スペンサーは自立したタフな男でした 『初秋』 ロバート・B・パーカー
読書会の課題本だったので、ロバート・B・パーカーの『初秋』を読みました。
私立探偵をしているスペンサーのもとに、パティという女から、離婚した夫が子供を連れて行ったので取り返してほしいと依頼がまいこむ。気が進まないながらも引き受け、その子供ポールを取り返したスペンサーだったが、パティはポールと再会できて喜ぶわけでもなく、ポールをスペンサーに押しつけて、ボーイフレンドとデートに行こうとする……つまり、ポールは元夫婦のあいだのかけひき、もっと悪く言うと、嫌がらせの道具になっていたのだ。それを見かねたスペンサーが、ポールの親代わりになって面倒をみることにする。
私はハードボイルドにはまったく詳しくなく、正直なところ、チャンドラーの『長いお別れ』などを読んでも、あまりピンとこなかったのだが、この小説は、特に事件が起こるわけでもなく(一応命を狙われたりという、いざこざはあるのだが)、上記のとおりの“いい話”で、ハードボイルドとはなんぞやということが、いっそうわからなくなった。
漠然とした印象では、ハードボイルドとは、一体なにを考えてるのかわからん寡黙な男が、国際犯罪なんかに巻きこまれて、必要があればためらうことなく敵を射殺していくストーリーと思っていたので(ここまで書いて気づいたが、単にゴルゴ13が念頭にあるのかもしれない)、チャンドラーを読んだときも、
「マーロウ、たいして強くもないし、そのわりにいらんことばっかりようしゃべるな~」
と違和感を持ったけれど、このスペンサーもこれまたようしゃべる。しかも時おり説教くさい。
とはいえ、この小説がつまらなかったわけではない。先に書いたように、“いい話”なので、肩すかしをくらった感はあったけれども、全体的には楽しく読めた。読書会での話によると、ハードボイルドファンのあいだでも賛否両論らしく、子供を使うのは卑怯だという意見はわかる気もするが、こういうストレートな作品もたまにはいいのでは、と思う。
この小説を読むと、まずは親から愛されていない少年ポールに同情してしまうが、その根源にあるパティの不幸さ、みじめさが印象に強く残った。
パティは、自己を犠牲にして男や家庭に尽くすのが当たり前と教えられた旧世代の女性ではなく、女性にも自己実現の価値や必要があると語る。けれども、そのための「金は男がもっている。女が金を手に入れるのには男が必要なのよ」と認識している。そのために結婚したが、女好きの夫にあっさり捨てられ、いまはまた必死に男を漁り、ときには売春まがいのようなことまでしている。スペンサーの恋人である、カウンセラーかなにかの仕事をしているらしいクールなスーザンとは対照的だ。
読書会では、スーザンが好きになれないという意見もあったが、一見つっけんどんにすら感じるスーザンのキャラは、いまで言う“ツンデレ”なのだろうか? たしかに、ハードボイルドものにおける恋人キャラって、一筋縄ではいかないタフな女が定番のような気はする。(これも例のごとく、ルパンと不二子ちゃんとか、シティハンターの香ちゃんとか、マンガが念頭にありますが)
でもまあ、恋人がいきなりどこの馬の骨だかわからん子供を連れてきて、これから面倒をみるとか言い出したら、スーザンじゃなくても「はぁ!? 寝言か」とは言いたくなると思う。
スペンサーは、ポールに自立の重要性を説くが、パティのように自立できないまま大人になると、自分がみじめになるだけではなく、周囲に不幸をばらまくのだと、あらためて感じた。読書会でも、スペンサーの料理上手ぶりが話題になったが、自分で料理をするということも、自立の象徴なのだろう。
朝から粉を練ってコーン・ブレッド焼いて、小腹が空いたら、ベイコン・レタス・トマトのサンドウィッチ作って、夜はポーク・チョップや松の実ライスを料理する……実際にとなりで薀蓄をたれられたら結構うざい気もするが、読んでいるだけでもおなかが空いてくる、スペンサーの“男子ごはん”、いつかどこかで「実食」したい。私自身は自立心に欠けているせいか、料理は苦手なので、あくまで他力本願ですが。