快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

変わるもの、変わらないもの―― 『ラオスにいったい何があるというんですか?』 村上春樹

 さて、すっかり正月気分も消し飛んだ今日この頃ですが、年末年始は実家ですることもないので、iPhoneで『ラオスにいったい何があるというんですか?』を読んでいました。 

  この本を読んで一番行ってみたくなったのは(どこも行ってみたくなったけど)、アイスランドだ。
   思えば、アイスランドのイメージは、自分のなかでは結構変遷をとげている。もともとは、北極の近くで氷と森しかない永久凍土と思っていたが、ビョークが出てきてから、アーティスティックで神秘的な国という印象になった。そして、ここ数年は、アーナルデュル・インデルダソンの『湿地』と『緑衣の女』の印象が強く(『声』はまだ読めていない……翻訳ミステリー大賞の候補作にもなっているので、はやく読まねば)、閉鎖的でレイプやDVなどの暴力も後を絶たないという、正直なところ、ちょっとネガティブなイメージを抱いてしまっていた。(あまりにもたやすく感化されすぎかもしれないが)


 しかし、ここで描かれているのは、過度に神秘的でもなく、血と暴力にあふれているわけでもない(というか、上記のように単純に考えるなら、コーマック・マッカッシーの小説なんて読むと、アメリカなんて恐怖の国になりますね)、人口が30万くらいで「すかすか感」があり、人々は本を読んで長い夜を過ごし、羊を家族同様に大事にし、テーブルには造花を飾る(なにしろ花は貴重なので)おだやかな国だった。そして、

どんな町にも必ずと言っていいくらいピザ屋がある。こんな人口200人くらいの小さな町で、よくピザ屋が成り立つよな、とも思うのだが、それらのピザ屋はどこでも驚くくらい繁盛しているのだ。

とのことですが、考えたら、アイスランドに限らず、アメリカや東南アジアでもピザ屋は大人気で、だいたいの町にあるような気がする。本場のイタリアがあるヨーロッパでも当然そうだろうし(行ったことないけど)、世界で一番愛されている食べものではないでしょうか。
 けど、人口200人の町って、中小企業の人数くらい、40人学級なら5クラス分ですね。『湿地』の世界がいっそうリアルに感じられる。 

湿地 (創元推理文庫)

湿地 (創元推理文庫)

 

  タイトルにもなっているラオスも興味深かった。私はタイが好きで何回か行っていて、次こそはラオスにも足をのばそうと前から考えていた。が、ルアンプラバンは、この本でも白人観光客が多いと書かれているように、白人観光客のリゾート地になっているとも聞いていたので、ちょっと迷っていたけれど、とにもかくにも自分で行ってみることが大事ですね。


 タイトルの「ラオスにいったい何があるというんですか?」は、実際に作者がヴェトナムの人から聞かれた質問らしいが、過去の旅行本『辺境・近境』のメキシコ編で、何人かの人からか、「あなたはどうしてまたメキシコに来たんですか?」と質問されたというくだりを思い出した。
 世の中の多くの人は、旅行に意味を求めるのでしょうか?? いや、まあ、ハワイとかパリならなにも聞かれず、ラオスやメキシコなら聞かれるってことなんでしょうけど。けど、完全に個人の感想ですが、貧乏人のせいかリゾートが苦手な私からしたら、ハワイにはもちろん憧れるけど、実際に行ったら、なにしたらいいのかわからなくなりそうだ。


 『遠い太鼓』の舞台となった、ギリシアの島を再訪する章もある。「ぺらぺらのプロペラ機」か「のろいフェリー」に乗っていくしかなかったミコノス島には、いまはドイツからの直行便が飛び、高級リゾート・ホテルも建てられた。コーヒーも飛躍的においしくなっている。隠居して年金生活を送るのを心待ちにしていたヴァンゲリスももういない。

 そして、『遠い太鼓』で書かれていた、頭の中を飛びかう蜂に追われるように日本を脱出して、ただひたすら小説を書くために、住みにくいギリシャやローマを転々と移動する作家もいない。

でも今となっては、そんなことさえいくぶん懐かしく思い出される。もう一度そのような状態に戻りたいかと訊かれれば、答えはもちろんノーだけど。

  いや、この本はじゅうぶん楽しく読めるし、世界的に成功して変わったとか言っているわけではなく、年齢や立場とともに書く内容が変わっていくのは当然だとは思う。ただ、『遠い太鼓』のように、孤独や焦燥感がひりひりと伝わってきた旅行記も、少し懐かしく感じました。