快適読書生活  

「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」――なので日記代わりの本の記録を書いてみることにしました

「人種」というありもしないもので選別される命 梁英聖『レイシズムとは何か』

 さて、800字書評講座の今月の課題書は、梁英聖『レイシズムとは何か』でした。

レイシズムとは何か (ちくま新書)

レイシズムとは何か (ちくま新書)

 

 『レイシズムとは何か』では、まず冒頭の章で「レイシズム」の歴史を振り返り、近代以前からあった異民族への嫌悪や忌避と、近代以降の「人種」差別がどう異なるのかを考察している。

 この本では、16世紀の異端審問期のスペインにおいて、ユダヤ民族を差別するために成立した純血法が、近代以降の「人種」差別の起点になったと考えている。17世紀後半には、北米で奴隷制レイシズムが結びついて黒人も差別される対象となり、18世紀には、「分類学の父」として有名なリンネがヒトを4つに分類したことで、「人種」というものがはじめて科学に持ちこまれた。

 19世紀以降、帝国主義と資本主義の発展にともなって、「人種」差別が世界中に広がり、ナチスホロコーストという悲劇を生んだにもかかわらず、なおも「人種」差別は根絶することはなく、いまもなおBLM(ブラック・ライブズ・マター)運動が続いている。

 では、いったい「人種」とは何なのだろうか? 「レイシズム」の定義とは? そして、「日本に人種差別はない」のだろうか?

 ――について、まず私が提出した800字書評を転載します。

 ************************************

題:「人種差別を許してはいけないとあらためて思いました」?

                             
レイシズムとは何か』の書評を書くのは非常に難しい。


 この本では、レイシズムとは「ありもしない人種をつくりだし」、つまり「人種化」することで、「生きるべき者/死ぬべき者」を分けるものだと定義している。その選別によって、レイシズムは単なる差別や偏見にとどまらず、ジェノサイド(大量殺戮)となることを明確に示している。

 なかでもひときわ説得力を発揮しているのが、欧米諸国と異なり、日本には反レイシズムという歯止めがないことを指摘しているくだりだ。日本の反差別は、「何が差別で何がそうでないのかという真理の基準」を定めることなく、マイノリティの告発や証言に依存してきた。

 その結果、「差別を撤廃しないといけない」という前提すら共有されず、被害者に寄り添うのと同時に加害者と対話することも重視し、本来なら「言論の自由」を守るためにレイシズムと闘わなければならないのに、「言論の自由」と差別禁止が対立する特殊な構造に陥ってしまった。

 では、レイシズムの現状を見事に解析したこの本について、なぜ書評が書きづらいのか? 書評の対象として扱われることを拒否している本だからである。

 体よくまとめて、「人種差別を許してはいけないとあらためて思いました」などの感想を述べて終わるなんてことは断じて許されない。それでは、マイノリティの告発や証言に依存してきたこれまでと何ひとつ変わらない。命を選別される側にとっては、「寄り添い」も「対話」もなんの意味もないということを、私たちひとりひとりに突きつけてくる本だからである。

 「もうこれ以上、マイノリティの被害と歴史を消費してほしくない」と、作者はあとがきで綴っている。マイノリティの体験談に心を痛め、自分は差別的な人間ではないと自己満足する「消費」を止めて、自らが主体となって具体的な行動へ踏み出さなければならない。

 差別を煽動する者に反対の声をあげ、ヘイト本を売る出版社や書店をボイコットし、いまだ国籍や性別で社員を選別する企業の商品は購入せず、さらに個人の心がけのみならず、差別を禁止する明確な法整備を求める……これらはマイノリティに「寄り添う」ための行動ではない。フレドリック・ダグラスが言う「自由」を、自分の手に取り戻すための行動なのだ。命が選別される世の中では、だれひとりとして、けっして自由になれないのだから。

  ************************************

 と、書評で書いたように、この本はレイシズムとは何かを解説しているだけではなく、どうして日本では差別やヘイトスピーチがはびこっているのかを深く分析している。さらに、「被害者の声を聞け」という日本型反差別が被害者を沈黙へ追いこんでしまう構造や、日本の入管法が明確なレイシズム政策であることを指摘している。

 ニュースや本で「被害者の声」を聞いて同情し、差別なんて許してはいけないとひとりで頷きながら、結局何もしない私のような人間も加害者であると痛烈に突きつけてくる本である。

  上の書評では、「差別を煽動する者に反対の声をあげ」ないといけない、なんて勇ましく書いているが、実のところ、差別的な発言を行う職場の上の人に、自分がクビになるかもしれないという覚悟のもとで、「それは差別だ!」と言えるのかというと、正直難しい。

 ならば、いったいどうしたらいいのか? 自分にできることはあるのか? とあらためて問うてみると、言葉を失って沈黙してしまうが、でもやはり、どんなささやかなことでも無意味ではないと信じて行動するしかないのだろう。

 書評の最後にフレドリック(フレデリックという方が一般的ですが、この本ではフレドリックでした)・ダグラスが唐突に出てきているが、フレドリック・ダグラスは南北戦争より以前から奴隷廃止運動を展開した「公民権運動の父」と呼ばれる人物である。
レイシズムとは何か』では、この言葉を引用している。 

自由がいいとは口では言いながら社会的な運動を軽視する者は、土地を耕さずに収穫をほしがる者である。雷鳴や稲妻を嫌いながら雨が欲しいと言うのである。(略)権力は求められずに譲歩などしない。そんなことは過去にもなかったし今後もあり得ない。 

  まさにそのとおり、この気持ちを忘れてはならないとつくづく思った……いや、「思った」では、やはりこれまでと同じやないか~~~と考えさせられる本なので、興味のある方はぜひ読んでみて下さい。