快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

やっぱり優しくなければ生きている資格がない――レイモンド・チャンドラー『高い窓』(村上春樹訳)

彼女は二本の腕をデスクの上で折りたたみ、顔をその中に埋めてしくしくと泣いていた。それから首をひねって、涙で濡れた目でこちらを見た。私はドアを閉めて彼女のそばに行き、その細い肩に腕をまわした。……

娘は飛び上がるように身を起こし、私の腕から逃れた。「私に触らないで」と彼女は息を詰まらせながら言った。

  レイモンド・チャンドラー『高い窓』(村上春樹訳)を読みました。 

高い窓 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

高い窓 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

  今作でのフィリップ・マーロウは、資産家の未亡人ミセス・マードックから依頼を受ける。夫の形見であるプラッシャー・ダブルーンという貴重な金貨が盗まれたらしい。
 といっても、犯人探しを依頼されたわけではない。犯人はすでにわかっていると未亡人は話す。一年ほど前に「馬鹿げた結婚」をした息子レスリーの嫁、リンダ・コンクエストにちがいないと確信している。一週間ほど前に家を出ていったリンダを探し出し、金貨を取り戻すようマーロウに命じる。

 マードック邸を出たマーロウは、見知らぬ金髪の男に尾行されているのに気づく。素人同然の尾行に呆れたマーロウが近づくと、金髪の男はアンソニーと名乗り、同じく探偵業を営んでいると自己紹介し、マーロウに名刺を渡す。
 それから、マーロウは金貨について何か知っていると思われる古銭商モーニングスターのもとを訪ね、モーニングスターが金髪の男と連絡を取っていることを知る。先程の名刺に書かれていた住所に向かうと、金髪の男の死体があった……

 と、単なる家庭内のいざこざと思われた金貨探しが殺人事件へと発展するこの『高い窓』、訳者あとがきでも書かれているように、フィリップ・マーロウシリーズの中では一番と言っていいくらい、筋立てがシンプルで整合性がとれている。それゆえに、このシリーズの特徴が一番わかりやすい作品かもしれない。

 

※ここからは物語の内容に少し関係するので、これから読む方はご注意ください。

 

 フィリップ・マーロウ、もしくはチャンドラーの作品が持つ魅力とはどういうものか?
 と、シリーズを読んでいるあいだずっと考えていたが、その魅力はやはり、次から次へと出てくるへんてこりんな登場人物をリアルに切り取る描写の妙、そして、どんな人物でも受けとめてみせるマーロウの包容力だと思う。
 ちらっとしか出てこない脇役、なんなら完全な端役であっても、チャンドラーの小説においては、もしかして事件にかかわる重要人物なのか? と疑ってしまうくらい強く印象に残る。 

ベルフォント・ビルディングでは、明かりのついている窓は数えるほどしかなかった。この前と同じくたびれた老人がエレベーターの中で、畳んだ粗布の上に腰を下ろし、虚ろな目でただまっすぐ前を眺めていた。そのまま歴史に吸いこまれようとしているように見えた。……

「ヌーヨークではとんでもなく速いエレベーターがあるそうな。三十階くらいひゅっと行っちまうらしい。高速エレベーター。ヌーヨークにあるそうな」

「ニューヨークなんてどうでもいい」と私は言った。「私はここが好きなんだ」

  この『高い窓』で、忘れがたい脇役のひとりは、モーニングスターのオフィスが入ったベルフォント・ビルディングのエレベーター係の老人だ。

 「南北戦争の頃からずっと」畳んだ粗布の上に座っているかのようなたたずまいで、「まるで自分の背中にエレベーターを背負って運んでいるみたいに」荒い息をついて、エレベーターを操作する。
 すっかり耄碌しているのかと思いきや、三度目にマーロウがやって来たとき、最初のときと二度目のときにマーロウが着ていた服と降りた階をぴたりと言い当てる。「あんたのことを見くびっていたようだな」とマーロウを感服させ、事件の解決の「鍵」を提供する。

