快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

やっぱり新訳! 『BOOKMARK』の最新号(08号) 『すばらしい新世界』『まるで天使のような』など

 さて、前回書いたように、今号の『MONKEY』が翻訳特集でしたが、フリーペーパー『BOOKMARK』の最新号も「やっぱり新訳!」と、翻訳のなかでも新訳に絞った特集でした。

 「翻訳は新しい方がいい」というのは、すべての新訳に言えるのかどうかはわからないですが(金原さんも「古びて味の出る翻訳」について「話すとまた長くなるので、いずれ、そのうち」と書かれているので、こちらの続きも気になる)、一般的には、死語となった言葉が使われていたり、黒人英語が謎の訛りで訳されているものよりは、新しい訳がいいのは事実でしょう。

 今回取りあげられているもので、読んだことがあるのは、『災厄の町』に『月と六ペンス』、そして『すばらしい新世界』は、ここでは大森望さんの新訳が取り上げられているけれど、黒原敏行さんの新訳を以前読んだ。 

災厄の町〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

災厄の町〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

  『災厄の町』の紹介文で、「『十日間の不思議』の新訳刊行をなんとしても実現したい」と書かれていて、『十日間の不思議』は古いもので読んでもおもしろかったので、ぜひとも新訳刊行してほしい!と思った。しかしそのためには、この『災厄の町』と『九尾の猫』が「大いに売れなくてはいけない」らしい。菅田くんがエラリーを演じるとかの大型企画が持ちあがらないものだろうか。 

 

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

 

 『すばらしい新世界』は黒原さんの訳書もおもしろかったので、大森望さんの方もぜひ読んでみたい……で、いま検索したところ、光文社古典新訳のページに黒原さんのインタビューが載っていた。

www.kotensinyaku.jp


 それによると、以前黒原さんが訳した、ジョナサン・フランゼンの『コレクションズ』は『すばらしい新世界』の「本歌取り」をした作品だとのこと。なんと。どちらも読んでいるのに気づかなった。いや、どちらもディストピア小説だとはわかっていたけれど。インタビューにあるように、たしかに『コレクションズ』のアスランと、『すばらしい新世界』のソーマは共通するものがある。『コレクションズ』に野蛮人って出てきたっけ…?? まあ、『コレクションズ』の方を先に読んだと思うので、気づかなかったのは仕方ないということにしよう。 

コレクションズ (上) (ハヤカワepi文庫)

コレクションズ (上) (ハヤカワepi文庫)

 

 黒原さんの新訳というと、マーガレット・ミラー『まるで天使のような』も以前読んだけれど、新興宗教のコミュニティが舞台となっていて、これまたディストピアというかユートピアというか、いや、『すばらしい新世界』で明確に描かれていたように、ディストピアユートピアはまさに表裏一体なのでしょう。
 とはいえ、マーガレット・ミラーは修道女、修道士を狂信的な恐ろしい人物と見なしているわけではない。信仰心があろうがなかろうが、人間はだれでも、何かのきっかけで歯車が狂って精神の異界に入る可能性があるというのを、ミラーはくり返し描いているように思う。 

まるで天使のような (創元推理文庫)
 

  この『まるで天使のような』に出てくる修道女、修道士たちには、源氏名、ちがうか、戒名、これもちがうな、なんというのか、コードネームというか出家名(千眼美子というような)があるのですが、旧訳では「祝福尼」となっているのが、新訳では「救済の祝福の修道女」となっているなどの比較ができるのが、旧訳と新訳がある本の楽しさですね。


 そのほか、この『BOOKMARK』では、カズレーザーが以前推薦していたので読まないと、と思いながらまだ読んでいない『幼年期の終わり』とか、いったい新訳いくつあるの?と思う『フランケンシュタイン』や、『ジャングル・ブック』対決などもあって楽しい。


 そして町田康のエッセイに共鳴を受けた。日本の古典を現代訳した経験から、翻訳は「気合と気合と気合」と。その通り! 何事においても無意味な気合がなにより大事。タアアアアッ。