憎しみにうち勝つために 『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ あなたがくれた憎しみ』(アンジー・トーマス著 服部理佳訳)
カリルの体は、見世物みたいに通りにさらされていた。パトカーと救急車が、続々とカーネーション通りに到着する。路肩には人だかりができていた。みんな、のびあがるようにして、こっちをうかがっている。
『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ あなたがくれた憎しみ』は、アメリカの青春ドラマでよく見かける光景 からはじまる。
仲間たちとの華やかなパーティー。音楽が大音量でかかり、アルコール片手に踊り、友達同士でおめあての相手やライバルについての噂をこそこそ語る。そんなありふれた場面がいきなりの銃声で一変する。
黒人街(ゲットー)の地元ガーデン・ハイツのパーティーにしぶしぶやってきた主人公スターは、そんな発砲騒ぎのなか、幼なじみのカリルに連れ出されて無事に脱出する。カリルの車に乗って一息つくが、初恋の相手でもあるカリルがどうやらドラッグを売っているらしいと気づき、胸に不安がよぎる。
そのとき、悲劇がおきる。警官に車を止められる。
スターは12歳になったとき、父親から大事な教えを聞かされていた。警官に呼びとめられたときは、とにかく言われた通りにしろ、と。手は見えるところに出しておけ。カリルもその教えを聞いたことがあるのだろうか?
警官はカリルの身体を調べるが、何も出てこない。何も問題はない。ところが、スターの身を案じたカリルは、やってはいけないことをしてしまった。警官が背を向けているあいだに動いたのだ。警官が銃を撃つ。スターの目の前でカリルは血を流して死ぬ。
唯一の目撃者であるスターは、警察から事情聴取を受ける。カリルは無抵抗だったのに警官が発砲した事実を伝えようとするが、警察はカリルがドラッグを売っていたことに固執する。案の定、ドラッグの売人であった不審な黒人男性を警官が射殺したと報道される。このままでは撃った警官が罪に問われることなく終わってしまう。
ガーデン・ハイツでは抗議活動がおきる。事件を目撃したトラウマと注目されることの恐怖から名乗り出ることができなかったスターも、もう黙ってはいられないと立ちあがる……
非常にリアルな小説だった。つい最近も、ミネアポリスで黒人男性ジョージ・フロイドが殺され、警官の処分をめぐる抗議活動が、Black Lives Matterというスローガンとともに全米に波及した。まるでこの小説が予言していたかのようにも思えるが、実のところは、以前から何度も何度もこんなことがくり返されてきたのだろう。
しかし、この小説が持つリアルさは、単に現実で頻繁におきている事件をテーマにしているからではなく、スターをはじめとする登場人物が持つ複雑な背景や心情が、ありがちな型にはめられることなく、複雑なままていねいに描かれているからだと感じた。
スターは異母兄のセブンとともに、両親(とくに母親)の意向で、裕福な白人が多く通うウィリアムソン高校に通っている。地元ガーデン・ハイツを愛していながらも、ここから脱出しないといけないという両親の複雑な思いを、セブンとスターも理解している。
だから、冒頭の舞台である地元ガーデン・ハイツのパーティーでは、居心地の悪い思いを味わっている。その一方で、ウィリアムソンではのびのびとふるまうことができない。どちらにも所属できない。常に自分を抑えて過ごしている。
ウィリアムソンのスターはスラングを使わない。ラッパーが使っても、白人の友達が使っても、絶対に使わない。ラッパーが口にすれば格好いいけど、ふつうの黒人が使ったら、ゲットー育ちに見えるだけだ。ウィリアムソンのスターは、腹が立つことがあっても、ぐっと我慢する。怒りっぽい黒人の少女だと思われたりしないように。
スターはこうやってガーデン・ハイツにいる自分と、ウィリアムソンにいる自分を使い分けて、学校生活をやり過ごしていた。しかし、カリルの事件が起きてからは、それが変わっていく。
カリルの事件に対する抗議活動を口実にして、学校で暴れて授業をボイコットしようとするクラスメートに違和感を覚える。差別的な冗談を口にする白人の友達ヘイリーに我慢できなくなる。自分を抑えつけていた枠が外れていくのがわかる。白人のボーイフレンドであるクリスとも、このままつきあい続けることができるのだろうか……?
セブンの場合はもっと複雑だ。
スターの父親とギャングのボスの愛人アイーシャとの子であるセブンは、スターのように白人社会とガーデン・ハイツのあいだで引き裂かれているだけではなく、ガーデン・ハイツのなかでも、スターの家と実母が生きるギャングの世界のあいだで引き裂かれている。
スター一家とともにガーデン・ハイツから脱出したいと願いつつも、実母や妹たちを見捨てることができないセブンの葛藤は、読んでいるこちらも胸が苦しくなる。
スターやセブンだけではない。
元ギャングであるスターの父親、一度はドロップアウトしかけたものの、スターをお腹に宿したまま大学に通い、看護師となったスターの母親、そして父親のように面倒をみてくれる、母親の兄であるカルロスおじさん……といった登場人物たちは、だれもがみな自分たちが生きてきた社会と、その外側の社会とのあいだで引き裂かれている。
スターの両親はガーデン・ハイツから去るべきかどうか悩み、警官であるカルロスおじさんは、カリルを射殺したことを正当化しようとする警察組織に所属していることに苦しむ。それぞれ異なる立場から、この事件を通じて、あらためて外側の社会に向きあい、一歩ずつ前へ進んでいくさまに希望を読み取ることができる。
といっても、現実においても、小説においても、差別や貧困をめぐる問題がそう簡単に解決するとは思えない。この小説では、ゲットーでドラッグや暴力がもたらす悲劇も赤裸々に描かれている。それでも希望が感じられるのは、人間は過ちを犯すものであるが、そこから立ち直ることもできるという信条が貫かれているからだろう。
印象に残った場面のひとつに、何度も過ちを犯した父親をどうして許したのか、スターが母親に尋ねるくだりがある。
「正直、わたしだったら絶対別れてるな。悪いけど」と。(私もそう思った)
そこで母親は、人は過ちを犯すものであり、犯した過ちより、その人に対する愛のほうが大きいかどうかで、決めるしかないと語る。
この小説のタイトルは、2パックの言葉 "The Hate U Give Little Infants, Fuck Everybody" から取られている。憎しみをぶつけられ続けた子どもが社会に牙をむく、という意味だ。
憎しみにうち勝つのは愛だ、なんていうと甘いのかもしれないし、クサ過ぎる気もする。それにもちろん、憎しみをぶつけてくる相手を愛することなんてできない。けれども、なにより怖いのは、憎しみをぶつけられることによって、自分のなかの愛が失われることではないだろうか。
この小説の登場人物たちのように、まわりの人間に対する愛があれば、厳しい状況であっても希望を失わず生きているのかもしれない、と感じた。なかなか難しいけれど。