またもライツヴィルの呪われた家に悲劇が降りかかる 『十日間の不思議』 エラリィ・クイーン
探偵として名を馳せ、作家としても活躍するエラリィ・クイーンは、十年前、ナチスに占領される前のパリで知り合った、旧友のハワードとニューヨークで久々に会い、悩みを打ち明けられる。なんでも、最近記憶がなくなることが続いているのだと言う。記憶がなくなっているあいだ、何をしているのか自分でも不安でたまらない。そこで、エラリィは、ハワードの家にしばらく滞在して、発作が起こらないか、起こったらどうなるか調べることを了承する。
そして、ハワードの家をはじめて知って仰天する。なんと、エラリィが二度も殺人事件を解決した、ライツヴィルにあったのだ……
ということで、以前に紹介した『災厄の町』に続いての、エラリィ・クイーンのライツヴィル・シリーズです。『災厄の町』と、この『十日間の不思議』のあいだに位置する『フォックス家の殺人』は、まだ読めていないのですが。
で、この『十日間の不思議』も『災厄の町』と同様に、閉ざされた家の中で殺人がおきる話です。『フォックス家の殺人』も、このタイトルからはどう考えても、フォックス家でだれかが殺されるのでしょう。ライツヴィルは“古き良きアメリカの名残がある田舎町”という設定のようだが、呪われた家がこれだけあるって、どれだけ恐ろしい町なんだと思えてならない。
この『十日間の不思議』は、去年新訳が出た『九尾の猫』につながっていく。実は、その『九尾の猫』を読むために、まずこの小説を読んだのだけど、地味な作品かと思っていたら、一家の悲劇にひきこまれて一気に読んでしまった。『災厄の町』同様、家の話なので登場人物も少なく、ゆえに犯人の可能性がある人物も絞られてしまうので、国名シリーズのような本格ミステリーの要素を求める人には物足りないのかもしれないが、現代の読者には、こういう人間ドラマというか、サスペンス風味が強い後期の作品もうけるのではないかと思う。
で、ここから先は、ネタバレになってしまうので、未読の人は、ここから先は読まないようにしてください。
この作品は、いつも机上の空論とすら思われる、一見こじつけのような論理で解決してみせるエラリィが、それを逆手にとられる話である。
犯人はエラリィが考えそうな論理を想定して、お膳立てして首尾よく犯罪を成功させる。今回の論理とは、聖書や神話にもとづくものであるが、別にそれを知らなくても(そんなに理解できなくても)、犯人がエラリィや被害者の行動を予測して事を進めるさまがうまく書かれているので、じゅうぶん楽しめると思う。途中までは、私もエラリィと同じようにひっかけられそうになった。(が、『十日間の悲劇』なので、ここで終わらないなと気づいた)
あとで考えてみると、登場人物が限られているうえに、一番動機がある者が犯人だったというわかりやすい話なのに、すぐには気づかせないのは、作者の人間描写が卓越しているからなんでしょう。
けどたしかに、エラリィの詰めの甘さが露呈した作品である。小説の世界なので、証拠集めとか裏付けを取るとか、一切無視で犯人を特定するのも当たり前のように思っていたが、探偵小説の隆盛にともなって、そのあたりの弱さも無視できなくなったのでしょうか。
あの、唐突に出生の秘密があかされたときに、裏付けをとっていればすぐに犯人がわかったはずなのに……とエラリィにも読者にもつくづく思わせるあたりは、さすが上手いと感じる。この本は、いまのところは図書館や古本屋でしか入手できないと思うので、これも新訳で出たらいいのになと思います。『フォックス家の殺人』も読もうと思うけど、これも新訳出ないのだろうか。