝手に推測する、父ウィリアムの感想です、念のため。アラム・サローヤンの詩集を見せてもらいましたが、私はおもしろい詩だと思いました)詩を認めず、そして息子アラムも、売れっ子作家であった父のことを芸術家としては認めず、完全に決裂したらしい。ウィリアム・サローヤンは財団を作って自分の遺産を管理するよう遺言し、つまり息子や娘には遺産をわけようとしなかったとか。私が子供なら暴れるな。いや、でも最終的には和解したらしく、息子アラムによる『和解:父サロイヤンとのたたかい』という本も出ているそうです。


 また柴田さんのあとがきに戻ると、そういった移民の苦しみや家族の確執などを前面に出すことのないサローヤンの小説は、「楽天的すぎる」(要は、ぬるいってことですかね)と批判もされ、現代では、同時代のヘミングウェイスタインベックほど読まれていないことを指摘し、そこで援軍として、小島信夫訳の『人間喜劇』の訳者あとがきを引用している。

 (バイブルを読むと)私の偏見かもしれぬが、キリストでさえも、善人とは思えない。……キリストには寛容の精神などない。寛容と見える場合にも、私たちは油断することが許されない。……私たちは寛容をあたえられた場合にも、次におびえなければならぬことになりかねない気がする。……
 サロイヤンは「善人の部落」を書き、悪を追放した。悪はもう沢山だ。

興味深いですね。『人間喜劇』も読んでみたくなった。小島信夫の訳も気になる。

 トランプ氏が大統領になったりするのも、喜劇的なことなのかもしれない……あるいは、ヴォネガットが描いていた、まさにスラップスティックな世界になりつつあるのだろうか。

結婚にまつわる洞察が綴られる――現代の『高慢と偏見』? 橋本治 『結婚』

 橋本治の『結婚』は、28歳の主人公倫子が、同僚の27歳の花蓮に「卵子劣化」の話を切り出すところからはじまる。 

結婚

結婚

 

  いや、ここ最近政府があれこれ言い出した「卵子劣化」とは、橋本治にしてはベタな話題を取りあげてるな~と思ったのですが(話はそれますが、そういった「妊娠しやすい年齢」とか「妊活」にまつわる問題については、翻訳者の高橋さきのさんがシノドスのサイトに寄稿されてます)、

synodos.jp


倫子は「恋愛が苦手」であり、卵子劣化という恐ろしげな言葉を聞いても、現実の結婚についてはピンとこない。

倫子には、差し迫って「母になりたい、子供を産みたい」という願望がない。それを言うなら、「結婚したい」という切迫した願望もない。  

一年前なら、若いカップルが子供を抱えて歩いていても、なんとも思わなかった。「そういう人もいるな」と思っていただけだったのに、今の倫子は若い子連れのカップルを見るとドキッとしてしまう。以前はそんな風に思わなかったが、「この人達は結婚をしているんだ――」と思ってしまう。そして、「どうしたら結婚が出来るんだろう?」と思ってしまう。 

  と、こんな感じで、倫子のぐるぐる回る思考がそのまま綴られていて、橋本治の多くの作品と同様に、この小説も「物語」というより、結婚だけにとどまらない現代社会への洞察が綴られているのですが、やはり賢いな―、よくわかってるな、と考えさせられるところが多かった。なので、この小説について語ろうとすると、ストーリーや登場人物の心情がどうのというより、この洞察を共有してほしいので、どうしても引用多めになりますが……

 たとえば、倫子の兄の娘の名前が「芙鈴亜」(フレアと読む)ということについては、

倫子には理解しがたい「なにかの間違い」があって、それで兄の娘は「芙鈴亜」になったのだろう。……車に乗ってやって来た息子夫婦を迎えに出た母親が、軽自動車の窓をノックして「フレちゃーん」と言っているのを見て、「現実というのはこういうもんなんだ」と思った。
当事者というのは、なにもめんどくさいことを考えない。めんどくさいことを考えるのは、その当事者の輪からはずれて、玄関口に立って外を眺めている倫子のような部外者だけだ。 

 花蓮が美魔女に憧れる母親(53歳)について語るセリフでは、

「お母さんはさ、”自分が気に入るような相手と早く結婚して、私を安心させろ。私のことを考えろ、私のために働け”って、そう思ってるのよ」 

  ちなみに、”母親”というもののおぞましさについては、橋本治は前からエッセイなどでもよく指摘していますが、この小説を読んだあと、「橋本治 結婚」でネットで検索したら、

