快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

壊れた世界を救うのはだれか? 『壊れた世界の者たちよ』(ドン・ウィンズロウ著 田口俊樹訳)

 『壊れた世界の者たちよ』の読書会に参加しました。はじめてのオンライン読書会のうえに、訳者の田口俊樹さんや担当編集の方もご参加されたので、なんだか緊張しました。

  作者ドン・ウィンズロウは、ニューヨークの少年探偵ニール・ケアリーを主人公とした『ストリート・キッズ』でデビューし、繊細で心優しいニールやニールを父親のように見守るグレアムといったキャラクターが、当時のハードボイルド小説に新しい風を吹きこみ、ウィットに富んだ軽妙な語りで一躍人気作家となった。

 しかし、のちに発表した『犬の力』以降の作品では、人気の基盤となっていた軽妙さや愛すべきキャラクターたちをいったん脇に置き、西海岸を舞台に「血で血を洗う」という言葉がふさわしい麻薬抗争を骨太に描いて、さらなる人気と評価を確立した。

 そしてこの『壊れた世界の者たちよ』は、ウィンズロウがその歩みのすべてを詰めこんで総括し、新しい道へ一歩踏み出した中編集だと言える。

 表題作であり最初に収録されている「壊れた世界の者たちよ」では、警察の麻薬取締班に所属するジミー・マクナブと麻薬犯罪組織との容赦のない抗争が描かれている。
 悪の底が抜けた世界、まさに「壊れた世界」で生きる人間の戦いである。
 あきらかに『犬の力』以降の筆致であり、やられたら絶対にやり返す、地の果てまでも追いかける、たとえ地獄に堕ちようとも――という凄惨な描写によって、読んでいる側にも問いが突きつけられる。
 この壊れた世界に正義はあるのか? いったい何が正義なのか? と。 

人は自らが壊された場所で強くなる。

その世界にいかに生を受けようと、人は壊れてその世界を出ていくのだ。

  けれども、そのあとに続く「犯罪心得一の一」「サンディエゴ動物園」「サンセット」「パラダイス」は、もともとのウィンズロウの世界が――主人公と仲間たちによる気の利いた会話の応酬、美しい音楽、打ち寄せる波と波乗りたち、心ときめく出会いと切ない別れ、そこでは犯罪者すらもまぬけで憎めない――くり広げられている。

 このなかで私が好きな「サンディエゴ動物園」は、どういうわけだか拳銃を手に入れたチンパンジーを巡査クリス・シェイが捕えようとする場面からはじまる。
 クリスが拳銃の出処を突きとめようとすると、世にもまぬけな悪党たちに次々に遭遇し、そして動物園に勤務するキャロリンとのロマンスも生まれる……と、愉快なウィンズロウ節全開の作品であり、憎めない悪党たちを描いたら天下一品のエルモア・レナードに捧げられている。

 この「サンディエゴ動物園」を読んだとき、訳者の田口さんが以前エッセイで紹介されていた、スティーヴン・キングがレナードを評した言葉を思い出した。

 キングはレナードの文章を「雪のひとひら」に例え、「ひらひらと舞ってどこに着地するかわからない。そこが魅力だ」と評しているとのことで、そこで田口さんはレナードのストーリー展開についても「どこに着地するかわからない」ところが魅力であり、「よくある話なのに、さきが読めない」というのがエンタメ小説において重要な点ではないかと分析されていた。この「よくある話なのに、さきが読めない」という美点は、ウィンズロウの本作にもまさにあてはまるのではないだろうか。

(と、読書会でも感想として申し上げたところ、レナードはほんとうに先を決めずに書いていたらしいと教えていただきました。ウィンズロウもそんなに細かい点まで詰めていないのか、ところどころで矛盾が見つかり、いろいろ調整されたそうです)

  そのほか、スティーヴ・マックイーンに捧げられた「犯罪心得一の一」では、この中編集の主役のひとりルー・ルーベスニック(ホンダシビックを愛する寝取られ刑事)と、頭の切れる悪党デーヴィスとの心理戦に目が離せない。
 さらに、65歳になったニール・ケアリーが登場する「サンセット」はレイモンド・チャンドラーに捧げられていて、伝説のサーファー“テリー・マダックス”を 『夜明けのパトロール』のブーンが追いかける。

 ハワイのカウアイ島を舞台にした『パラダイス』は、『野蛮なやつら』の「友好的三角関係」であるベンとチョンとOを筆頭として、おなじみのキャラクターが続々登場する。楽園での優雅な休暇を描いているのかと思いきや、案の定、麻薬抗争が勃発して……という展開で、楽園を追放された者たちが新たな楽園を作りあげる物語である。

