快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

『老検死官シリ先生がゆく』 コリン・コッタリル

 

老検死官シリ先生がゆく (ヴィレッジブックス)

老検死官シリ先生がゆく (ヴィレッジブックス)

 

 

 1976年のラオスを舞台に、72歳になったので医者を引退しようと考えていたシリ先生が、国でただ一人の検死官をつとめることになり、死体と対話しながらいくつもの謎を解決していくミステリー。

 ラオスというと、ここ数年、経済成長がめざましい東南アジア地域において、唯一(ここ1~2年のミャンマーの注目ぶりを考えると、唯一と言っていいのではないでしょうか)発展から取り残されている印象のある国で、ましてや40年近く前となると、解説に書かれているように“ないない尽くし”の世界で、シリ先生は電話もかけたことがないし、ピペットより高度な検査器具は40キロ離れたタイのウドン・ターニーに行かないとない、などが当たり前。(ウドン・ターニーって、なんだその名前と思われたかもしれませんが、タイではわりと大きな都市なのです)

 と書くと、ただのんびり&ほのぼのした話と思われるかもしれないけれど、決してそうではなく、いくつもの殺人事件が並行して進むので複雑に入り組んでいる。なにより、この1976年というのは、1975年にベトナム戦争が終結して、この界隈での共産主義の覇権が確立され、ラオスもそれまでの王政から共和制に移行した変動期であり、シリ先生自身も若い頃は共産主義の理想に燃え、留学先のパリでのちに妻となるプアと出会い、ともに大義を追ったけれども、結局は理想も大義もすべて破れ、妻は失意のうちに亡くなった――という設定が、物語に深みを与えている。素朴で一見ほのぼのしているけど、その背後にはシリアスな政情があるという点は、高野秀行さんの『アヘン王国潜入記』の世界を思い出した。

 

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

 

 

 先に、“死体と対話しながら”と書いたのは比喩ではなく、シリ先生は特殊な霊能力があり、夢の中に死者が出てきて、それが事件を解決する糸口になるので、ミステリーとしてはいささか邪道なのかもしれないけれど、40年近く昔のラオスなら、そんなことも普通にありそうな気がする。これもマジックリアリズムと言えるのかもしれない。悪魔祓いをするシーンはとくに圧巻で、よく言われるように、悪霊が憑くとか誰かを呪い殺すというのは単なる迷信ではなく、それが脈々と伝わっているところでは、まぎれもない現実なのだろう。

 と言っても、この小説の一番の魅力は、共産主義の現実でも悪魔祓いでもなく、シリ先生を筆頭に、その部下である夢見るオールドミスの看護婦のデツイや、ダウン症のグン君などの個性的な愛すべきキャラクターたちだと感じた。

 あと、私はタイが大好きで、ここ数年隙あらば足を運んでいるのですが、次こそはラオスに行って、シリ先生と同じように、メコン川岸でお気に入りのバケットのサンドイッチとバナナを食べたいな。(表紙もそのイラストですね)