なんで近頃の若いもんが結婚したがらないのかというご不満意見を読んで、娘が思い通りにならないとご不満の母親に「それはあなたが娘さんにとっての『生きた絶望』だからだ」と答えた橋本治先生の人生相談を思い出した。

が、山のようにあがってきた。そう、これが現代社会の――とくに女にとっての――真理なのですね。


 もちろん、「結婚」が、女だけのプライベートな問題として描かれているわけではない。言うまでもなく、「結婚」も「出産」も女ひとりではできないし、「仕事」もおおいに関係する。旅行代理店の窓口営業という倫子の仕事が

競争原理でツアー客を獲得すれば、それによって給料は上がる。その額は僅かではあるけれど、競争原理の恐ろしさは、それが存在するとつい乗っかってしまうところにある。人は、うっかりすれば他人より上位に立ちたがるから、「君の成績次第で――」と言われると、つい頑張ってしまう。……恐ろしいことに、競争原理は癖になる。慣れてしまえば、その勤勉の中にいるのが当然のように思えて、ついつい頑張ってしまう。 

 と説明されていて、真綿で首をしめられるような、現代の職場の実態をよくあらわしているな~と感心した。

 また、倫子がかつて付き合った男たち――同僚の漆部(「傷ついた女をやさしくもてなしている自分が一番好きな男だった」)や、出世のために職場の後輩女性と結婚し、すぐにその結婚生活が破綻した大学の先輩白戸の人となりと、倫子との関係も容赦なく描かれている。いろいろ納得した。

倫子は、女が陥りがちな誤った結婚観に片足を突っ込んでいた。それは、「私なら彼が理解出来る。彼を支えられる」という過信である。 

痛いなー。なんでこんなによくわかっているんだろう。

 けど、こうやって、神の視点から「女が陥りがちな誤った結婚観」って言ってしまうって、まさに『高慢と偏見』のようですね。そういえば、なぜかいままた『ブリジット・ジョーンズ』も新作ができているようだし、どれが一番現代社会を反映しているか、対比してみてもおもしろいかもしれない。

女が望む結婚相手は、「自分になんでもさせてくれるような、なにもしない男」か、「自分がなんにもしないですむ、なんでもしてくれる男」の両極端になってしまうが、倫子は後者を選ぶほど幼児性が強くはない。……
だから倫子は、漆部のような「なんでもしてくれる男」が苦手で、高校時代の田島や白戸のような、根本のところでなにもしてくれない非情さを持ち合わせている男に馴染んでしまう。 

 そして、最後に倫子が選んだ結末は……これがなかなか意表をつかれた。いや、納得できないわけでもないのですが、この先いったいどうなるんだろう??っていう。ぜひ続編も書いてほしい。

ブッカー賞について私の知っている、ニ、三の事柄

 さて、今年度のブッカー賞が発表されました。アメリカ人作家ポール・ビーティーの『The Sellout』 で、初のアメリカ人作家が受賞とのことで話題になりました。まあ、少し前まではイギリス・アイルランド作家のみが対象だったようなのですが。(しかし、クッツェーマーガレット・アトウッドはイギリス作家に入るの?よくわからない。かつての大英帝国圏内ならいいのだろうか)

www.afpbb.com

 いや、世界文学について詳しいわけでもなんでもないのですが、ブッカー賞受賞作は、私が読んだ数少ないものでも、カズオ・イシグロ日の名残り』、J・M・クッツェー『恥辱』、ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』……と、どれも決して難解でなくおもしろく読めて、けれど余韻を残すといったハズレなしの名作揃いというイメージがあるので、今年の作品もどんなのか楽しみです。


 で、先日東京に行ったとき、紀伊國屋新宿南店(洋書専門)フロアで、ブッカー賞についての公式ガイドブックがフリーペーパーとして置いてあったので、一冊もらってきた。で、読んでみると、小ネタ満載でなかなか興味深かった。


 1986年のキングズリー・エイミスはミソジニストとして有名だったので(そうなの?)、5人の審査員中4人が女性だというのに受賞に決まったときは、世間をおどろかせたらしい。しかもこの年の対抗馬は、フェミニズム文学の代表のように言われるマーガレット・アトウッドの『侍女の物語』なのに。ちなみにキングズリー・エイミスはこの賞金で、新しいカーテンを買うと語ったようだ。