 また、もっとも読者の胸に刻まれる人物は、ミセス・マードックの秘書マール・デイヴィスではないだろうか。

 村上春樹は『リトル・シスター』の訳者あとがきで、チャンドラー作品の女性登場人物について、「どこかみんな『書き割り』みたいな雰囲気がある」と、ハリウッドの映画の女優が演じる古典的なキャラクターのようだと述べている。 

  たしかに、ファム・ファタール的な役割の女性登場人物については、「書き割り」感がある、つまり、ベタな人物造形だと言えなくもないが、それ以外の女性たち、『リトル・シスター』の訳者解説で賛辞を送っているオーファメイ・クエスト、この『高い窓』のマール・デイヴィスなど、一見どこにでもいそうで、でもどこか常軌を逸している人物像が実にうまく描かれていて感心する。『さよなら、愛しい人』に出てくるアン・リオーダンも可愛らしい。ただ、さわやかで健全過ぎて、マーロウにはそぐわなかったのかもしれないけれど。

 冒頭の引用のように、はじめてマードック邸を訪れたマーロウは、痩せて神経質そうで、あまり幸福そうには見えないマールを奇妙に思う。事件が進展するにつれて、マールはミセス・マードックに完全に支配され、心身ともに消耗していることがあきらかになる。
 物語の終盤、長年の理不尽な仕打ちによって疲れ果て、倒れたマールが、「私は起こったことを残らずあなたにお話ししたいの」と話すと、マーロウは言う。 

「言わなくていい。もう知っているから。マーロウはすべてを心得ている。まっとうな人生を送る術を別にすればね。そいつだけはどうしてもうまくできない。とにかく今はゆっくりと眠ることだ。そして明日になれば、君をウイチタまで送り届ける。そして君のご両親に会う。旅費はミセス・マードック持ちでね」 

 なんとかっこいい台詞だろうか。「すべてを心得ている」とは! まっとうな……云々のところも、通常ならば、何ぬかしてんねんってつっこんでしまいそうになるが、訳あり一家の事件に巻きこまれながらも、こうやって薄幸な少女に救いの手を差し伸べるマーロウが口にすると、納得してしまう。

 マーロウの決め台詞はおなじみ、“If I was’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.” いわゆる「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」だが、やはりマーロウの優しさがこのシリーズを貫く背骨であり、ハードボイルドを特別なもの――something special――にした魔法なのではないだろうか。

 しかし、どうしてこんな主人公をチャンドラーが生み出せたのか考えると、なんだか不思議な気もする。チャンドラーが18歳年上の妻を大事にしていたのは有名な話だが、その一方で、不倫騒動を起こし、勤めていた会社を解雇させられている(解雇の原因は不倫だけではなく、アルコールの問題などもあったようだが)。

 もちろん、作者が聖人君子でないのは当たり前だろうが、この『高い窓』の訳者あとがきによると、チャンドラーは「ものを書くことで金を儲けたためしがない」と知人に「愚痴っぽい手紙」を書いたりと、あまり“いさぎよい”人間ではなかったように思われる(そもそも、“いさぎよい”人間は文章を書いたりしない気もする)。

 けれども、ひとえにその卓越した文章力で、騎士精神あふれる主人公から、エキセントリックなまでに純粋な少女、低俗なチンピラたちまで、いきいきと命を吹きこみ読者を魅了する。ものすごくいまさらではあるけれど、小説というのはおもしろいものだなとあらためて思う。 

その家が視界から消えていくのを見ながら、私は不思議な気持ちを抱くことになった。どう言えばいいのだろう。詩をひとつ書き上げ、とても出来の良い詩だったのだが、それをなくしてしまい、思い出そうとしてもまるで思い出せないときのような気持ちだった。

  マールとの別れのシーンは、読んでいて少し切なく、でも後味のよい心地になる。大事にしていたものが自分のもとから旅立っていき、もう二度と会うことがないんだろうな、と思うような気持ち。
 あるいは、子どもの頃や学生時代に読んだ記憶があり、内容の詳細までは思い出せないけれど、とにかく夢中になって読んだということだけは覚えている小説を振り返るような……(いや、内容の詳細をすっかり忘れるのは私だけかもしれないが)