快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

懐かしのクジラのノルウェー風 日本の給食史を総括した『給食の歴史』(藤原 辰史著)

給食というと、何を思い出すでしょうか? 

年配の人ならば、悪評高い脱脂粉乳がまっさきに頭に浮かぶかもしれません。若い人ならば、郷土色豊かなごはん食かもしれません。
給食の時間が楽しみだった人、あるいは苦手だった人、どちらにせよ、給食は個人的な思い出と密接に結びついているはず……

さて、今月の書評講座の課題本は、『給食の歴史』(藤原 辰史著)でした。 まずは私の書評から。

 

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(題)牛乳と食パンと煮物が象徴する給食の苦悩                                       

小学生の頃、給食の「こんだて表」が届くとすぐに目を通し、苦手な昆布巻きはいつ出てくるのか、かきたま汁やクジラのノルウェー風といった、比較的ましなメニューはいつ出てくるのか必死に探した。

大人になり、もう「こんだて表」を見ることもなくなったと思っていたが、親が介護施設に入所してからは、面会に行くたびに、壁に貼られた「献立表」を眺めた。そして先月、自分が入院することになり、病棟の談話室に貼られた「献立表」を、毎日欠かさずチェックした。 

『給食の歴史』では、給食の基本的性格の第一番目に、「家族以外の人たちと食べること」を挙げているが、「家族以外の人たちによって作られること」も、同じくらい重要なのではないだろうか。
というのは、『給食の歴史』を読むと、給食の歴史は、「給食を導入すると自助的精神が失われる」という批判との戦いの歴史でもあることがわかるからだ。

なかでも、「栄養学の父」佐伯矩の弟子、原徹一の慧眼には驚かされる。原は1935年の時点で、弁当持参を強制すると、貧しい家庭においては非常に厳しい事態を招くこと、また貧困児童のみに給食を与えると、その児童にとって痛烈なスティグマになることを指摘し、全校生徒への給食を主張した。自助という名のもとに、子どもの養育の責任を家庭に押しつけることの弊害をすでに見抜いていたのだ。

給食の歴史は、第二次世界大戦の敗戦によって転換点を迎える。GHQの指導の下、飢えた子どもたちを救うため、給食が全面的に導入された。その一方で、自立精神を損なわないために、無償給食は共産主義へつながるものとして否定された。
しかし、日本中が飢えから解放されたように思えた高度成長期の1967年に、岩手で発生した子どもの餓死事件の詳細を読むと、自立とはいったい何なのか? と考えさせられる。


再び景気が悪化し、給食費を払わない家庭の子どもには給食を与えない決定が下されるようになった。「親の怠慢」が非難され、自助の必要性が喧伝される時代になった。私たちはいつまで「近代的家族制度」に寄りかかり続けるのだろうか? 
給食は、自助や家族愛という名目で、子どもや高齢者、病人の世話を家族に押しつける勢力への防波堤なのだ。

手術を受けた翌日の朝、牛乳と食パンと煮物という妙な取り合わせが出てきて、学校給食を思い出した。いま思えば、このちぐはぐさが児童福祉と自立教育の狭間で戦ってきた給食の苦悩の象徴にも感じられる。

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上でも書いたように、私自身は牛乳とパンと温かいおかずという取り合わせが苦手で(ごはん食はまだ少ない時代だった)、給食の時間はどちらかと言えば苦痛だったのだが、クジラのノルウェー風やカレーなど、好きなメニューはいくつかあった。

ほかの人の書評を読んでみても、愛媛出身の人はポンジュースが出てきたとか、それぞれに思い出がつまっていておもしろかった。
多くの人が好きだったメニューとして、クジラの「竜田揚げ」を挙げていて、そもそも私が食べていた「ノルウェー風」とは何だったのか?と調べたところ、ちょうど私が育った市のホームページに説明が記載されていた。

いただきます!<今日の給食(2月)> | 枚方市ホームページ

 こちらを参照したところ、
「サイコロ状にカットした鯨肉にすりおろした生姜、濃口しょうゆで下味をつけ、片栗粉をつけてカラッと揚げ」、
「カリッと揚がった鯨肉に、ケチャップ、ウスターソース、砂糖で作ったたれを和えて、鯨肉のノルウェー風が完成します」とのことだった。
(書評講座のときにもレシピを紹介すると、先生に「関西風だね~」と言われた……たしかに)

神戸や大阪では給食の人気メニューであったが、ご存じのとおり、クジラ肉が貴重なものとなり、私の頃も月に一回程度であったけれど、いまでは年に一回になっているようだ。

いや、メニューはさておき、この『給食の歴史』は、あらゆる側面から「給食の歴史」を包括的にまとめていて、私の書評は「自助」との戦いという面に焦点を当てているが、それ以外にも、度重なる地震や台風に襲われてきた日本における「災害対策としての給食」という性質や、給食の黎明期から現在に至るまで、絶え間なく続けられてきた現場の教師や調理人たちの努力や工夫、アメリカの余剰食糧を日本に買わせることを目的としたGHQの戦略、はたまた「先割れスプーン論争」まで、隅々にまで目配りした読みごたえのある考察が存分に収められている。

なかでも、新自由主義が推進される現在、給食がどんどん民間委託されつつある潮流と、それに必死で抗う現場の人たちによる運動を描いた章はとくに印象に残った。
下の記事では、作者の藤原さんが、以前に紹介した『人新世の資本主義』の作者である斎藤幸平さんと対談し、〈民営化〉とそれに対する〈コモン〉という概念について語り合っている。 

digital.asahi.com

それにしても、上の書評でも記したけれど、給食費を払えない家の子どもには給食を与えないという罰則は、日本の給食史において、現場はもちろん、文部省や厚生省、そして共産主義をあれほど警戒したGHQすら採用を拒否したものだ。
そしていま、そういった家の子どもに対して、当然のようにスティグマを与える世の中になってしまったのが恐ろしい。

「食べることは生きることの基本」――「手垢にまみれた言葉」という注釈のもと、作者がそう綴っているが――というのを忘れずに、他者の食に対して、そしてなにより自分の食に対しても、向き合わないといけないなとつくづく感じた。自分の食、つまり生と向き合うのが、これまた難しいけれど……

ちなみに、作者の藤原さんは、『ナチスのキッチン』という大著も記されている。
ファシズムと食を結びつけて考えたことはなかったが、ヒトラーナチスの将校たちが、どういう食物を善としていたのかは、たしかに気になる。