 賞金をなにに使うかというのは、定番の質問らしく、1998年に『アムステルダム』で受賞したイアン・マキューアンは、バスの運賃や床のリノリウムなどではなく、まったく役に立たないもの "somotheing perfectly useless"に使うと語っている。結局なにに使ったのだろうか。アムステルダム』は、読んだときにはなかなかおもしろかったという記憶はあるのだが、いまとなっては詳細がすっかり頭から抜け落ちているので、再読します……
 2003年のD・B・C・ピエールは、三大陸で十年にわたって友人たちから金を借りてトンズラしているので、小切手はそのまま友人たちのもとに送られるとのこと。しかし、このD・B・C・ピエールってはじめて知りましたが、都甲幸治さんが翻訳してるし、かなりおもしろそうですね。 

アムステルダム (新潮文庫)

アムステルダム (新潮文庫)

 

 

ヴァーノン・ゴッド・リトル―死をめぐる21世紀の喜劇

ヴァーノン・ゴッド・リトル―死をめぐる21世紀の喜劇

 

  あと、1992年にマイケル・オンダーチェの『イギリス人の患者』とバリー・アンズワーズの『Sacred Hunger』のW受賞となったときは、かなり炎上したらしく、以降、絶対に!!一作に決めるというルールができたらしい。べつに二作受賞があってもいいように思うが。
 あと、25周年である1993年と、40周年である2008年には、ブッカー賞のなかのブッカー賞を選んでいるが、どちらもサルマン・ラシュディの『真夜中の子供たち』である。えらくブッカー賞に愛されているようだ。


 ブッカー賞にはインターナショナル部門もあって、英語以外の言葉で書かれて英訳された小説が対象で、今年は韓国の女性作家韓江(ハン・ガン)の『菜食主義者』が選ばれたのがすごい。しかもノーベル賞作家オルハン・パムクなどをおさえて。パク・ミンギュの『カステラ』など、韓国小説もいま注目されているので、これも翻訳を出してほしい。

japanese.joins.com


 で、上で述べた冊子には韓江のみならず、翻訳者デボラ・スミスも紹介されており、それによると、彼女は21歳まで外国語ができなかったが、英文学を修めたあと翻訳者になろうと思いたって、英語への翻訳者が少ない韓国に行くことを決意したらしい。そしていまは、アジアとアフリカの小説の翻訳のための出版社も設立したとか。行動力にただただ感心。


 そして、紀伊國屋新宿南店で、せっかくだからなにか読もうと思って、今年のショートリストに選ばれていたOttessa Moshfegh(そもそもなんて読むのだ?? オッテサ?)の『Eileen』を買ってみた。 

Eileen: A Novel

Eileen: A Novel

 

  少年刑務所での仕事とアルコール依存症父親の面倒に明け暮れる24歳の女性の物語というので、なんだかおもしろそうに思えた。読んだらまた感想書かないと……でも読むべき本が大量に積まれているのでいつになることやら。。

”闇の奥”のアマゾンで、ひとりの女性が生まれ変わる 『密林の夢』(アン・パチェット 芹澤恵訳)

アンダーズは結婚の申し込みでもするように、熱っぽくマリーナの手を取った。「いいかい、子どもを生む時期をいくらでも好きなだけ先送りできるんだよ。踏ん切りがつくまで、納得できるまで迷っていられるんだよ。四十五歳くらいが限界じゃないか、なんて思わなくてもよくなるんだ。五十でも、六十でも、たぶんもっとあとになっても。いつでも子どもを産めるようになるってことなんだよ」
アンダーズのそのことばは、直接自分に向けられたもののように感じた。マリーナは四十二歳だった。社屋を出るときは必ず別々に出ることになっている男と、恋愛関係にあった。 

  最近では、ジャネット・ジャクソンが五十歳で出産予定、という仰天ニュースがありましたが、この『密林の夢』では、なんと、アマゾンの奥深くに住む部族の女は「寿命が尽きるまで子どもを産み続けることができる」ことが発見される。 

密林の夢

密林の夢

 

  大手製薬会社に勤めるアンダーズが、実地でその研究をしているアニータ・スウェンソン博士のもとに赴くが、アンダーズはアマゾンで熱病にかかって死亡してしまう。そこで、主人公である同僚のマリーナが、そのおどろくべき研究と、アンダーズの死の原因を調べるためアマゾンに向かう……