 と、従来のファンにとっては懐かしく、今回はじめて読んだ人はきっと過去作も読みたくなるにちがいない名品揃いなのだが、読書会の感想では、65歳のニール・ケアリーには微妙な感慨を抱いた方も多かったようだった。

 たしかに私も、ニールのキャラや口調が若いときと変わっていないのに少し違和感があった、とはいえ、いきなり年寄りくさくなっていたら、もっと違和感を抱いたのはまちがいないので、キャラクターに歳を取らせるのは難しいものだなとあらためて感じた。(しかし、『ただの眠りを』の72歳のフィリップ・マーロウには、私はそんなに違和感を持たなかったのだが……読書会が再開されたら、みなさんの意見も伺いたい) 

  そして最後の「ラスト・ライド」は、また趣きががらりと変わり、いまアメリカで刻々と起きている社会問題をシリアスに切り取った作品である。

 テキサスで生まれ育った主人公キャルは国境警備隊員として、「くそメキシコ人」が入ってこないよう有刺鉄線の張られたフェンスを日々パトロールしている。しかも、連れられて不法入国した子どもたちを、親から引き離して檻に入れている。

 好きでやっているわけではない。父から受け継いだ牧場からはじゅうぶんな食い扶持が得られず、カウボーイの仕事も減る一方だからだ。ニューヨークタイムズやCNNといったリベラル系のメディアからは、自分たちが極悪人のように報道されているのも知っている。実際、先の選挙では「あいつ」に投票した。あの女に投票するわけにはいかなかったからだ。 

おれは弱者に心を痛めるリベラルな左派じゃない。ああ選挙じゃ今の大統領に投票したよ。それでも、国が今やってるようなことに投票したわけじゃない。それだけは言っておく。

  そんなキャルが檻の中にいるひとりの少女を助けようとする。自分でもなぜなのか、どうしてその子だったのかはわからない。そんなことをしたら職は言うまでもなく、これからの未来も、何もかも失ってしまう。ひとりを助けても意味がないと同僚女性のトワイラに言われる。それでも、キャルは少女を檻から連れ出し、愛馬ライリーとともに母親のもとへ返そうとする。 

たいていの人間は大きな犠牲を払わずにすむなら、正しいことをするものだ。だけど、大きな犠牲が必要なときに正しいことができる者はきわめて少ない。 

  キャルは少女を救えるのか? というのが物語の主眼だが、キャルが救おうとしているのは少女だけではなく、この「壊れた世界」であり、つまりはアメリカそのものだと感じた。また自分自身への救いでもあり、閉ざされた心とイラクで負った傷を抱えるトワイラにとっても救いになるにちがいない。救うことができれば。この物語の顛末と落とし前を、読む側はどう受けとめたらいいのか考えさせられた。

 「壊れた世界」を描いているという点で、冒頭の「壊れた世界の者たちよ」とつながる作品であり、中編集の最初と最後にこの二作を置いた構成の巧みさに、読書会でも感心の声があがった。そして「壊れた世界」をどう乗り越えていくのか、次の作品への指針として最後に置かれているように感じられた。

 現在ドン・ウィンズロウは大統領選挙に向け、SNSなどで反トランプキャンペーンを熱心に展開している。その一方で、先の選挙でトランプに票を入れざるを得なかった市井の人々の気持ちを、見事に汲み取っている。そういう人たちこそが「正しいこと」を行う存在として描いている。

 訳者の田口さんは、きれいごとばかり言って何ひとつ自らの手を汚そうとしない、西海岸や東海岸のリベラルなインテリ(当然、民主党を支持する面々)に向けた痛烈な批判だとこの作品を語っていた。
 そういえば、同じく田口さんが訳されているボストン・テランも、『その犬の歩むところ』や『ひとり旅立つ少年よ』で、アメリカを総括して描こうとしている印象を受けたけれど、アメリカの作家にとっては、〈アメリカ〉そのものが永遠のテーマなのかもしれない。 

その犬の歩むところ (文春文庫)

その犬の歩むところ (文春文庫)

 

  読書会では、参加者全員がこの本でもっとも好きな作品を挙げていった。(短・中編集で読書会をすると、これで盛りあがれるのがいいところですね)
 私は「ラスト・ライド」に票を投じたものの、一番楽しい「サンディエゴ動物園」に人気が集中するのではないかと思っていたが、意外にもどの作品も満遍なく人気があった。シリアスなものでもコミカルなものでも、質の高い作品に仕上げる作者の技量の高さのあらわれだろう。

  さて、前代未聞のコロナ禍に直面し、こうやって読書会もオンラインに移行しつつある今日この頃、私たち大阪読書会も前へ進まないといけません。たとえ世界が壊れてしまっても読書のよろこびだけは壊さぬように、オンライン読書会の準備を進めようと思いますので、再始動の暁には、みなさまぜひともご参加ください。