 こう書くと、なんだかヘンな話、そんな謎の部族の調査に行くって正直おもしろいの? と感じてしまうかもしれないけれど、これが想像よりはるかにおもしろく、読んでいくうちにどんどんのめりこみ、わりとぶ厚い小説なのだけど一気読みしてしまった。

 まず、冒頭からマリーナの心情が丁寧に描かれているところにひきこまれる。旅立つ前のマリーナの胸には、いくつもひっかかっていることがあった。インド系アメリカ人であるマリーナは、両親の離婚のため父親とはなればなれになり、なかなか会うことができないまま父親は亡くなり、いまでも父親との思い出をくりかえし夢にみる。また、産婦人科の研修医だったころ、たったひとつの、けれど取り返しのつかないミスを犯し、医者の道を断念したのだった。そして、ニ十歳近く年上である、会社のCEOのジム・フォックスとの関係。

 で、そういうモヤっとする案件をいくつも抱えたマリーナが、気が進まないながらもアンダーズの妻カレンと三人の子どもへの同情心もあって、アマゾンに向かうべく、まずマナウスに到着するのだが、そこで足止めをくらう。アニータ・スウェンソン博士は研究の邪魔をされないよう、そう簡単に部外者を入れないように、若い放浪者夫妻に、門番として訪問者の足止めを命じていたのだ。

 マナウスの町で、スウェンソン博士の謎めいた研究生活をさんざん聞かされながらも、なかなかアマゾンの中に入れないというこの構造は、完全にコンラッドの『闇の奥』を思い出した。実際、海外の書評などネットで検索すると引き合いに出されているし、そう意識して書かれているのだろう。ちなみに『闇の奥』も以前感想を書きましたが、この本同様、ヘンな話だけどひきこまれるのでオススメです。 

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

 

  ここまで、たいしてストーリーは展開していないのだけれど、先に書いたマリーナの心情と、うざいけれども悪者でもなく、なんとなく憎めない放浪者夫妻や、熱帯の町で頼りになる有能な運転手兼世話人など、マナウスの町の人々との交流もかなり読みごたえがある。当初の目的であった、いくつでも子どもが産める研究とやらもどうでもよくなるくらいに。


 で、ようやく、なかば強引にスウェンソン博士について行ってアマゾンの奥地に入るのだが、そこからのアマゾンの豊饒な自然のイメージや、人も木や草も一体化したような生命力に圧倒される。そんな環境のもと、スウェンソン博士や、博士が面倒をみている自然児イースターとの交流を通じて、マリーナが生まれ変わっていく。もっと具体的に言うと、最初に抱いていたモヤっとした気持ちが、見事に解消される。
  それだけでもじゅうぶんなのに、あまりストーリーの大きな起伏のない小説かと思っていたら、最後の最後で思わぬ進展があり、謎が解き明かされ、意外な展開を見せるさまにもおどろかされた。(個人的には、ちょっと「えっ!?」と思うところもあった) 
 
 この物語のあと、生まれ変わったマリーナが、アメリカに戻ってどんな人生を歩むのかも読みたくなった。あのおっさん(フォックス)とは、やはり別れるんだろうか。訳者あとがきによると、スウェンソン博士を語り手にしたスピンオフ作品はあるらしいので、それも読んでみたい。
 まあでも、アマゾンもどんなところか興味はあったが(高野秀行さんもアマゾン下ってたし)、この本読むと、こりゃ行けんわとつくづく思った。アナコンダに襲われるのももちろん困るが、とにかく虫の大群の描写が怖すぎる。 

 
 アン・パチェットの本を読むのははじめてで、どんな作家かあまりよく知らず、実際日本ではそんなにメジャーではないと思うけれど(それとも私が知らんだけか)、アメリカではこの本も2011年のベストセラーになり、そして新作『Commonwealth』も、翻訳ミステリーシンジケートの「ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー」の項によると、九月の発売当初はベストセラーのトップとなり、いまもベストスリーに入っているので、かなりの人気作家のようだ。新作もきっと翻訳されると信じたい。また、この本の魅力は、翻訳もすばらしかったところが大きいと思うので、できれば同じ訳者で期待したいですが。

 

Commonwealth

Commonwealth